1 冬宮の生活
初めまして。
浅い知識でふわっと書くため至らない点があると思いますが、温かい目で読んで頂けると幸いです。
約300年の歴史を持つ大国、冠帝国。
度々、周辺諸国と小さな戦はあるものの、大国の戦力で抑え込み、現在もじわじわと領土を拡大している。
そんな冠帝国の皇太子殿下が住まう東宮。その後宮敷地内に建っている冬宮にわたくしは身を置いていた。
朝からチラチラと降っていた雪は、昼になると勢いを増してさらに降り積もっている。冬宮から見える庭園は一面雪景色に染まっていた。
ため息と共に「はぁっ」と吐き出した息が白く染まる。
「雪花様、皇太子殿下がお見えです」
冬宮筆頭女官の鈴莉が穏やかな声で知らせてくれた。それだけでわたくしは緊張でスッと背筋が伸びる。
大して乱れていないはずの髪や衣を気持ち程度に整えた。すると、低くどこか透き通った声で「雪花」と呼ばれてわたくしは振り向く。
「殿下、寒い中ようこそお越しくださいました」
わたくしは椅子から立ち上がると、会釈と共に挨拶する。
「座ったままで良い。今日は一段と冷えるな」
にこりと微笑んだ殿下にわたくしは「はい」と頷いた。
「鈴莉、殿下に温かい飲み物を」
「かしこまりました」
奥へ消えて行った鈴莉を見届けると、わたくしは殿下へ向き直る。そして、まだ立ったままだった殿下の姿に内心ギョッとした。
「殿下、どうぞお掛けください」
わたくしの言葉を聞いて、漸く下級女官が殿下を誘導して椅子へと促した。
殿下の側仕えの宦官が探るような視線を向けてくる。
わたくしや女官の動きを観察しているようだ。この宮に殿下がお越しになったその瞬間から、わたくしは全て試されている。
この環境と緊張感に未だに慣れていないわたくしは、唾を飲み込んだ。
この宮にいる三人の下級女官はわたくしの叔父様が見繕った人材だった。今のところ殿下の前で粗相することはないものの、気が利くかといえばやはり劣る。
わたくしが幼い頃から仕えてくれている鈴莉と共に、この状況を改善すべく彼女たちに注意はしている。だけど、彼女たちの主な役割はわたくしを監視してその様子を叔父様に報告することだった。
だから、注意したことを“不満”と捉えられることがあるため、彼女たちの教育はあまり上手くいってなかった。
「雪花、前にも言ったが、そろそろ“殿下”ではなく“煌月”と呼んでくれ」
わたくしが殿下の向いの椅子に腰掛けると、開口一番にそう言われて思い出す。
わたくしが後宮に入って一週間が経った頃、殿下は確かにそう申し出た。最初は恥ずかしさから「恐れ多くてお呼びできません!」と断ったけれど、「我らは何れ夫婦となる間柄だ。直ぐにとは言わないが、気楽に呼んでほしい」と殿下は仰った。
あれからもうひと月は経った頃だろう。流石にいつまでも殿下を待たせるわけにはいかない。
「ええと、……はい。煌月殿下……」
恥ずかしさ半分で小さな声で呼ぶと、少し驚いた表情をした殿下が直ぐに微笑んだ。
そうこうしていると、鈴莉が戻ってきて殿下とわたくしの前にお茶と菓子を給仕していく。カップからお茶の良い香りが漂ってきた。
「今日はそなたに贈り物を持って来た」
「まぁ! ありがとうございます」
殿下からは今まで何度も花を戴いたことがある。
今日は何のお花でしょうか? と考えていると、机の上に小さな木箱が差し出された。
「本日はいつもくださるお花ではないのですね」
「あぁ、開けてみてくれ」
促されて木箱に触れると、そっと蓋を開けた。中から白い椿の髪飾りが現れた。
「素敵…」
思わず漏れ出た感想にハッとして殿下を見れば、わたくしを見てクスリと微笑んでいた。
