19 気付き
一通り挨拶を終えて席に戻ると、程なくして皇帝陛下と煌月殿下がお見えになった。会場が後宮中の人で埋め尽くされる中、春の宴が始まろうとしている。
皇帝陛下が立ち上がって前に出ると、軽く挨拶のお言葉を述べられた。挨拶の最後に「今日は無礼講だ。故に、みな存分に楽しむが良い」と締め括られると会場が歓声に包まれて、それを満足そうに眺めると皇帝陛下は席に戻られた。
春の宴は踊り子たちの舞から始まる。楽器に合わせて華麗に舞う踊り子に後宮中の女は勿論、宦官たちも見とれていた。
程なくして、舞の演目が終わるとそこからは自由行動となる。各々好きな場所に移動して、お酒や食事、菓子などを片手に気の合う者同士集まって、可憐に咲く花を愛でながらお喋りを楽しむのだ。
ちらりと煌月殿下の方へ視線をやると、殿下は香麗様とお話しされているところだった。そう言えば、殿下が他のお妃候補と二人だけで話している姿を見る機会は今までなかった。
だからでしょうか?
きゅっと胸を掴まれているような、そんな不快な感覚がわたくしに芽生える。
お二人から視線を外せば、目の前には沢山並べられた美味しそうな食事。そして香り高いお茶にお酒がある。お酒があまり得意ではないわたくしは、そっとお茶の器を手にとって、気持ちを落ち着かせるように香りを吸い込むと、一口飲んだ。それでもまだ落ち着かない。
どれだけ気を落ち着かせようとしても、わたくしの意識は煌月殿下と香麗様へ向かっていた。楽しそうに笑うお二人が目に入る。今思うと、あれほど毎日のように煌月殿下は冬宮にいらして下さっていたのに、わたくしは殿下の前で一度しか笑ったことがない。
煌月殿下はわたくしのこと想っていると仰っていたけれど、こんなわたくしと一緒にいて楽しかったのかしら?
わたくしはきっと可愛げがなかったことでしょう。それに比べて、香麗様はわたくしより見た目も笑顔も愛らしい方。香麗様が後宮に来てから、煌月殿下のお心が香麗様へ傾いたとしても何ら不思議ではない。
またお二人に視線を向けると、そこに万姫様が加わって楽しそうにしていらっしゃるようだった。
わたくしには万姫様のように、人の中に入っていく勇気もないわ……
思わず俯くと、ポタッと涙がこぼれ落ちる。
「っ……?」
わたくし、どうしてしまったの…………?
「雪花様?」
わたくしの様子に気付いた鈴莉が名前を呼ぶ。
「……何でも、ないの…………」
答えて今日の為に刺繍を施した手巾を取り出すと、目元の水分を取る。
今更、気付いてしまった。わたくしはとっくに煌月殿下を想っているのだと。殿下をお慕いしているのだと。
遅すぎる気持ちへの理解に頭が追いつかない。
「目が痛くて。……きっと、ゴミが入ったのね」
それでも、こんなことで涙を見せているようでは駄目だ。後宮で弱みを見せる訳にはいかない。
ぐっと堪えて、わたくしは上を向く。
「雪花様、ご一緒しても良いですか?」
背後からそんな声がしてハッと振り向くと、煌運殿下の姿があった。
「……え、ええ。勿論です」
にこっと笑顔を作って煌運殿下を招き入れると殿下は私の右隣に座った。
「では、ここからは私も雪花様とご一緒させてもらいましょうかね」
言うや否や、天佑様が何処かからお酒を持ってやってくるとわたくしの左隣に座る。
「天佑、そなたは雪花様の身を守るのが役目だと兄上から伺いました。それなのにお酒を飲んで、いざという時に雪花様をお守り出来るのですか?」
「煌運殿下、心配せずともこの天佑、酒ごときに呑まれる様な鍛え方はしておりませんよ」
答えると盃に注がれたお酒をクイッと呑む。
「それに、煌運殿下は煌月殿下よりも上手く雪花様を守れるのですよね? だったら私が少しぐらい酒を呑んでも問題ないでしょう。ここには雪花様の護衛が二人も居るではありませんか」
煌運殿下が「う……」と言葉に詰まった。大人気ないことに、天佑様がまだ幼い殿下相手に言葉で打ち負かしている。
「天佑様? もう酔っていらっしゃいますね?」
「雪花様、私は酔ってなどいませんよ」
「では、もう少し考えてからお話しください」
「ちゃんと考えて話しています」
何でもない表情で天佑様が答える。
「大人げないとは思わないのですか?」
「まぁ、それはそうですが…………」
そこまで言うと天佑様がちらりと煌運殿下を見て、それからその奥にいらっしゃる煌月殿下の方へ視線を向けられた。
「憂龍の奴が煩いんですよ……」
「憂龍様が?」
それはどういうことかしら? どうして突然、憂龍様のお名前が出てくるのでしょう?
首を傾げていると、突然わたくしの後ろに影が出来る。振り向くと憂龍様が天佑様を見下ろしていた。
「天佑、全て私のせいにするつもりか?」
「そんなわけ無いだろ。それに……」
そこまで言って、天佑様が一度わたくしの方へ視線を向けた。
「こうなってしまった以上、責任は俺たちにある。憂龍、お前も共犯だからな?」
「はぁ」と憂龍様がため息をつく。
「そう言う訳なんで。雪花様、私も混ぜてください」
ストンと憂龍様が天佑様の隣に座り込んだ。
「え、えぇ。どうぞ……」
何でしょう? 会話を聞いていても、お二人が何を思ってわたくしのところに集まってきたのか全く分からないわ。
一人悶々と考えていると、ふと美玲たち冬宮の女官や宮女がそわそわと身だしなみを気にして髪や衣を整えていることに気が付く。そういえば、憂龍様は宦官の中でもとても整ったお顔立ちのお方。
後宮の女官や宮女は皇帝陛下や皇太子殿下の妃嬪になる可能性を秘めている。故に、皇帝陛下と皇太子殿下以外の男性で関わるとしたら宦官しかいない。そのため、容姿のよい宦官を目にすると色めき立ってしまうようだ。
憂龍様は確か、西部地方のお生まれで桜家と縁のあるお方だった筈。家柄の良い方だから、憂龍様を狙っている女官や宮女は案外多いのかもしれませんね。
「なんだ? 飲み比べでもするか?」
ニヤリと天佑様が憂龍様を見た。
「勝ったら何かくれるのか?」
「そうだな、…………勝った方が負けた方の言うことを一度だけ聞くというのはどうだ?」
「ノった!」
普段はキチンとしていらっしゃるお二人が、お酒の飲み比べ……
辺りの者がゴクリと息を飲む音が聞こえた気がした。
「ではっ! 私、お酒を貰ってきます!!」
「わっ、私も!!」
雹華が立ち上がると明明も彼女のあとへ続いて、いそいそとお酒を貰いに奥へ消えていく。
「憂龍様! 頑張って下さい!」
「天佑様も! 負けないで!!」
蘭蘭、麗麗が応援する。鈴莉も口にはしないものの、お二人の飲み比べには興味があるらしく、手を握って真剣な様子で見守っていた。