2 雪花の過去
今から約三年前。わたくしは冬家の本家屋敷で両親と兄の三人で暮らしていた。
「雪花、何か欲しい物はあるか?」
「欲しい物ですか?」
「来月はお前の十一歳の誕生日だからな。何でも好きな物を買ってあげよう」
珍しい父の言葉にわたくしは「やったぁ!」と瞳をキラキラさせて、それから一生懸命考える。
反物で新しい衣を仕立ててもらうか、それとも帯がいいかしら? あぁ! 簪も捨てがたいわ!!
幼心にそんなことを思う。けれど、そのどれもが欲しいと言わなくても“雪花に似合いそうだったから”と、お父様が贈ってくださる物ばかり。物はもう十分に与えてもらっている。だから、わたくしはささやかな幸福を望んだ。
「お父様、わたくしは美味しい食事をお父様とお母様、お兄様と一緒に食べたいです!」
「そんなことで良いのか?」
「はい! 雪花は家族で一緒にいる時間が一番大好きです!」
「よぉうし! 分かった!! 料理人に雪花の好物を沢山用意させよう!!」
そんな約束をした数日後。何時ものように家族で夕餉を食べ始めると、突然両親と兄が苦しみだした。
「お母様!? お兄様っ!!」
そうして数秒後には三人とも泡を吹いて、それから動かなくなる。
まさか、毒!? だとしたらわたくしも同じ物を口にしたわ!!
そう認識した途端、ガタガタと体が震えた。
わたくしも同じように苦しんで死ぬんだわ……!!
「あぁっ! お父様っ!!」
部屋の外からバタバタと足音が響いてくる。
冬家の使用人が戸を開けて部屋の中を確認すると、その惨状を目の当たりにして顔を青ざめさせた。
「雪花!! 何事だ? 何があった!?」
使用人の後ろから聞き覚えのある声がした。
「叔父様っ!! お父様が! お母様がっ! お兄様がぁっ……!!」
不安と悲しみで一杯だったわたくしは椅子から降りると、叔父様に抱きついた。
「…………秀英、まさか本当に死んでしまうとはな」
どこか嬉しそうな声に聞こえて、わたくしは叔父様を見上げる。
「……お、叔父様…………?」
「雪花、案ずることはない。お前はこの私、秀次が責任を持って育てる。お前は今日から私の娘だ」
ニヤリと不気味に笑った叔父様の顔は今でもよく覚えている。
こうしてわたくしは叔父である秀次の養女となり、そこから三年間、彼の屋敷で暮らすことになった。
*****
わたくしが叔父様の養女として迎えられてから、初めての誕生日がやってきた。冬家の本家の娘として、叔父様は盛大に祝の宴を開いてくれた。
冬家の親族一同や縁のある家門の者、それから交流のある貴賓たちで溢れた会場。その宴の席で本日の主役として挨拶をしたあと、わたくしはこっそり会場を抜け出して誰も居ない庭に出る。
とても豪華な宴だった。けれどわたくしの心は沈み切っていた。
養女に迎えられてから、トントン拍子でわたくしがお妃候補として後宮入りすることが決まったのも理由の一つだ。
「名誉なことだ! 雪花も嬉しいだろう!!」
叔父様は嬉しそうに言っていた。けれど、少しも嬉しくない。
本当ならわたくしは今日、生まれ育った家でお父様やお母様、お兄様と三人で美味しい夕餉を食べている筈だった。
叔父様はわたくしを養女として引き取って下さったし、衣食住に困ることなく生活できているのも叔父様のお陰だ。けれど叔父様や叔母様、それから従姉の衣衣とはどこか距離を感じていた。
何より叔父様はわたくしの家族を殺した相手。
あの日、どうしてわたくしだけ生かされたのか。
その疑問の答えをわたくしは昨日知った。叔父様と叔母様の会話を聞いてしまったのだ。
『何度も言わせないで! 大切な衣衣をあの冷酷無慈悲と呼ばれる皇太子の元にやれるわけないでしょう!!』
『そこをなんとか、考えを改めてはくれんか?』
『第一、あの子が嫌がっているのよ? 貴方は娘が無惨に殺されても良いと言うの!?』
『落ち着け。いくら煌月殿下が敵国で逆らった女や子どもを惨殺したとはいえ、自身の花嫁を殺すことは無いだろう』
『そんなの分からないじゃない! 大体、その為にわざわざ手を汚してまで前当主だった秀英の娘を連れてきたのでしょう!! 貴方があの子を後宮に送るって言うから、我慢して面倒見てやってるの! じゃなきゃ、今すぐ追い出してるわよ!!』
