20 煌月殿下とお妃候補たちの交流
わたくしの席の周りが賑やかになったことで、夏宮の女官や宮女はもちろん、宮仕えではない宮女たちもこちらの様子を窺っていた。その中には、こちらの輪に入りたい者もいるようだが、立場的にも輪に入り難いらしく、遠目から様子を見つめてソワソワしている。
「お待たせ致しました!」
お酒を抱えて戻ってきた雹華と明明。行く時より増えている憂龍様と天佑様の飲み比べの観客を目にして驚いていた。
わたくしは「雹華」と手招きして彼女を呼ぶと、遠くからこちらを見つめている宮女達を指す。
「あそこにいる彼女たちに声を掛けて、わたくしたちの輪に入れてあげて欲しいの」
せっかくの春の宴ですもの。遠くから眺めるだけではなく、間近で楽しんで欲しい。そう思ったわたくしの意図をくみ取った雹華が「はい」と返事をして宮女達の元へ向かう。
その姿を確認して、飲み比べ中のお二人へ視線を戻す。
もう何杯目かは分からないけれど、お二人ともまだお顔の色が赤くないところを見ると、お酒にはお強いようだ。
「雪花様はお二人の飲み比べを見ていて楽しいですか?」
隣に座る煌運殿下が話しかけてくる。
「楽しいかどうかは分かりません。ですが、みな応援していますから、どちらの方がお酒に強いかは興味がありますね」
「では、お酒が飲める男性の方が好ましいですか?」
「え?」と煌運殿下を見る。曇のない眼差しがわたくしを見つめていた。
「考えたこともないので、分かりません」
わたくしは嗜む程度にしかお酒を飲んだことありませんし、どちらかと言えば苦手な方でしょうか。そういえば、煌月殿下はどちらでしょう? 殿下がお酒を呑んでいる姿はこういった宴の席でしか見たことありませんが、あまり沢山呑んでいらっしゃる姿は見たことありませんわね。
「では、お酒が飲めても飲めなくても雪花様はどちらでも良いということですね」
「え? えぇ……」
頷くと煌運殿下が嬉しそうに笑う。
「では、私が無理にお酒を飲むのはやめておきます」
「殿下……?」
もしかして、わたくしがお酒が飲める男性の方が良いと答えていたら、煌運殿下はお酒を飲むおつもりだったのかしら?
「……」
煌運殿下がもし、わたくしのことを一人の女性として慕っているとしたら……
そんな不安な気持ちが込み上げてくる。
「ここは随分と盛り上がっているな」
「おっ、煌月殿下! 殿下も飲み比べに参加されますか?」
天佑様の声にハッとしてそちらを見ると、煌月殿下が万姫様と香麗様を連れてやってきた。
煌月殿下に対して少し砕けた天佑様の話し方は新鮮だった。
皇帝陛下が先程のご挨拶で“今日は無礼講だ”と仰っていたから、そのせいでしょうか。
そんな風に考えていると、一瞬パチっと煌月殿下と視線が合う。けれど、わたくしは咄嗟に目を逸らしてしまった。
「そんなことをしたら明日に響きそうだからやめておく。天佑も程々にな。私が知っている限りでは憂龍は後宮一の酒豪だ」
殿下のお言葉に周りがザワつく。
この飲み比べ、どうやら憂龍様が有利なようです。
「ところで天佑、場所を空けてくれるか?」
煌月殿下のお言葉の意味を天佑様が2、3秒考えたあとパッと身を引くとわたくしの隣を開けた。そこに殿下が座り込む。そんな煌月殿下の隣からは「ちょっと! わたくしの座る場所も開けてくださるかしら?」と万姫様の声がしていた。
「やっとそなたに会えた。……雪花」
「……煌月殿下」
にこやかに笑いかけてくださる殿下のお顔が、とても眩しい。そして、殿下への気持ちを理解したわたくしは、その笑顔に胸が締め付けられる。
「兄上、雪花様のお側には私がおります。ですから、どうぞ万姫様と香麗様を連れてお好きなところでごゆっくり寛いでください」
ジッと煌運殿下が煌月殿下を見据える。
「ふむ。……そなたの言う好きなところを求めて私はこうしてここに来たのだ。だから気にするな。煌運こそ、どこでも好きな場所へ行って良いのだぞ? そう言えば先ほど月鈴がそなたを探していたな」
まさかご自分がここを離れるよう言い負かされるとは思っていなかったのでしょう。煌運殿下が言葉に詰まっている。
お二人の間に挟まれたわたくしは、どうして良いか分からず視線を彷徨わせた。ふと、斜め前に座る香麗様が見えて、わたくしは助けを求めるように彼女を見つめる。
わたくしの視線に気付いて、にこっと会釈された香麗様。彼女はお付きの女官からお酒の器を受け取って、それに口を付けるところだった。
助けを求めたつもりだったのに、意図に気付いてもらえなかったわ……
途方に暮れていると隣から声がする。
「綺麗な刺繍だな……」
煌月殿下の視線がわたくしの膝元に注がれていた。先ほど目元を拭った時に持っていたままの手巾を見ているのだと直ぐに分かった。
「春の宴に合わせて繕いました」
桜の花の刺繍。これを作っているときは、こうして殿下の目に留まるとは思いもしなかった。「見事だ」と褒めてくださった殿下のお言葉に嬉しくなっていると、香麗様が身体を乗り出してわたくしの手元を覗き込む。
「まぁ! 雪花様、とても素敵な刺繍ですね!」
「あら? 刺繍でしたらわたくしも得意ですわよ。今度殿下にお見せし致しますわ!」
万姫様が言うと「ああ、楽しみにしているよ」と煌月殿下が頷く。
「わたくしは不器用で……雪花様たちが羨ましいです」
苦笑いを浮かべる香麗様にわたくしは付け足す。
「女官の美玲たちと一緒に作業したんです。彼女も刺繍が上手くなりたいと言っていたので、刺繍のお手本を用意してそれぞれ好きな柄を入れました」
「そうなのですか?」
香麗様に「えぇ」と頷いて「美玲」と彼女を呼ぶ。控えめに前に出てきた美玲が一緒に刺繍した手巾を取り出した。
「まぁ、お上手じゃありませんか」
「勿体ないお言葉です。香麗様、ありがとうございます」
ペコッと頭を下げた美玲から視線を外した香麗様がわたくしを見る。
「雪花様、春の宴は今日で終わってしまいますが、また刺繍をされる予定はございますか?」
「えぇ。具体的にいつとは決めておりませんが、気が向いたときに作業していますよ」
「よろしければ、今度わたくしもご一緒させて下さい!」。
少し食い気味に仰った香麗様に一瞬呆気にとられる。
煌月殿下のお妃候補として争う立場のわたくしたちが、仲良くなっても良いのかしら?
わたくしは香麗様と仲良くできる?
先ほどまで笑いあっていた煌月殿下と香麗様の姿が頭を過る。胸が苦しい。けれど、この後宮で生きていくなら、わたくしは彼女とも時に協力して煌月殿下を支えなくてはならない。これはそのための第一歩なのかもしれません。
「えぇ。是非よろしくお願いします。香麗様」