14 煌月の初陣
それは煌月が13歳の誕生日を迎えた直後のこと。
当時、隣国だった閻国。現在は冠帝国の東部地域に当たる閻淵の地へ、煌月は次期皇太子として出向いた。
閻国とは隣国としてそこそこの付き合いをしていたが、一年前に突然として冠帝国との国境に武装した数万の兵を送ってきたのだ。それをきっかけに閻国と冠帝国の戦が始まった。そして、当時はその戦も中盤に差し掛かっていた所だった。
「煌月、よく来たな」
拠点に辿り着くと煌月の父、煌凱皇帝陛下の弟、即ち皇弟である煌雷が到着した煌月一行を出迎えた。
「叔父上、お久しぶりでございます。皇帝陛下の命により、必要な食糧などの物資と共に援軍として参りました」
「ああ。ご苦労だった。だが、大変なのはここからだぞ。そなたたちは今まで味方しかおらぬ土地を馬で駆けてきただろうが、これより先、進む道はすべて敵地だからな」
「心得ております」
「しかし、兄上も舐めたものだ。“要らぬ”と申したのに援軍を……それも餓鬼を寄越すとは。いくら兄上の息子と言っても、果たしてどれだけ使い物になるのか。……見ものだな」
フンッと、煌雷が見下す目で煌月に視線を落とす。
皇位争いに敗れた者や皇帝陛下の弟たちは、辺境の地で隣国との境の土地を治め、護ることを任される。煌雷もその一人だった。
野心家だった煌雷は皇帝の座を狙っていたが、それが叶うことはなく、今は辺境の戦地にいる。だから皇帝の座に付いた煌凱は勿論、その息子である煌月が気に食わなかったのだ。
「此奴を一人送りつけるとは、兄上も阿呆よのう。次期皇太子という大事な跡取りが戦場で死ぬかもしれぬというのに。どう考えても愚策。やはり、夏家出身の皇太后陛下を母に持つ儂の方が皇帝に相応しかったのではないのか?」
嫌味ったらしく放たれた言葉に同調するように、煌雷の家臣達が嘲笑う。
「煌雷殿下、恐れながら申し上げます」
煌月の後ろに控えていた逞しい体つきの武官が一歩前に出る。
「煌月殿下の御身にもしもの事が無いよう、私がお側に付いております。万が一の事あらば、この龍強が煌月殿下の盾となりましょう。ですから、ご心配は無用です」
龍強と名乗った男が告げると、煌雷が「ガハハハッ!」と笑い飛ばす。
「たかが二度の戦で勝利を上げた程度の武官が! 図に乗るなよ? 余計なことは考えず、精々死なせぬように頑張るのだな!」
「はっ!」と短く返事をした龍強の声を聞いた直後、煌雷が立ち上がる。
「ではそなたたちも配置に付け!! これより一気に攻め込む!!」
煌雷の一言で戦が始まろうとしていた。
*****
煌月たちが拠点に到着してから丸二日が経った頃。近くの閻国の村々はすっかり焼け野原となっていた。
煌雷は逃げ惑う女や子ども、老人を見境なく切り捨てた。勝利の為ならどんな犠牲も厭わないという考えの持主だったからだ。
煌月や龍強も戦である以上、兵士たちと戦い、時には己自身も傷付きながら閻国を攻めていく。けれど女や子ども、老人を切りつけることはしなかった。何故なら冠帝国が閻国に勝利した暁には、その者たちが冠帝国の民となるからだ。
“民無しでは国は成り立たぬ。故に、民は護るべきものであるからして、犠牲は最小限に抑えよ!”
