21 隅に咲く華
「煌運! こんなのところにいたのね!!」
突然聞こえてきた声に、わたくしの隣りに座る煌運殿下の肩がビクッと跳ねた。
「は、母上……」
わたくしや周りにいたお妃候補を含め皆がサッと頭を下げる。
「みな、顔を上げて頂戴。皇帝陛下が本日は無礼講だと挨拶していた通りです」
その言葉で顔を上げる。皇后陛下がスッと腰を落とすと煌運殿下の肩を手で掴んだ。
「探しましたよ。まさかあなたが皇太子側の末席に居るなんて!」
「っ!」
末席…………そうですわね。
后妃になれば用意される席は皇后から妃の順に並ぶ。つまり、妃の位に選ばれることが多い冬家の者はどの皇帝の時代でも末席に座る者が大半だった。
そして、お妃候補の場合は席の決め方が違う。基本的に春宮から冬宮の順で並べられ、冬宮はいつも皇太子殿下から一番遠い席だ。
そんな冬家の者が唯一末席ではなくなるのが冬家の者が準備を務め、主役になる冬の宴の時。冬の宴の時だけは唯一末席でなくなるけれど、逆にそれら以外ではいつも末席をあてがわれることが、冠帝国の後宮では当たり前になっていた。
きっと理由は単純。毎年例外なくそうされてきた席順を誰も変えようとはしなかった。……いいえ、出来なかったんだわ。何故なら夏家の者から横やりが入るから。
これも初代皇貴妃様の呪いのせいなのかもしれませんね。
「煌運、行きますよ」
「は、母上! 私はここにいます!!」
「何を言うの。お前は皇太子のお妃候補と気軽に触れ合ってはいけません! それも! よりにもよって、冬家の者だなんて!!」
その言葉に周囲の空気がサッと冷えた。
皇后陛下ともあろうお方が、他の者がいる前で冬家を貶める発言をされたからだ。もしかすると、皇后陛下は冬家が関わると良し悪しの判断が鈍るくらいには感情の高ぶりを抑えられないのかもしれない。けれどそんな皇后陛下を止められる者など、この場には誰もいない。
末席、よりにもよって冬家の者……
それら皇后陛下のお言葉が、冬家の者をどう思っているのかを現していて、わたくしの心をズタズタと切り裂いていく。
「皇后陛下、申し訳ありません!! 万姫が煌運殿下のお側にいながら気づきませんでしたわ! わたくし、皇后陛下と煌運殿下をお見送り致します!」
万姫様が立ち上がると皇后陛下の隣に並ぶ。
「さぁ、参りますわよ。煌運殿下」
遠縁とはいえ、親戚まで出てきては煌運殿下もあまり強く出られないようだ。諦めた煌運殿下が黙り込んだその時、わたくしの隣から低い声が響いた。
「お待ち下さい、皇后陛下」
煌月殿下が皇后陛下を呼び止める。
「何です?」
「私のお妃候補がいる前で、冬宮に充てがわれた場所を“末席”などという表現で呼ぶのはお止めください」
ピクリと皇后陛下の眉間が動く。
「どの席を充てがわれようと、どの家の生まれであろうと、私にとってはみな大切なお妃候補です」
「皇太子殿下は若いが故にまだお分かりない様だけれど、後宮において序列は大切にすべきことです。東宮の宮が何故あの並びになっているのか、少し考えれば分かること。多少前後はあれど、皇后の器に成れる者は最初からほぼ決まっているのですよ」
サッと皇后陛下が扇子で口元を覆う。
「后妃選びはくだらない一時の感情に振り回されずに、よく考えることね」
皇后陛下の冷ややかな視線は煌月殿下に向けられている。けれど、わたくしにも向いている気がして、背筋が凍るようだった。言い返すことは勿論、怖気付いて黙り込むことしか出来ないわたくし。だけど、煌月殿下は違っていた。
「皇后陛下こそ、何故この場所に人が集まるのか分かっていらっしゃらないようだ」
「何ですって?」
煌月殿下の一言に皇后の声色が不機嫌を表すように低くなる。
「この場所には今日綺麗に咲いたどの桜の花よりも綺麗な華があるのですよ。男女問わず人を寄せ付ける、とても魅力的で綺麗な華が」
告げると煌月殿下がわたくしの方を向いた。ぱちっと目が合うと、わたくしを安心させるように微笑んで、膝の上に置いていたわたくしの手にご自身の手を重ねられる。
殿下の温かな手の温もりが伝わって、わたくしを優しく包み込むようだった。それだけでズタズタに裂かれた心が温かくなって、ゆっくり修復されていていくような気がした。
「戯言になど付き合っていられません! ほら、煌運行きますよ!!」
くるりと皇后陛下が身を翻して先を行くと、お付きの女官たちがそれに続く。
「こ、皇后陛下っ!!」
残された万姫様は煌運殿下と去って行く皇后陛下の後ろ姿を交互に見て、残るべきか皇后陛下を追い掛けるべきか悩んでいらっしゃるようだった。
「……兄上」
「何だい?」
穏やかな声で聞き返した煌月殿下に煌運殿下が俯きながら声を紡いでいく。
「今回、私は何もできませんでした。…………兄上の勝ちです。でも、私は諦めません」
スッと立ち上がると、煌運殿下は皇后陛下の後を追って駆け出していく。それを追う様にして万姫様も急ぎ足で行ってしまわれた。
飲み比べていた憂龍様と天佑様はいつの間にか手が止まっていた。あれほど盛り上がっていた女官や宮女たちも皇后陛下がいらしてからは静かになっており、何名かは騒ぎに巻き込まれまいと退散していた。
盛り上がる庭園で、わたくしたちの周りだけが靜寂に包まれる。
「万姫様も戻られましたし、わたくしは皇貴妃様と約束がありますので、そろそろ失礼しますね」
香麗様が気を使って席を立つ。
「ああ」と頷いた殿下に軽く会釈をして香麗様も行ってしまわれた。側には天佑様に憂龍様、それから冬宮の者もいるけれど、わたくしは煌月殿下と二人取り残された。
「煌月殿下……ありがとうございます。わたくしを庇って下さって」
「大したことじゃない」
「いいえ。…………大したことです」
何せ、この国で皇帝陛下の次に偉い御方に言葉で立ち向かわれたのですから。
「憂龍」と殿下が声を掛けると、憂龍様は殿下の言いたいことが分かったようで、テキパキと周りにいたわたくしの女官や宮女に指示を出す。
「お待たせ致しました」
暫くしてから鈴莉の声と共に、わたくしと煌月殿下の前に小さな器でお酒が用意された。それを合図にしてサッと皆がわたくしたちから少し距離を取ると、背を向けて座る。
同時に重ねられていた殿下の手が離れた。温もりが無くなって寂しさを覚え始めていると、殿下がわたくしの肩を引き寄せて寄り添って下さる。
「今日は折角の花見なのだ。少し一緒に飲もう」
「はい」
頷いて器に口を付けると一口飲む。お酒独特の香りと味わいが鼻から抜けていった。
ひらりと、どこかから舞ってきた桜の花びらがわたくしの膝に落ちてくる。
「辛いときは、辛いと言っていい。泣きたいときは私に甘えてくれ。……今なら誰も見ていない。ここには私とそなたしかいないのだから」
広い庭園の端。殿下の胸に隠れて頷くと、わたくしは静かに涙を零した。




