17 宴の席
春の宴の当日。この日は朝早くに準備を始めた。
湯浴みで念入りに磨き上げられた身体に、いつもより華やかな衣が重ねられていく。普段は淡い水色の衣を着用しているわたくし。けれど、春の宴では花見に合わせて赤や桃色といった色合いを身に着ける事になっている。女官や宮女たちの手で着替えを済ませ、顔に化粧を施してもらい、仕上げに赤い紅を差せば完成だ。
「雪花様、出来ました」
鈴莉の言葉で鏡に映るわたくしの姿を見る。
わたくしはお化粧があまり好きじゃないから、普段は殆どしない。そのせいか、そこに映る自分の姿はまるで別人のように見えた。衣の色だって後宮に上がってからは初めて着る色合いだ。幼い頃は赤や桃色の衣も好んで着ていたので、どこか懐かしくなる。
「雪花様、天佑です。お迎えに上がりました」
部屋の外からそんな声がして「どうぞ」と声をかける。
「準備は整いましたか?」
「ええ。わたくしは今終わったところよ。みなも準備できました?」
天佑様に答えて辺りを見回す。
「はい! いつでも出発できます」
答えた美玲にわたくしは頷く。
「では、参りましょう」
*****
皇帝陛下とその妃嬪が住まう王宮内。春の宴の会場はその後宮の中で一番広い庭園、朝来庭園だった。
皇帝陛下と皇太子殿下を挟むように皇帝陛下の妃嬪と皇太子殿下のお妃候補が並んで、それぞれの観覧場所が用意されている。宮ごとに用意された観覧場所は妃嬪やお妃候補の後ろに女官や宮女も座れるようになっていて、ゆったり横に5人分の座席が2列並んでいる。そこには朱色の敷物が敷かれていて、用意されていたふかふかの座布団にわたくしは腰掛けた。
冬宮の席は一番端に用意されており、煌月殿下のお隣は本日の主役の一人と言える桜家の香麗様だ。
辺りはどこを見ても華やかに咲いた桜が満開で、まるで今日に合わせたかのように花が咲き誇っている。
「あら。雪花様、お久しぶりですわね」
間を少し空けて設けられた夏宮の場所から、先に到着されていた万姫様が声をかけて来た。
「万姫様、お久しぶりです」
「雪花様が中々お見えにならないから心配しましたわ。ほら、后妃様方よりわたくしたちお妃候補が先に会場へ来るのは当然でしょう? ですから、また体調を崩されたのかと……」
心配そうに眉を歪める万姫様。
この表情も演技でしょうか? それとも本当にわたくしを心配してくださっているのかしら? なんて考える。
「それはご心配をおかけしました。冬宮はこの朝来庭園まで東宮の中では一番距離がありますから、わたくしも早く宮を出たつもりでしたが、思いの外時間がかかってしまったようですわ」
「女は準備に時間が掛かりますものね。雪花様のところはわたくしの宮に比べて女官も宮女も足りていないとか。大変でしょう? 必要あればわたくしの宮の者をお貸ししますから、遠慮なく仰って下さいね」
今の万姫様の言葉を要約すると、冬家は財力も権力も夏家と比べて乏しいから、後宮に上げられるような優秀な人間が少ないのでしょう? といったところでしょうか。
きっと、万姫様はわたくしを心配している訳ではないのでしょう。
バチバチとわたくしと万姫様の間で目に見えない火花が散る。
「お気遣いありがとうございます。ですが、煌月殿下が優秀な宮女を遣わせて下さったので問題ありません。わたくしの宮は少数精鋭で回しておりますから」
取り敢えず人を数集めれば良いというものではありませんわ。有象無象では役に立ちませんから。煌月殿下のお気遣いもあって、冬宮は例え少人数でもきちんと回っていますもの。
「まぁ、雪花様のところにも? 実はわたくしのところにも煌月殿下が優秀な宮女を遣わせてくださいましたの! 殿下は本当にお優しい方ですわ! 別け隔てなくわたくしたちに宮女を遣わせてくださるなんて!!」
雪花様のところだけじゃありませんわよ? ご自分だけ特別だと勘違いなさらないでね。と言いたいのでしょう。まぁ、その件については煌月殿下からお聞きしているので、わたくしも知っていましたけれど。
「そうなのですね。流石、煌月殿下ですわ」
きっと万姫様はわたくしが今初めて知ったと思っているにに違いありません。だからでしょう。彼女が勝ち誇ったような笑みを隠すように、扇子で口元を覆って笑っている。
「わたくし、后妃様方にご挨拶してきますね」
本当は極力、雪欄様以外とは関わりたくない。けれど、そうも言っていられない。それに、お見舞いの件に関して文でしかやり取りを返していない后妃様方が殆どだった。そのため、一度直接お礼とお詫びを顔を合わせて伝える必要があった。何より、万姫様とお話しするのに疲れてきたわたくしは一刻も早くこの場を離れたくて仕方がない。
本来であれば、わたくしと万姫様の間には豊家のお妃候補が座る。けれど、まだ候補者が決まっていないためか、誰も後宮入を果たしていらっしゃらないが故に、万姫様とこんな会話を繰り広げてしまっていた。
「でしたら、わたくしもご一緒して構いませんか? 丁度、ご挨拶しようと思っていた所でしたの」
わたくしは思わず「ぇ……」と小さな声で固まる。
それは困りましたわ……
「……ですが、わたくしこの間のお見舞いの御礼も兼ねてご挨拶したいと考えておりますので」
「わたくしは気にしませんわ」
いいえ……! わたくしが気にするのです!!
「万姫様、恐れながら申し上げます。雪花様は個人的なご挨拶を兼ねていらっしゃるようですし、個別にご挨拶なさった方が宜しいのではないでしょうか?」
万姫様の後ろに控えていた宮女の一人がそう申し立てた。
「…………そう。煌月殿下が遣わせて下さったあなたがそう言うのなら今回はそうしますわ。ですが! 一介の宮女が口を挟むことは今後慎みなさい」
キッと万姫様が宮女に睨みを利かせる。話しからして、あの宮女は煌月殿下が万姫様のところに遣わせた宮女のようだ。
「出過ぎた真似をしてしまい申し訳ございません。心得ておきます」
深々と頭を下げたその宮女は、わたくしにとっては救世主の様な存在だった。
流石、煌月殿下が選んだ宮女ですわね。
スッと上げられた顔を見る。色素の薄い瞳の色をした宮女だった。