22 失うことの怖さ
春の宴はわたくしに様々な感情を芽生えさせた。
大きな行事が終わった次の日だからか、それともまだ気持ちが追い付いていないからなのか、今日は朝から体が重い。
何時もより少しだけ寝坊してしまったわ。
こんなことで気が滅入るなんて……と、自分の心の弱さにため息が出る。しかし、そんなわたくしよりももっと悲壮な方がいた。
「雪花……様、…………おはよう、ござい…………ます、…………うぅっ……」
青い顔をした天佑様だ。わたくしも起きるのが遅くなってしまったけれど、天佑様もまた遅れていらしたと思ったら、フラフラとお部屋に挨拶に来られた。
「てっ! 天佑様っ!?」
バタバタと美玲や蘭蘭が駆け寄る。
「どうされたのですか!?」
「お顔が真っ青ですよ!!」
「ご心配には及びません。……ただの二日酔い、です」
頭を押さえて天佑様が苦笑いする。
「本当に大丈夫ですか? もし万が一、伝染病だと雪花様や訪ねていらっしゃるかも知れない煌月殿下のお体に障ります。どちらにせよ今日はゆっくり休んでください」
「ですが、私には雪花様の護衛が……」
「そのお体では無理です!!!!」
わたくしの側にいた鈴莉が声を大にしてピシャリと言い放つ。
「美玲、天佑様を頼みます」
「はい! 鈴莉様、お任せ下さい!!」
「蘭蘭は天佑様をお部屋までお連れしたあと、直ぐ戻って来て」
「で、ですが……」
「天佑様は美玲一人で大丈夫です。それに貴女は麗麗と共に雹華と明明に読み書きを教える約束でしょう?」
鈴莉の言葉に「分かりました」と返事をすると、蘭蘭は美玲と共に天佑様を支えて一度部屋を出た。
「天佑様があんな風になるなんて、憂龍様の方は大丈夫かしら?」
鈴莉がソワソワした様子で、部屋の中を行ったり来たりしている。
「そもそも、御自分の限界を把握せずにお酒を呑むなんて! 昨日”酒ごときに呑まれる様な鍛え方はしておりません”などと言っていたのはどなただったかしら? これではいざという時に雪花様をお守りなんて出来ないじゃないの!!」
今度はイライラ混じりの鈴莉の声がする。
「鈴莉は天佑様が心配なのね」
「当然です! 雪花様の護衛として煌月殿下が遣わせてくださったのですから、お体を壊されてはその責務に支障が出ます!!」
鈴莉のムッとした表情。怒っている筈なのに、その感情が心配から来ているからでしょうか。あまり怖くありませんね。
「煌月殿下は天佑様の他にも内密に宦官を一人付けてくださっていると、以前仰っていたでしょう? そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「雪花様って、変なところで呑気ですね」
「そうかしら?」
「はい。昨日のご様子が嘘だったのではないかと思うほどには」
昨日……。
鈴莉は具体的に口にしていないけれど、きっとわたくしが泣いていたことを言っているのね。ここは「何のことかしら?」と誤魔化すことも出来るけれど、わたくしは自分の気持ちに気づいてしまった。
「……」
鈴莉たちに伝えるべきかしら?
わたくしを支えてくれているんだもの。いずれは打ち明けなくてはいけない。でもそれは、鈴莉たちの前に伝えるべき人に伝えてからでも遅くはない気がするわ。
悶々と悩み考えているわたくしの様子に鈴莉が気づいたらしい。「雪花様?」と不思議そうに名前を呼ばれる。
「鈴莉、気分転換がしたいわ」
次に煌月殿下が訪ねていらっしゃったら、わたくしの想いをお伝えする。そう心に決めると、普段通りに過ごしていても落ち着かない。
どこか焦りにも似た心を落ち着かせるように、鈴莉や蘭蘭、麗麗を連れてわたくしは後宮の庭を散策することにした。
すっかり春色に染まった外の景色は青い葉と薄桃色や白色など淡い色の花が綺麗に咲いている。昨日の春の宴では気付かなかったけれど、東宮側の後宮でも花々は綺麗に咲き誇っているようだ。そうして池がある方までやってくると橋の上に人の姿があった。
あれは、…………煌月殿下と香麗様?
仲睦まじく微笑み合うお二人。その姿を目にした瞬間、わたくしは咄嗟に物陰に隠れた。
わたくし、どうして隠れたの? 何もやましいことはしていない。それなのに何故か隠れてしまいたくなった。
「どうしました?」
鈴莉が心配そうにわたくしの顔を覗き込む。
「い、いえ。……疲れてしまったみたい。戻りましょう」
告げてわたくしは元来た道を辿る。
煌月殿下はわたくしも万姫様も香麗様も同じお妃候補として大切だと仰っていた。殿下がわたくしたちを妃として迎える以上、他のお妃候補と仲良くするのは自然なことであり当然なことだ。それなのに、わたくしは香麗様と煌月殿下が仲良くされている姿を直視出来ない。
どこからどう見ても、わたくしよりお二人の方がお似合いに見える。一度そう思ってしまったら、どうしようもなく不安になった。
『辛いときは、辛いと言っていい。泣きたいときは私に甘えてくれ。……今なら誰も見ていない。ここには私とそなたしかいないのだから』
昨日、煌月殿下はそう仰った。でも、この気持ちは口にして良いものとは思えない。煌月殿下はいずれ冠帝国の皇帝陛下になるお方。世継ぎをもうける義務がある彼に”香麗様と仲良くしないで”なんて言えば、煌月殿下を困らせてしまうだけなのだから。
それでもしも、煌月殿下に嫌われてしまったら…………
そう考えただけで恐ろしかった。久しぶりに心を許してもいいと思える人に出会ってしまったから、尚更かもしれない。
あの日、家族を失った喪失感を今でも覚えている。煌月殿下の優しさに触れてしまったわたくしは、またその温もりを手放すことになるかも知れないことが怖くて仕方なかった。