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16 春の宴に向けて

 香麗(シャンリー)様が後宮にいらしてから一ヶ月が立った頃。もうすぐ春の宴が始まる後宮は慌ただしかった。

 毎年季節が巡るたびに開催される宴。

 春は花見、夏は避暑を目的とした水辺での食事会、秋は狩り、冬は自然の恵みに感謝することを目的とした食事会が行われる。因みに、この宴の日は後宮の妃嬪が全員参加することになっている。


 暑くて大変な夏と寒さが厳しい冬は皇族と妃嬪たちで顔を合わせて食事をするのみの簡単な宴だ。この日は王宮で働く全ての者たちにも何時もより豪華な食事が振る舞われるが、それだけだった。だが、春と秋は少し違う。


 春の宴では花を愛でながら誰でもお酒が呑めるし、秋の宴では武官だけでなく文官も宦官も志願すれば狩りに参加できる。狩りの参加者は仕留めた獲物の大きさや数でランク付けされ、中でも一番大きな獲物を仕留めた者に褒美を与えられるという。これは王宮中が盛り上がる特別な催しとなっていた。故に、春と秋の宴は(クワン)帝国の王宮にいる全ての者が楽しむことができる宴のだ。


 春の宴を控えた“後宮か慌ただしい”と言っても、慌ただしいのは女官や宮女、宦官といった仕える者達が殆ど。殿下たちや公主様方、そして后妃やわたくしたちお妃候補は前日や当日の着飾る準備に入るまでは、いつもと変わらない日々を過ごしている。


 ──ただし、(オウ)家の者は少し違う。


 春の宴では桜家の者が指揮を取って飾り付けや食材、及び食事の内容などを確認することになっている。その分、春の宴の主役とも言えるだろう。


 現皇帝の皇貴妃様とお妃候補の香麗様は今頃、お忙しい毎日を送っているに違いない。今の時期は后妃から宮女に至るまでが準備に追われている筈だ。


 そして宮仕えではない宮女たちも当然、宴の準備に追われている。だが、他の宮付きの女官や宮女は違った。彼女たちは仕えている宮での仕事が主な仕事だ。そのため、宴の準備にはあまり関わりがなく、殆どが普段と変わりない仕事をこなしている。

 だが、宴の準備に“人手が足りない”と応援を頼まれることもある為、冬宮でも毎日誰かしらが応援に駆り出されていた。


 応援から帰ってきた蘭蘭(ランラン)麗麗(レイレイ)、その他応援に向かわせていた宮女の話だと、今のところ応援内容は掃除と当日の飾り付け関係の仕事らしい。


 冬の宴の時には、わたくしが雪欄様と共に準備をする番が回ってくる。けれど、具体的にどの様な事をするのか、よく分かっていない。前回の冬の宴の時は、わたくしはまだ後宮入り前だった為、一度も経験したことはなかった。


