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10 煌月殿下の弟妹

 冬宮の部屋から外の景色をぼんやり眺めて、わたくしは昨日の出来事を振り返る。

 信じ難いことに煌月(コウゲツ)殿下はわたくしをお慕いして下さっているだけではなく、皇后にしたいと仰った。


 わたくしが煌月殿下の皇后……

 困りました。全く想像できません。そのような大事なお役目、務まるでしょうか? それに、(トォン)家と(シァ)家の問題もある。わたくしがこのまま目立たず、騒ぎを起こさず、静かに暮らすことを目標にしたとしても、この前のお茶会のようなことが起こらない保証はどこにもない。


 雪欄(シュェラン)様の反応からして、彼女も後宮での生活に苦労していらっしゃる様子だったし……

 だったら、煌月殿下の提案を受け入れて皇后の座を目指すべきかしら? けれどそんなことをすれば、今までとは比べ物にならないぐらい大きな争いが起きるかもしれない。


 どちらにせよ、平穏な後宮での暮らしは難しそうですね。


 はぁっとため息を付くわたくし。それに比べて朝から鈴莉(リンリー)たちはご機嫌だった。初代皇貴妃様の呪いに多少怯えてはいるようだけれど、彼女たちは前向きな思考の持ち主なのだ。



「怯えていても仕方ありません!! 私たちが雪花様(シュファ)を全力で御守りします!!」


 昨日の夕方、煌月殿下がいつものようにわたくしにマーガレットの花を渡してから冬宮を去られたあと、鈴莉が高々に宣言した。


「鈴莉様の言う通り! 私たち四人で夏家が仕掛けてくる嫌がらせを跳ね除けましょう!!」


 わいのわいのと冬宮筆頭女官である鈴莉と下級女官の美玲(メイリン)が手を取って、それに蘭蘭(ランラン)麗麗(レイレイ)も加わり、冬宮の女官は一致団結した。


「それにしても殿下は雪花様のこと相当お気に召していらっしゃるのですね!」

「殿下のお言葉、そして雪花様を見つめる視線、私までドキドキしてしまいました!!」

「雪花様付きの女官として後宮へ上がった甲斐があるというものです!」


 キャッキャと楽しそうな美玲たち。鈴莉もそうだが、下級女官として付いてきてくれた美玲たちも女官になるために難関試験に合格してここにいる。つまり、後宮でお妃候補に仕える女官にとって、主の出世はそれ程までに誇らしく喜ばしいことと言える。


 みなが喜んでくれるなら悪くないかもしれません。けれど、わたくしはどうしたいのかしら? とも思う。


 わたくしは煌月殿下のこと、どう思っているのでしょうか?



『煌月殿下はどうしてそこまでわたくしのことを想って下さるのですか?』


 昨日、殿下がお帰りになる前に尋ねると殿下は微笑んだ。


『そなたは覚えていないだろうが、私たちは昔に会っているんだ。私はその時のそなたの笑顔がずっと忘れられなかった。だから、そなたの父君にそなたの後宮入りをこっそりお願いしたのだ』

『お父様に……?』

『ああ。だが、丁寧に断られてしまったよ』

『……』


 だとすると昔、お父様がわたくしに「後宮へ上がるか?」と尋ねてきたあれは、殿下からの申し入れだったということになる。


 確かあれは7歳の時だったかしら? 殿下とわたくしが昔会ったことがあるとなると、それ以前……

 いつ、どこで? どんなわたくしを見て煌月殿下は気に入ってくださったのかしら?


 わたくしはただ言われるがまま叔父様の指示で後宮入りしたものだから、殿下のことをどう思っているかよく分からない。

 確かに最初は緊張しましたわ。未来の旦那様になる皇太子殿下はどのようなお人かと。ドキドキと不安で胸が一杯でしたから。噂通りの冷徹な方だったらどうしましょう……と心配したものです。けれど、会ってみれば煌月殿下はお優しいことはもちろん、精悍なお顔立ち。忙しくても毎日わたくしに会いに来てくださる殿下。悪い噂は一体どこから?? と不思議に思うほど、わたくしが見た殿下と噂に聞く殿下はまるで別人だ。