「気に入ってもらえただろうか?」
「こんな素敵な髪飾り、戴いて良いのですか?」
「そなたのために用意したのだ。受け取って貰わないと私が困る」
「……殿下」
一目見ればわかる。
この髪飾りはとても手が凝った物だ。腕のいい職人が手間を掛けて作ったことは容易に想像できた。
「有り難く頂戴します」
「付けて見せてくれるか?」
殿下の言葉に頷いて鈴莉を見れば、彼女が髪飾りを手に取ってわたくしの後ろに回る。そのまま流れるような動作で結われていたわたくしの髪に髪飾りを差してくれた。
「やはり、よく似合っている」
「ありがとうございます、殿下」
「煌月だ。もう忘れたか?」
言われて少し前に“煌月殿下”とお呼びすることになったことを思い出す。
「あ、……失礼致しました。煌月殿下、本当にありがとうございます」
再びお礼の言葉を口にしたとき、殿下の側仕えの宦官が彼に耳打ちする。
「すまないが、今日はこれで失礼する」
「はい」
立ち上がった煌月殿下に合わせて、わたくしも立ち上がる。
「雪花、また明日来る」
「煌月殿下、お気持ちはとても嬉しく思います。ですが、殿下はお忙しい身。毎日のように冬宮にお越しくださらなくてもわたくしは構いません」
「いいや、私がそうしたいのだ。それとも、そなたは私に毎日会うのは嫌か?」
「あっ! いえ!! 決してそのようなことは……!」
しまった!! わたくし、とんでもなく失礼なことを!!
どう弁明すべきか頭をフル回転させてあわあわしていると、煌月殿下がまたクスリと微笑む。
「雪花に他意が無いことは分かっている。また来るよ」
側仕えの宦官を引き連れて、煌月殿下は冬宮を後にした。
*****
「殿下は雪花様を本当に大切に想ってくださっていますね」
煌月殿下が帰った後、鈴莉がそんなことを言う。
「どうでしょう?……毎日冬宮に来てくださるのは、きっとまだ夏宮と冬宮にしかお妃候補者がいないからよ」
わたくしがそう言えば鈴莉が「まぁ!」と声を上げる。
「雪花様、私が言いたいのはそういうことではございません」
「え?」
じゃあ、どういうことだというの?
キョトンと鈴莉を見ると「良いですか!?」と彼女が呆れの混じった声で口を開く。
「殿下は雪花様の御召し物に合う髪飾りを送ってくださったんですよ!」
言われて側に置いてある姿見に視線を向ける。
白と青、淡い水色を基調としたわたくしの衣は色糸の細かな刺繍が施されている。
わたくしは普段から白や水色の衣を着用することが多い。そのことを煌月殿下はこの宮へ通って、気付いたのだろう。戴いた白い椿の花は、まるで最初から衣と対になっていたかのように溶け込んでいた。
「それと、椿の花言葉の一つに“至上の愛らしさ”というものがあります。つまり! 殿下は雪花様を愛らしく想っているという証拠ですよ!!」
「……そうかしら? たまたまということもありえるわ」
「雪花様はまたそのように!」
「だってそうでしょう? わたくしは自分の意思でここへ来た訳でもなければ、王家に望まれてここに来た訳でもないんだもの……」
自分で言っておきながら、余計なことまで思い出して悲しくなる。「雪花様……」と呟いた鈴莉がわたくしの手を握る。
「雪花様には私が付いています! 今までもこの先も、ずっと雪花様にお仕えいたします!!」
彼女の目が力強くわたくしを見つめる。
その言葉の通り、鈴莉はわたくしが生家にいた頃からずっと一緒で、後宮にまで付いてきてくれた。それがどれほど心強かったことか。
「ありがとう、鈴莉」
煌月殿下と飲んでいたお茶の残りを啜る。
すっかり冷めたお茶を飲みながら、わたくしは今となっては遠い昔のことを思い返した。