『っ!』
ショックだった。
わたくしの憶測ではなく、叔父様と叔母様の会話で彼らが家族を殺めたと聞かされたこともそうだけれど、叔母様がわたくしをそこまで嫌っていたなんて……
叔母様がわたくしをよく思っていないことは態度でそれなりに分かっていた。けれど、ここまでとは思っていなかった。つまり、この家の人たちにとってわたくしは後宮へ送る生贄なのだ。
自分の娘の身代わりにわたくしを後宮へ送って、そうまでして冬家当主の座と王家との強い繋がりが欲しいのね……
ポロッと涙が零れる。
わたくしはこの世で独りぼっちになってしまった。お父様やお母様、お兄様と一緒に過ごせられたら、それだけで良かったのに。
「泣いているのか?」
直ぐ後ろでそんな声がしてハッとする。
わたくしは袖で涙を拭って、その人を見た。けれど周りに灯りはなく、あいにくの曇り空のせいで相手の顔はよく見えない。だけど、まだあどけなさの残る声や背丈からして、年上の男の子に思えた。
「主役がこんなところにいて良いのか?」
「……いいんです。わたくしはこの家の本当の子じゃないから」
「養女になったそうだな」
「……ご存知なんですね」
まあ、今日この会場に来ているなら当たり前かしら。
「冬家の新しいご当主はそなたのために宴を開いているんだ。大切にされている証拠だろう?」
「……」
少し前ならわたくしもそう思ったかもしれない。いや、無理矢理にでも思い込んでいた筈だわ。だけど、家族が殺される瞬間をこの目で見た上に、叔父様と叔母様の会話を聞いてしまえば、もうそんな風に割り切ることは出来なかった。
「わたくしは生贄です」
「生贄?」
そう聞き返されて、“どこの誰かも分からない人に口を滑らせてしまったわ!”と焦る。
「な、何でもありません。忘れてください。……ところで貴方はどうしてここに?」
「未来の花嫁になるかもしれない相手の顔を見に来たんだ」
今日の宴には年頃の娘やこれから年頃になっていく娘も沢山参加している。目の前の彼には、まだ顔を見たことがない許嫁か婚約者がいるのかもしれない。
「そうですか……」
「泣いていた理由を聞いても良いか?」
「面白い話では有りませんよ? それに話したところで、貴方を困らせるだけだと思います」
「それは承知の上だ」
困らせると言えば諦めると思いきや、それでも聞きたいと即答されてしまった。
「……、後味の良い話ではありませんよ?」
「あぁ」
「……」
この方、一歩も引かないわ。
わたくしはため息を付いて、それから口を開く。
「両親と兄が殺されました」
「……? 冬家の前当主はきのこの毒に当たったと聞いたが?」
「あの日の食事にきのこはありませんでした」
「……」
「わたくしの家族は、……叔父様が冬家当主の座を手に入れるために殺されたんです」
わたくしがそう告げると、相手は黙り込んでしまった。
「だからお伝えしましたよね? 後味の良い話ではないと」
「……すまない。……私はとても無神経なことをそなたに尋ねてしまった」
「良いのです。その代わり、今話したことは誰にも言わないでくださいね」
しーっと人差し指を口元に当てて、わたくしは彼に約束を持ちかけた。
戸惑いながらも彼は「あぁ」と頷いてくれた。
*****
『察するに、そなたは後宮へ送られることを不服に思っているのだな?』
あの日の去り際、彼が尋ねてきた言葉だ。
『叔父様は“名誉なことだ”と仰っていましたが、わたくしはそう思いません。後宮は様々な人間の思惑が入乱れる場所。わたくしはそういう所は苦手です。名誉も権力もいらない。ただ家族と一緒に過ごしたかった。……ただ、それだけなんです』
わたくしが後宮に否定的な意見をのべると、彼はそれを否定した。
『案外、後宮も悪いところばかりではないと私は思うぞ』
『どうしてそう言えるんです?』
『皇太子の寵愛が受けられれば、そなたの考えはひっくり返るだろう』
考えすらしなかった“皇太子の寵愛”と言う言葉に、わたくしは瞬きを繰り返したのだった。
彼が何者だったのか、わたくしは分かっていない。それはお妃候補として後宮に入った今も分からないままだった。