 だからでしょう。みなが忙しくしているのに、わたくしだけゆっくり過ごしていて申し訳なく思ってしまう。


 わたくしも何かしないと落ち着かない。そこで、手巾への刺繍と舞の練習を始めることにした。


 刺繍済みの手巾は幾つか持っているけれど、折角の春の宴ですもの。春らしく花柄の刺繍にしましょう。


 生地に針を通してチクチクと手を動かせば、時間が経つのはあっという間だった。


雪花(シュファ)様、少し休憩されてはいかがですか?」


 鈴莉(リンリー)の声で顔を上げて窓の外を見ると、陽が高く登っているのが良く分かった。


「ええ、そうね」

「では、温かいお茶と菓子を用意しますね」


 答えながら鈴莉が準備済みだった茶器でお茶の準備を始めると宮女に指示を出す。

 後宮へ来た頃に比べると、鈴莉は女官の仕事にも随分慣れたようだ。彼女は昔から何でも出来るし、要領が良くて働き者だった。


「お待たせ致しました」


 そんな宮女の声と共に菓子が運ばれてくる。丁度、お茶も淹れたてだ。そっと器を持ち上げれば、お茶の良い香りがする。


「雪花様、もしかしてこちらの刺繍は今の時間でなさったのですか?」


 鈴莉がわたくしが今まで作業していた手巾に施された桜の花を見て瞳を輝かせる。


「ええ、そうよ」

「この短時間での出来栄えとは思えないぐらい素晴らしいです!」

「ありがとう、鈴莉」


 きゃー! と歓声を挙げる鈴莉に美玲(メイリン)が気付いて近づいてくる。


「雪花様は手先が器用なのですね」

「そんなことないわ。ずっとやっているうちに上手くなっただけよ」

「それでも、凄いです。私は今まで何度か刺繍をやっても上手くできた試しがありません」


 シュンと落ち込む美玲。もしかして、美玲は刺繍が上手くなりたいのかしら? だとしたら、わたくしに仕えている女官の心を元気にするのは、わたくしの仕事だわ!


「美玲、わたくしのお古で良ければ手巾を一つあげます」

「えっ!? 私に? そんな……! 勿体ないです!!」


 ブンブンと両手を振って、驚いた顔で遠慮する美玲。


「良いのよ。だから、わたくしの休憩が終わったらそれを手本にして一緒にどうかしら?」


 まだ完成途中の刺繍を見せると「えっ!?」と彼女が戸惑った。


「美玲、雪花様のお気持ちなんだから、素直に受け取っていいのよ」


 鈴莉が美玲の背中を押す。一瞬、躊躇った美玲だったけれど「雪花様が良いと仰ってくださるなら……」と頷いてくれた。



 休憩を終えたわたくしは、美玲の他にも刺繍に興味がある冬宮の女官や宮女たちと机を囲みながら、もくもくと作業していた。


「そう言えば、あれから煌運(コウユン)殿下はいらっしゃいませんね」


 美玲が思い出したように口を開く。


『…………今度、また冬宮に来ます……』


 冬宮から帰られる直前、複雑そうな表情で煌運殿下が残した言葉だ。


「社交辞令だったのではと思います。まだ幼い皇子殿下ですが、皇后陛下の子ですから。そういったところはきちんと教育されているのでしょう」


 鈴莉も美玲の隣で刺繍しながら会話に参加する。


「でも、あの時の煌運殿下のお顔は裏表がないというか、……本気で雪花様のことを考えてるお顔に見えましたよ?」

「美玲、例えそうだとしても雪花様は煌月(コウゲツ)殿下のお妃候補です。煌運殿下とはいえ、そんなことは許されません。それに煌運殿下は皇后陛下の子。つまりは(シァ)家の血筋。罠の可能性も頭に入れておかないと、少しの油断が雪花様を危険に合わせるのよ!」


 鈴莉がビシッと言えば「は、はい。すみません……」と圧倒された美玲が謝る。


「でも、煌運殿下は素直な方よ。美玲が言うようにわたくしも煌運殿下に裏表はないと思うわ」

「まぁ、雪花様まで! 良いですか!? 煌運殿下ご自身はそうだとしても、殿下の後ろには皇后陛下がいらっしゃるのです! 用心に越したことは有りません」

「それはそうだけれど……」


 鈴莉の話は一利ある。もし本気で煌運殿下がわたくしのことを女性として慕って下さっていたとしたら、新たな問題の火種になりかねない。だからそれ以上、返す言葉が見つからない。


「後宮ってこんなに頭を使う場所だったとは思いませんでした。私、文官にでもなった気分です」

「文官って……、美玲ってば、何を馬鹿なことを言ってるの」


 呆れた鈴莉がため息を着きながら額に手を当てる。何だか鈴莉と美玲が姉妹みたいで微笑ましい。


「みなさんは仲が良いのですね」


 一緒に机を囲んで刺繍をしていた宮女の雹華(ヒョウカ)がぽつりと零す。彼女は煌月殿下が新しく連れてきてくださった二人の宮女のうちの一人だ。雹華の隣にはそのもう一人の宮女、明明(メイメイ)が座っている。