 そんな煌月殿下に悪い噂が流れるということは、それだけ殿下が素晴らしい方だということになる。だからこそ、わたくしは後宮で殿下への警戒心を早く解くことができたとも言えるけれど。


 きっと煌月殿下が皇太子であることを良く思っていらっしゃらない方がいるのでしょう。まぁ、皇太子殿下を良く思わない人物となると限られてくるでしょうけれど。


「雪花様、煌運(コウユン)殿下がお見えです」


 告げた鈴莉の後ろからお付きの宦官を連れた煌運殿下が現れる。彼は煌月殿下の弟君で皇后陛下の子だ。煌月殿下とは5つ歳が離れている。


「煌運殿下、お越し頂きありがとうございます」

「雪花様が倒れたと聞いて心配していました。本当は昨日お伺いしようと思っていたのですが、兄上がずっとおいでだったと聞いて……」


 申し訳無さそうに眉をハの字にさせる目の前の小さな殿下。まだまだ可愛らしいお顔立ちだけれど、何処となく煌月殿下に似ている。腹違いとは言え、気遣いのできるお優しいところは兄弟そっくりだ。


「お気遣いありがとうございます。どうぞお掛けください」


 美玲の誘導で殿下が腰掛けるのを見届けて私も向かいに座ると、直ぐに蘭蘭がお茶を出してくれた。

 煌運殿下が落ち着きなさそうにモジモジしている。今の殿下は丁度わたくしが叔父様の養女になった頃のお年。まだ身も心も幼いが故に、話をどう切り出すか迷っていらっしゃるのでしょう。


「雪花様は…………怒っていますか?」

「え?」


 唐突な質問に一瞬目を丸くする。


「その、……私の母上のせいで倒れられたも同然かと…………」

「殿下……」


「そうですわね」と、わたくしは顎に手を当てる。


「怒ってなどいませんよ。勘違いではありましたが皇后陛下は万姫(ワンヂェン)様のお話を聞いて、当然のことをなさったのです」


 とは言っても、あの北の離れの環境と一日一食の食事はどうかとは思いましたけれど。


「ほ、本当ですか?」


 パァッと煌運殿下の顔が明るくなった。殿下なりに今回の件でお心を痛めていたのでしょう。初代皇貴妃様の呪いとは、こうやって関わる人間を不幸にしていることを指しているのかもしれません。


「はい。ですから、殿下が気に病むことは御座いません。それにわたくしはもう元気ですから。ご心配頂きありがとうございます」


 にこっと笑顔を作ってみせると、殿下はホッとしたように笑った。その直後、鈴莉が部屋の外からやって来る。


「お話のところ失礼致します。雪花様の元に秀鈴(シューリン)様と月鈴(ユーリン)様の公主様方がお見えです」

「秀鈴様と月鈴様が?」


 秀鈴様は雪欄様の子でまだ7歳。そして、月鈴様は煌月殿下と同じ皇貴妃様の子でお年は9歳。お二人とも(クワン)帝国の公主だ。冠帝国にはお二人より年上の公主様が3人いらっしゃったけれど、みな4大家門に縁のある者やその他の名家へと嫁いでいった。


「雪花様は人気者なのですね」

「いいえ、殿下。単純にそれだけ皆様にご心配をお掛けしただけです」


「雪花ぁ!」と秀鈴様の声が聞こえてくる。


「はい、秀鈴様」

「母上からお聞きしました! 御身体は大丈夫ですか? 母上も心配されていました」

「雪欄様がですか。わたくしは大丈夫ですよ。お母上にもそうお伝え下さい」

「雪花様、こちらわたくしと母上からです」


 月鈴様の連れてきた女官が鈴莉に籠を渡した。籠の中には様々な果物が入っている。


「月鈴様、ありがとうございます」


 わたくしが一人ひとり対応している間に麗麗が公主様方の椅子を用意し、蘭蘭がお茶を用意してくれていた。少し遅れて美玲がお茶菓子を運んでくる。


「煌運の兄上様もいらしたのですね」と秀鈴様がいつの間にやら兄妹仲良く話し始めた。

 今回はわたくしを心配して訪ねて下さっているから申し訳ない気持ちになる。けれど、殿下や公主様方がこうして尋ねてきてくださるのは嬉しかった。とは言え、まだ好奇心旺盛な公主様たちの興味は移ろいやすい。ここ暫くの間、過保護にされてきたわたくしにとって、一気に三人のお相手をするのは少し難義なことだった。


