108 煌運殿下のお見舞い
翌日。秋の宴は最終日を迎えた。
本来は皇帝陛下から褒美が与えられる人物が決まった状態で迎える秋の宴の最終日。だが、今年はまだ大きな獲物を仕留めた者も一番多く獲物を仕留めた者も発表されていない。勿論、誰がどの人物に獲物を捧げるかも告げられていなかった。
例年なら夕方に始まる宴だが、今年は昨日発表できなかった褒美が与えられる人物の発表も控えているため、昼過ぎに行われることになった。その後、一時休憩を挟んで日が暮れた頃に宴が行われる予定だ。
そんな中、わたくしは陽が高く昇った頃に煌月殿下の迎えで煌運殿下の宮を訪ねた。
煌運殿下付きの女官が煌月殿下とわたくしの来訪を伝えると、程なくして部屋へ案内される。
煌運殿下ときちんと顔を会わせるのは夏の宴以来だわ。
そう思えば思うほど、緊張からか久しぶりの対面に心臓がどきどきと音を立てる。
煌月殿下が、繋いでいたわたくしの手を優しく握り直す。それに気付いて顔を上げれば、わたくしに微笑んでくださった。
まるで“大丈夫だ”と言われているようで、少し楽になる。わたくしはそれに答えるため微笑み返した。
わたくしたちが部屋に入ると、私的な時間だからという理由で、人払いがなされて煌運殿下付きの殆どの女官たちが部屋を出た。
部屋に残ったは煌運殿下付きの筆頭女官一人と、わたくしと煌運殿下、そして憂龍様、天祐様、梓豪様の六人だ。
ベッドに横になっている煌運殿下が、わたくしたちの方へ顔を向ける。
「煌運殿下、お加減はいかがですか?」
「兄上、雪花様……何故ここに……?」
少し困惑の混じった表情の煌運殿下が尋ねる。
「何故って、煌運殿下のお見舞いです」
告げると、煌運殿下が苦笑いになる。
「まさか、雪花様から私のお見舞いに来てくださるとは思いませんでした」
「えぇ。色々ありましたが、わたくしが煌運殿下と仲良くさせて頂いたのも事実ですから。それに、……わたくしは宴の間、煌運殿下と関わることがないようにと願ってしまいました。ですから、お怪我をされたのはわたくしのせいかもしれないと後ろめたく思ったのです」
正直に思っていたことを話すと煌月殿下が付け足す。
「雪花が暗い顔をしていてな。“私と一緒なら”という条件でここに来ることを許したのだ」
それを聞いて煌運殿下がフッと笑った。
「雪花様はお人好しですね」
「え?」
「兄上も兄上です。私が雪花様を慕っていると知っていて私の元へ連れて来るなんて」
「確かにそうだな。だが、その前にお前は私の弟だ。兄として、心配ぐらいさせてくれ」
「っ、……兄上」
柔らかな眼差しを向ける煌月殿下の言葉に煌運殿下が言葉を詰まらせた。まるで、お二人の関係が拗れる以前の関係に戻ったように感じて、わたくしは胸がじんわりと暖かくなる。
このままわたくしたちを取り巻く関係も元に戻ればいいのに。
そう願ってしまうほど、心地よい時間が流れていた。
「皇帝陛下が昨日の宴で煌運殿下は軽傷だと仰っていましたが、実際にお会いしてお話しできる程にはお元気そうで安心しました。ですが、まだお顔の色はあまり良くなさそうですね……」
わたくしは普段より蒼白い肌をした煌運殿下を見つめてそう告げる。すると「それも無理はないだろう」と煌月殿下は言う。
「傷は浅かったが、怪我をしていた場所が悪くて出血が多かったんだ。それと、原因はもう一つある」
一呼吸置いて、煌月殿下は目を細めて煌運殿下を見た。
「煌運、そなたは狩りに出てから食事をしなかっただろう」
「……そうですが、それがなんだと言うのです?」
問われている意味が分からないと言うように、煌運殿下が不思議そうな表情で瞬きした。
「距離のある狩り場まで馬を走らせるのに体力を消耗するのだぞ。ましてやそなたは剣の稽古で鍛えているとはいえ、乗馬は勿論、狩りも毎年秋の宴に参加する程度でそれ程嗜んでいないだろう?」
「よ、余計なお世話です!」
恥ずかしそうに声を上げた煌運殿下。だけど煌月殿下は追及をやめない。
「慣れない環境で慣れないことをすれば自然と神経をすり減らし、普段よりも体力を消耗するのだ。そこまでして、食事を取らなかったのは結果を残したかったからか?」
「当たり前でしょう! 私は兄上よりも大きな獲物を狩って、雪花様に捧げたかったのですから!!」
少しムキになって言葉を返した煌運殿下にわたくしは「えっ!」と声をあげる。
やはり煌運殿下はわたくしに狩った獲物を捧げるつもりだったのだと知ってドキリとする。だけど、煌月殿下は動揺する素振りすら見せずに言葉を続ける。
「そうか。煌運はそれ程雪花に本気なんだな。だが認めるわけにはいかない。雪花のこともそうだが、体を壊すようなことをして命を落とすなんて論外だ。そんな奴に雪花を守ることが出来ると思うか?」
「っ!」
煌月殿下の言葉に煌運殿下は何も言い返せなかった。
「そなたは以前、私に言ったな? 自分の方が雪花を私より上手く守れる、大切に出来ると。それがこの有り様なのか?」
それは春の宴よりも前、わたくしが北の離れで倒れて煌運殿下がお見舞いに来て下さった時のことだ。
あれからまだ半年程しか経っていないのに、煌運殿下は剣術稽古の成果もあって凛々しくなられた。だけど、わたくしたちを取り巻く環境は大きく変化してしまった。それも悪い方向に。
「わ、私は兄上より五つ年下です! 失敗することだってあります。ですが、それは次に同じ失敗をしなければ良いだけのことです!」
「今回、私がそなたの狩場の近くを通らなければ、その“次”とやらは無かったのだぞ」
「それは……」
煌運殿下はそのまま黙り込んでしまった。今回の件、煌運殿下は命を落としていてもおかしくなかったのだ。
命を落としてしまえば、それまでであることを煌月殿下は煌運殿下に伝えようとされているんだわ。
「自身の体調管理も出来ず、己の身体を大切に出来ない者が他者を守れると思うな」
煌月殿下が私の腰に腕を回して抱き寄せた。
「!」
突然のことに驚いて、煌月殿下を見上げる。すると、殿下は真っ直ぐ煌運殿下を見つめてハッキリと告げていた。
「よって、私はそなたに雪花を譲るつもりはない」
「煌月殿下……」
その思いの強さは彼がわたくしを抱き寄せた力で表現されているように感じた。心が、頬が、じんわりと熱を帯びて熱くなる。
わたくしは殿下に大切に想われていると、改めて感じた。




