13 煌月殿下の噂話
香麗様が帰られたあと、長椅子からぼんやりと陽が傾いた外の景色を眺めて、わたくしは煌月殿下のことを考えていた。
殿下が敵国で逆らった女や子どもを惨殺したという噂は、わたくしも知っていた。けれど、後宮内で女官や宮女たちに手酷い仕打ちをしているなんて噂は初めて聞いた。
後宮でのことが噂になるということは、後宮内の誰かが情報を漏らす、或いは適当な嘘を外部の人間が流しているかのどちらか。でも、王宮や後宮でのことは他言しない方が身のためというのが暗黙の了解だった。
香麗様が嘘を付いている可能性もゼロではない。けれど、わたくしも気になっている。
戦場や後宮の外で過ごす煌月殿下は……どんな風に見えているのでしょうか?
本当に噂通りなのかしら? そもそも噂が全て嘘だとして、殿下が何か策を講じて嘘を流す以外に、噂を流して得する人なんているのかしら?
皇太子殿下の悪い噂なんて、皇帝陛下にとっては良い話ではない筈。つまりは王家にとって良くない話の筈なのに……。
そこまで考えて「あ……」と気付く。
お一人だけ得する御方がいらっしゃるわ。
────皇后陛下。
彼女はきっと自分の子である煌運殿下に皇帝の座を渡したい筈。だとすると、これらは全て皇后陛下の仕業なのかしら?
「……様。…………、雪花様。……雪花様」
鈴莉の呼ぶ声がする。
「……鈴莉、どうしたの?」
外の景色を眺める顔はそのままに尋ねた。
「難しいお顔をされて悩み事ですか? それともまたお体の具合が……?」
鈴莉の言葉にバッと美玲や蘭蘭たちがわたくしを振り返ったのを感じる。
ああ、この流れは良くないわ。また女官たちが過保護になってしまうと思ったわたくしは即座に否定する。
「いいえ。少し考え事をしていただけよ」
「何度もお呼びしたのに、お返事がないから心配しました」
ホッとした顔の鈴莉に「それはごめんなさい」と謝る。
「では問題ありませんね。……煌月殿下、お入り下さい」
その声に「えっ?」と鈴莉の顔を見る。“ですから、何度もお呼びしましたでしょう?”と言いたげな表情でわたくしを見ていた。
「雪花」
「煌月殿下。ようこそお越し下さいました。陽が傾いてからいらっしゃるなんて珍しいですね。もしかしてご公務がお忙しいのではありませんか?」
「ああ。だが息抜きは必要だ。だから今日もいつもと変わらぬ時間にそなたの顔を見に行こうとしたのだが、憂龍が中々解放してくれなくてな」
「殿下、雪花様に会えなかったからって、私に当たらないでください。本日は香麗様の後宮入りもあり、行事や書類仕事がいつもより多かったのですから。当然のことです」
はぁっとため息をついた殿下にビシッと指摘する憂龍様。
煌月殿下は優秀な側仕えの宦官をお持ちのようです。
「して、雪花は難しい顔をする程、何を考えていたのだ?」
「え?」と声が漏れる。
「……もしかして、鈴莉との会話を聞いておられたのですか?」
「盗み聞きするつもりはなかったのだが、部屋の入り口で待機していたら聞こえてきたのだ」
申し訳無さそうに眉を歪める煌月殿下。なんだかこちらが悪いことをした気分になる。
「それは仕方のないことです。どうぞお気になさらず」
「ありがとう」
そんな会話をしているうちに机の上にお茶が用意された。鈴莉たちに促されてわたくしたちは机に向かい合って座る。
「それで? 何を考えていたのだ? 言いたくないことなら無理に言う必要はないが、悩みであれば人に話すと楽になる」
煌月殿下はわたくしが何かに悩んでいると思っているらしく、そう問いかけてきた。
「悩みと言うより考え事をしていたのです」
「考え事?」
「はい。煌月殿下のことを考えていました」
「っ!!?」
まさかご自分の名前が出てくるとは思っていなかったのか、煌月殿下が飲み込み掛けていたお茶で咽た。ゴホゴホと咳き込む殿下の背中を憂龍様が慌てて擦る。
「殿下!」
「煌月殿下!?」
ガタッとわたくしも席を立とうとすると、煌月殿下の手がそれを静止する。
「大事ない。少し驚いただけだ」
驚く? わたくし、何か変なことを口にしましたでしょうか?
「雪花が私のことを考えていたとは……。そなたの口から私の話が聞けて嬉しく思う」
「あ……」
照れたような殿下の様子にわたくしも少し照れてしまう。
でも……
「……煌月殿下。確かにわたくしは殿下のことを考えていました。……ですが、内容は殿下に関する噂話です」
告げると殿下がそれまでとは打って変わって、真剣なお顔をわたくしへ向ける。
「初陣でのことか?」
「はい。……それ以外にも、わたくしも初めて聞いた噂が流れているようです。こんなこと煌月殿下にお尋ねするべきではないと思いますが、わたくしは煌月殿下のことを知りたいです」
告げると、わたくしから視線を外した煌月殿下が少しの間をおいて語り始めた。
「いつか、そなたに聞かれたら伝えようと思っていた。まさか、こんなに早く話すとは思っていなかったがな……」