15 笑顔
戦場での出来事は、わたくしには想像も付かないほど残酷だった。それでも、煌月殿下が語ってくださったのは殿下が無駄な殺生を望んでおられないことがよく分かる内容だった。
「洞窟に着くと大勢の民がいた。だが、息絶えている者も数十名いてな。どうにか生きている者たちを助ける方法がないか考え、思い付いたのだ。戦死した兵士を彼らの身代わりにすることを」
「身代わり……? それはどの様に?」
「気付かれないように戦死兵を洞窟に運び入れた。一人ずつ鎧を剥いで、彼らを山のように詰んだ。……生きていた者のうち、比較的体力のあるご老人や体格的に誤魔化せそうな若い女には剥いだ鎧を着てもらって。残りは少数精鋭の兵と共に少し大回りをして、別の道から冠帝国へ向かってもらった。お陰でまんまと叔父上を騙すことができたよ」
そう語る煌月殿下のお顔が和らぐ。少し前までとても辛そうにお話しされていたから、辛い過去を思い出させてしまった……と、わたくしも心が痛んだ。けれど、殿下の表情が和らいだ事でわたくしも気分が軽くなる。
「煌月殿下は策士ですね」
「どうだろう? 何にせよ、私に付いて来てくれた兵が居なければ成し得なかった事だ」
「それでも、元閻国の民を救えたのは煌月殿下のお考えあってこそです」
やはり煌月殿下は優しい御方だわ。
そう思うと、心がポカポカと温かくなっていく。
「ありがとう」
照れた殿下がわたくしに笑いかける。それだけで幸せな気分になった。
「ではあの噂は、煌月殿下が煌雷殿下を欺くことに成功した証なのですね」
「そうだな。表向きには私が閻国の女や子どもを手に掛けたことになっている。だから私に対する世間の評判は落ちたかもしれない。……だが、それで良いのだ。彼らの暮らしを護れたのだから」
煌月殿下は民思いの良い皇太子様だ。
「煌月殿下はきっと良い皇帝陛下になられます。わたくし、今のお話を聞いて殿下のことを更に尊敬しました」
「ははっ、雪花は随分と嬉しいことを言ってくれるな。そう言うそなたは良い皇后になりそうだ」
「えっ? わたくしが? ……わたくしは、そんな……皇后だなんて……」
慌てて否定するように首を振ると、煌月殿下が困ったような表情で椅子に背中を預けた。
「ふむ。そうやって自分を低く評価するところは、そなたの悪い癖だ」
「そう仰っても、わたくしには何の取り柄も御座いませんし」
「何を言う。そなたはこうして後宮に上がるだけの力量が認められてここにいるのだ。気遣いもできて、きちんと考えて行動できる。何より、そなたには周りの人間を惹き付ける力があるではないか」
わたくしの取り柄を語る殿下は実に饒舌で、聞いていると恥ずかしくなる。
「……煌月殿下には、わたくしがそのように見えているのですね」
「ああ、そうだ。お陰で妹と弟にそなたを取られるのではないかと、私は心配しているぐらいだ」
「へ……?」
取られる? わたくしが煌月殿下の弟妹に?
まるで小さい子が玩具を取られるような物言いと、拗ねたような殿下の表情に思わず笑ってしまう。
「煌月殿下、それは考えすぎです」
「そんなこと──!」
否定しようとした殿下がハッとした表情でわたくしを見る。
「…………? どうかなさいましたか?」
小首を傾げて尋ねると「今日は嬉しいことばかりだ」と零した煌月殿下が顔を綻ばせた。
「雪花、やっと笑ってくれたね」
「え?」
「後宮に来てから、雪花は一度も自然な笑顔を見せてくれなかっただろう。それが今、そなたは私のことで自然と笑ってくれた」
言われてみれば、こうした何気ないことで笑うのは久しぶりな気がした。いつからか愛想笑いや作り笑いが上手くなって、笑うことなんて忘れていたみたいです。
きっとそれは、家族を失ったあの日から…………
「この時をずっと待っていたんだ。……私はね雪花、幼い頃に見たそなたの愛らしい笑顔がずっと忘れられなかったんだよ」
「えっ?」
『それでも、一番愛らしい顔はもうずっと見せてもらえてはいないがな…………』
以前、煌月殿下が仰っていたのは、このことだったのかしら?
「少しずつでいい。私に愛らしい雪花の笑顔をまた見せてくれ」
「え、ええっと……」
煌月殿下が嬉しそうに言うものだから、恥ずかしくて目を逸らす。
“では、努力してみます”
そう伝えるつもりだったのに、気が付けば違う言葉が口をついていた。
「では、……また殿下がわたくしを笑わせて下さい」
わたくしはハッと口元を押さえる。ちらっと煌月殿下を見れば、わたくしを見つめたまま瞬きをして、それから口元を綻ばせた。
「分かった。そなたを笑顔にできるよう、努力しよう」
こうして、わたくしが自然な笑顔を見せられるように頑張る筈が、殿下がわたくしを笑顔にする為に頑張ることになった。