「今日はいつになく騒がしいな」


 後ろから聞こえてきた声に慌てて振り向くと、煌月殿下の姿がある。


「煌月殿下……!」


 昨日の今日でどんな風に接してよいか分からず、戸惑うわたくしの後ろから「兄上様!!」と煌運殿下と公主様方の声がする。


「兄上、お久しぶりでございます」

「兄上様も雪花様のお見舞いですか?」

「兄上様! 今度わたくしのお部屋にも遊びに来てください」


 口々に発せられる弟妹たちの声に煌月殿下が耳を傾ける。


 様々な思惑が混ざり合う後宮。大人たちが牽制し合っている状況でも殿下や公主様たち仲は良好らしい。



 ────煌運殿下お一人を除いて。



「煌運殿下?」


 煌運殿下が煌月殿下を見つめる目がスッと細められた気がして、思わず声をかける。


「兄上、まだ公務の途中なのではありませんか?」

「ああ。だが、この時間はいつもここへ来て少し息抜きをしているのだ。煌運こそ、この時間は剣術の稽古ではないのか?」

「既に済ませてきました。……兄上、たまには万姫様のところへ顔を出されてはどうですか?」

「そなたが心配せずともそうしている」


 ムッと歪められた煌運殿下の表情になんと声を掛けるべきか戸惑う。秀鈴様も月鈴様もお二人の雰囲気に気が付いたらしく、煌月殿下と煌運殿下の顔を何度も往復して眺めていた。


「母上が仰っていました。兄上は雪花様ばかり贔屓しておられると! だから万姫様が雪花様のことを悪く言ったりなんかしたんだ!!」


 声を張り上げた煌運殿下に付き添いの宦官が「煌運殿下! お止めください」と、止めに入る。

「煌運兄上……」と戸惑う公主様方。秀鈴様は連れてきた女官の衣に縋り付いている。


「煌運、お前の言いたいことは分かった。だが、冷静になれ。妹たちが怯えているのが分からないか」


 煌月殿下のお言葉にハッとした煌運殿下が2人の妹たちの方を見る。少しバツが悪そうに口を噤むとキュッと衣の裾を握られた。

「申し訳ありません……」と小さく謝った煌運殿下の頭を煌月殿下が優しく撫でる。


「良いのだ。そなたが怒りたくなる気持ちが分からないわけではない。私が雪花を贔屓しているのは事実で、そのせいで彼女を危険な目に遭わせたのだからな……」


 そこまで言うと煌運殿下の身長に合わせるよう煌月殿下がにしゃがみ込む。


「だが、後宮とはそういう所なのだ。別に万姫を蔑ろにしている訳では無い。どちらも私には大切なのだ」

「…………私なら、……っ!兄上のように雪花様を危険に晒すようなことはしません!!」


 煌月殿下が驚いて目を見開く。


「……煌運?」

「私なら! 雪花様を兄上より上手く守れます!! 大切に出来ます!!」


 キッとした視線で顔を上げた煌運殿下が、パッと煌月殿下から離れるとわたくしに抱きついてくる。


「わ! こ、煌運殿下……!?」


 これは、…………どういう状況でしょうか??


 ちらりと顔を上げて助けを求めるように煌月殿下を見る。けれど状況からして煌月殿下が助けに入れば火に油を注ぐようなもの。


「……煌運殿下」


 煌運殿下の肩に手を添えると殿下が顔を上げた。スッと屈んで殿下のお顔を覗き込む。


「わたくしは煌月殿下のお妃候補として後宮に上がった身です。煌運殿下がわたくしを気遣って下さるお気持ちだけ有り難く頂戴します」

「雪花様……」


 煌運殿下が複雑そうにわたくしを見る。


「…………今度、また冬宮に来ます……」

「ええ。お待ちしています」


 力なく呟いた煌運殿下に頷くと、煌運殿下がとぼとぼと部屋を出て行く。付き添いの宦官がその場にいたわたくしたちに一礼すると、その後を追って部屋を出た。

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