「鈴莉たちはわたくしが(トォン)家から連れてきた女官だから、お互いの扱いに慣れているだけよ」


 後宮に入って間もない頃は、美玲たちのことで随分手を焼いたけれど、元から彼女たちへの接し方は変わっていない。

 主は誰か。これがはっきりしたことで、仕えてくれる態度が大きく変わったのだ。


「そう言えば、あなた達は最初から煌月殿下に使えていたの?」


 わたくしが尋ねると雹華が「いいえ」と首を横に振る。


「私たちは鈴莉様や美玲様たちと違い、一般的な公募から後宮入りしました。ですから、最初は見習いとして後宮の掃除や炊事、洗濯などといった下働きから始まったのです。所謂、下級宮女ですね」

「そこから煌月殿下付きの宮女に?」

「はい。何年か働いている内に気にかけてくださるようになって、数ヶ月前に運良くお声掛けいただいたのです」


 交互に話してくれる二人の言葉を整理すると、彼女たちは苦労してここまでやってきたことになる。

 宮女の中には志願して後宮にやって来る者もいれば、人攫いや借金の形として売られて来る者もいると聞く。そんな中で、自らの力でここまで登ってきたのだろう。


「二人とも優秀なのね。試験を受ければ女官に上げてもらえるんじゃないかしら? 試験を受けられるよう、わたくしからお願いしてみましょうか?」


 わたくしが提案すると、明明メイメイが申し訳無さそうに眉を歪めた。


「……雪花様、とても嬉しいお言葉ですが、私たちは読み書きが出来ないのです。故に試験を受ける資格が有りません。……でも、それでいいんです。宮仕えになれただけでも夢のようなお話ですから。凄く嬉しいんです」


 ある程度良いところの家柄やお金のある家だと、読み書きといった基本的な知識は実家で教えられる。文字の読み書きが出来ないとなると、彼女たちの実家はそうではないらしい。


「では、蘭蘭と麗麗に文字の読み書きを教えてもらうといいわ」


 わたくしの言葉に「えっ!?」と二人が目を丸くする。


「雹華も明明も、できることなら女官になりたいと思っているのよね?」

「それは……そうですが……」


 口ごもる明明にわたくしは言葉を続ける。


「あなた達は煌月殿下が連れてきて下さった宮女ですもの。きっと試験に合格できます」

「ですが、私たちは教えを請えるような身分でもなく、お金もそれほど持ち合わせておりません」

「良いのです。あなた達はもう冬宮の宮女よ。そんなこと気にしないで」


 にこっと笑いかけると二人が顔を見合わせた。


「雪花様がこう仰るのだから、あなた達に女官になりたい気持ちがあるなら深く考えずにお受けしなさい」


 今まで黙って聞いていた鈴莉が二人の宮女に言い聞かせる。


「見ての通り、冬宮は他の宮に比べて人が少ないけれど、あなた達が女官になれば、少数精鋭の集まりになります。後宮での争いから雪花様を御守りするためにも、あなた達も力をつけなさい」


「……雪花様、鈴莉様、……ありがとうございます!! 是非、お引き受けします!!」


 手元の刺繍を机に置いた二人がペコッと頭を下げた。


「雪花様、蘭蘭と麗麗が帰ってきたら驚きますよ。きっと」


 美玲の言葉にわたくしは小首を傾げる。


「まぁ、どうして?」

「知らない間に二人の教育係に任命されたも同然だからです」

「あっ、もしかして勝手に決めたこと二人は嫌がるかしら?」

「え? あ! いいえ!! 驚きはすると思いますけれど、喜ぶかと。ですが、あの二人が雪花様から大きな頼み事をされるのは初めての筈ですから、私は空回りしないか心配です」



 ──雪花様はご自分の周りの者をとても大切にされるお方。だから、ついこの間まで秀次(シゥジン)様を主として一番に尊敬していた私たちや、この宮女たちのことも目にかけてくださるのだろう。

 雪花様はそうやって無意識のうちにご自分の味方を増やし、強く成られていくのですね。



 美玲がそう思っていたことをわたくしは知る由もなく、「きっとあの二人なら上手くやってくれるわ」と返事をした。

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