それが父、煌凱皇帝の教えであり命令だった。
ブンッと剣を振るうたびに目の前の兵士が「ガハッ!!」「ウッ!」「グェッ!!」と様々な声を悲痛に上げて倒れていく。
それらは決して心地よいものではない。夢に出てきそうなほど、必死の形相でこちらを睨む敵兵の最期の表情は、煌月が大人になってからも決して忘れられるものではないだろう。
煌月は顔に飛んできた返り血を腕で拭う。
こんなことはもうしたくないし、させたくない。そんな思いを抱いていると「煌月殿下!!」と龍強の叫び声がする。
ドンッ! と何かが勢いよく体にぶつかった反動で、煌月はズシャァと地面に倒れ込んだ。直後にキィンッ!! と剣と剣がぶつかり合う金属音が鼓膜に届く。煌月が反射的に瞑っていた目を開けると、龍強の剣が敵兵を仕留めた所だった。
「煌月殿下!! ご無事ですか!?」
「あ、……っ! ああ。済まない。……助かった」
煌月はそう返事をして、驚いて動きが鈍くなっている体を何とか立ち上がらせる。その時、ワーッ!! と遠くの方から歓声が上がった。耳を澄ませてみれば、この周辺を護っていた敵国の大将の首を煌雷が捕ったらしいことが分かった。
「どうやら戦いが一段落したようですね」
龍強の呟きに「ああ」と頷く。
周りにいた味方兵は勝利に歓喜し、一方の敵兵はガクッと膝をつく者と一目散に走り去る者とで別れた。
「龍強」と短く名を呼べば「はっ!」と返事が返ってくる。
「この辺り一帯にいる閻国の兵を捕まえて拘束しろ。もう彼らと戦う必要は無いから傷付けるな。それと、逃げ遅れた一般市民を発見したら保護するように」
「お任せ下さい!」
煌月の命で龍強が周囲の兵に指示を出す。
剣を鞘に納めた煌月はホッとした気持ちで辺りを見回した。国の為、民の為とは言えめちゃくちゃだ。復興には時間を要するだろう。少しの間、そうやって思案していると龍強が報告にやって来る。
「少し先の洞窟で村人たちが多く避難しているのを見つけました」
「そうか。では直ちに保護だ。ひとまず冠帝国内の避難所で数日過ごして──」
「待て、煌月」
話の途中で背後から煌雷の声がして振り返ると、馬の背に乗った煌雷がギロリとこちらを睨んでいた。
「それでは駄目だ。この周辺の奴らは全員生かしてはならん」
周囲にいた兵たちが驚きでざわつく。
「叔父上、お言葉ですが彼らはもう冠帝国の民です。これ以上、無駄に血を流す必要は有りません」
「煌月は甘い! それでは戦には勝てんぞ!! 良いか? この戦が始まってから一年が経った今、閻国の兵も王もこの現状に慣れてしまっている。何故なら奴らは我らが閻国の民に手を掛けないことを知っているからだ!」
「それが何だというのです?」
「国土が減っても兵が減っても、戦場で巻き込まれない限り女や子ども年寄りは生きていられる。……そんな生ぬるい現状が壊れたらどうなると思う? 今まで敵国に捕まっても生きていられると思っていたのに、死ぬと知ったら閻国の民は今まで以上に恐怖に陥るだろうな」
「そんなことをしたら閻国の民を必要以上に追い詰めることになってしまいます!」
「だが、そうやって攻めていけば、やがて敵兵にもその恐怖が伝染し、自然と奴らの気力を奪うというわけだ」
「だからといって、民に手を出すのは──」
「やれ」
短くそう口にした煌雷の目付きは鷹のように細く、鋭かった。
「よいな? ここは儂の土地になる。冠帝国に逆らっては生きていけぬこと、閻国の連中にしっかり教え込んでやるんだ。後で様子を見に行くからな」
そう言い残すと、煌雷が付き添いの兵士と共に去っていく。
「いかが致しましょう……」
困惑した龍強が煌月を見た。
「……ひとまず、その洞窟へ案内してくれ。動ける者はみな私に付いて来てくれ」
兎に角、現状を見なければ何も始まらない。煌月は龍強の案内で洞窟へ歩きだした。