25 香麗様と刺繍と
この日は香麗様が冬宮を訪ねて来られた。春の宴で刺繍をご一緒するという約束を叶えるためだった。
今回もわたくしや香麗様だけでなく、美玲や雹華たちも刺繍に参加した。また、香麗様が連れてこられた女官や宮女の中にも刺繍に興味を持っているも者がいたので、声をかけてお茶やお茶菓子と共にみなで楽しく机を囲む。
鈴莉はというと、「私まで参加してしまっては雪花様や香麗様のお世話をする者が居なくなってしまいますので」と今回は遠慮して後ろに控えていた。
「みんなで作業すると、とても捗りますね。上手くできないところがあれば聞くこともできますし」
香麗様の言葉にわたくしは「えぇ」と頷く。
「こんなに楽しく刺繍するの初めてです。雪花様、今回の集まりを承諾していただき本当にありがとうございます」
「構いません。わたくしも楽しませて頂いていますから」
「……あの、私たちの様な者まで参加させていただいて、本当にありがとうございます」
香麗様付の女官や宮女たちが、その場で小さく頭を下げる。
「香麗様が仰ったように、みなで作業すると捗りますから。それに、うちの女官や宮女も参加しています。どうか気にせず楽しんでください」
黙々と手元を動かしながら、たまにお茶やお茶菓子をつまんで会話を続ける。そんな中、香麗様が思い出したように尋ねてきた。
「そういえば、雪花様はお聞きになりましたか? もう少ししたら秋宮にお妃候補がいらっしゃるというお話し」
「はい。煌月殿下が教えてくださいました」
「わたくしもです。これで漸く全ての宮にお妃候補が入ることになりますね」
「東宮が今より賑やかになりそうですね」
「えぇ。ですが、わたくしたちは共に煌月殿下をお支えする仲でありながら、殿下の正室の座を争うのですよね。そう思うと、今こうして雪花様と仲良く机を囲んで刺繍をしていることが少し不思議です。……雪花様は…………その、気にされますか? お妃の序列や未来の皇后について、とか……」
香麗様が言い難そうにしながらも尋ねて来られた。
ここはわたくしの本心を話すべきかしら? それとも誤魔化してはぐらかすべき?
嘘や噂話の絶えない後宮だからこそ、正直に何でも話すことが良いとは限らない。だけど、極力嘘はつきたくない。正直にお話しして良いものかしら?
「わたくしは……」
香麗様や彼女が連れて来た女官たちの視線がジッとわたくしを捉える。わたくしから紡がれる言葉を聞き漏らすまいと、注がれる視線に緊張から思わず唾を飲み込んだ。
その時だ。
「雪花様、香麗様、煌月殿下がお見えになりました」
鈴莉のそんな声で机を囲んでいた全員の視線が彼女へ注がれる。それまで一緒に机を囲んでいた女官や宮女たちが急いで片づけを始めた。
「お通しして」と声をかけると、お部屋の前で待機されていた煌月殿下がすぐに入ってきた。いつもとは違うバタバタとした雰囲気と、香麗様がいることに気が付いた殿下が「おや?」と声を上げる。
「香麗が来ていたのか」
「はい。煌月殿下、お邪魔さてていただいていおります。雪花様たちと刺繍をしていました」
「もしかして春の宴で約束していたあれか」
「そうでございます」
「なるほど。それで……」
納得したような声を漏らした殿下が部屋の中を見回す。
「もしかして、そなたたちも刺繍を?」
わたくしや香麗様の女官と宮女たちの様子を見た煌月殿下が尋ねる。ビクッと肩を揺らした香麗様の女官たちに代わって美玲が口を開く。
「はい。雪花様のご意向でご一緒させていただいておりました」
スッと頭を下げる女官や宮女たち。
「わたくしが以前の時のように、みなで刺繍をしようと考えて参加してもらったのです。元々、これは刺繍が上手くなりたいという冬宮の女官の声で始めたことでしたから」
どこか怯えているように見える香麗様付きの女官たち。以前、香麗様がご挨拶の時に連れてきていた女官は落ち着いている。だが、その他の者たちは恐らくだが、煌月殿下の悪い噂のせいで怯えているのでしょう。
「そうだったか。どうやら私は邪魔をしてしまったようだな」
呟いた殿下の言葉にまたビクッと肩を揺らす香麗様付きの女官たち。
「顔を上げてくれ。私は雪花と香麗と一緒に過ごせればそれでよい。私に構わず、そなたたちは刺繍を続けてくれ」
煌月殿下のお言葉に女官たちが戸惑いながら顔を上げた。そこには優しく微笑まれる殿下の姿があって、恐らくその場に居た大半のものがドキっと胸を高鳴らせたに違いない。
短時間で女官や宮女たちを虜にされてしまう煌月殿下は罪なお方です。