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2.うごかなくなった家族

 ヘカッテたちの暮らす迷宮の一日は、太陽が沈み再び昇るまでがひと区切りとなっています。ヘカッテがカロンと喧嘩をして、カロンが黙ってしまったのも日没直後の事でした。

 それから一日──わたし達の感覚で言えば一晩、カロンは一切喋ることなく、ヘカッテをただ見守り続けたのです。まるで、普通の猫たちがそうするように。カロンは決して意地悪をしたくてそうしていたのではありません。自分の小言がヘカッテにとってタメにならないのだと悟ってのことでした。

 それが、カロンの綿の詰まった頭で考えた末の判断で、いつもならば次の日──つまり、次の日没頃にはお互いの機嫌も直り、きちんと仲直りしていつもの関係に戻れたはずなのです。


 けれど、今回は少し違いました。夕焼け小焼けの光が迷宮の何処からか差し込む時刻、ヘカッテにとっての新しい一日の始まりが訪れた爽やかな目覚めの時にすら、カロンは「おはよう」を返してくれなかったのです。

 ヘカッテは寝巻姿のまま、ムッとしました。カロンが機嫌を損ねたままだと思ったからです。けれど同時に、自分からもちゃんと謝らないといけないかもという思いもあったので、不満と罪悪感が半分こになった心を抱えて、カロンの眠っている小さなベッドに顔を近づけたのです。


「カロン、おはよう」


 謝る前に、まずはもう一度、挨拶をしました。もしかしたら寝ぼけていて、聞こえていなかった可能性もあったからです。けれど、カロンはやっぱり返事をしませんでした。毛布の中に耳の先まで潜り込んだまま、全く反応しませんでした。


「昨日の事、まだ怒っているの? 挨拶くらいはしてもいいのに」


 ヘカッテはそう言うと、さっさとベッドから起き上がって、ベッドを綺麗に整えました。長い髪をくしでとかしたり、うがいをしたり、窓辺に置いてある鳥かごの中のメンテに話しかけたりしながら、カロンが謝ってくるのを待っていたのです。

 ですが、ひと通りの身支度が終わっても、カロンが起き上がってくることはありませんでした。ヘカッテは大きなため息を吐いてから、再びカロンの眠っている小さなベッドへと近寄っていきました。


「カロン。そろそろ起きて!」


 そして、カロンのかぶっていた掛け布団を引き剥がしたところで、ヘカッテはやっと異変に気付いたのです。何かがおかしい。ベッドに潜っていたカロンの身体にうんと顔を近づけて見て、ヘカッテはその異変の正体を知りました。


「……カロン?」


 ヘカッテが抱き上げてみると、カロンの頭はくたっとしてしまいました。いつものように生きている反応はなく、その視点がしっかりとヘカッテを見つめることもありません。ただのぬいぐるみのように、カロンはそこにいました。


「ねえ、カロン? ふざけていないで、お返事をしてよ」


 綿の詰まったぬいぐるみの身体を揺さぶりながら、ヘカッテは言いました。けれど、カロンの反応は全くありません。そうこうしているうちに、少し離れた場所から、歌う花メンテが鳥かご越しに音を奏でました。竪琴のようなその音に、ヘカッテは顔をあげました。この世に生まれたほとんどの人には聞き取れない言葉ですが、ヘカッテには彼女の言っていることが理解できたのです。

 ヘカッテの聞き取ったメンテの言葉はこうです。


 ──魔法が解けてしまったのではなくて?


 メンテの言う通り、考えられる可能性はそこにありました。

 カロンはもともとただのぬいぐるみとしてこの世に生まれたのですが、ヘカッテの魔法によって喋ったり歩いたりすることが出来るようになったのです。もしもカロンがただのぬいぐるみに戻ってしまったのだとしたら、それはヘカッテの魔法の力がなくなってしまったから以外に考えられませんでした。


「……でも、メンテ。おかしいよ。だって、昨日まではなんともなかったのに」


 ヘカッテが不安にかられながらそう言うと、メンテは再び竪琴の音でお返事をしました。


 ──どちらにせよ、もう一回魔法をかけてあげましょう。


 元気づけるようにメンテは言いました。たしかに、魔法が解けてしまったのなら、もう一度魔法をかければいいはずです。

 ヘカッテがその魔法でカロンに魂を吹き込んだのは、今よりもずっと小さな頃でした。優しくて頼れる兄弟が欲しいと願って使った魔法が、プレゼントでもらった黒猫のぬいぐるみに命を与えたのです。だから、魔法が解けてしまったとしても、ヘカッテにはもう一度、魔法をかけなおすことが出来るはずでした。


「そ、そうだね。まずはもう一回、魔法を使わないと。でも、そのためには、月のしずくを取りに行かないといけないね」


 ヘカッテの言葉にメンテは竪琴の音で同意を示しました。その優しく寄り添うような音にホッとしたヘカッテでしたが、動かなくなったカロンを改めて見つめると、どうしようもないほど寂しい気持ちがヘカッテの心を覆いつくしました。

 昨日まではうとましいとさえ思ったカロンの声が、懐かしくて仕方なかったのです。

 寝巻から着替える時も、一日の最初のお夕飯を食べる時も、心から愛しているメンテが一緒だけれど、何かが物足りない。どこか偉そうにヘカッテを注意したり、褒めてくれたりするカロンの声が聞けないだけで、お家が異様に静かに思えたのです。


 カロンが黙ってしまうと、これまで忘れていたような何気ない日々の事がヘカッテの頭の中によみがってきました。

 魔女の修行を始めて以来、両親と離れて暮らす彼女にとって、日々の何気ない楽しみや幸せを一緒に味わうのはカロンでした。メンテもその一人でしたが、二人いた家族が一人減っただけで、ここまで寂しくなるなんて、と、ヘカッテは思い知ったのです。


 あの声が懐かしい。

 またくだらない事で叱って欲しい。


 彼への恋しさが募れば募るほど、ヘカッテはすぐに魔法を使いたくなりました。

 けれど、ぬいぐるみに魂を宿すその魔法は、いつもよりもたくさんの魔力が必要です。月のしずくがなくては成功しません。その月のしずくを取りに行くこともまた、今すぐに出発していいわけではありません。

 迷宮はとても美しい場所ですが、同時に恐ろしい場所でもありました。きちんとご飯を食べて、きちんと準備をしてから行かないと、カロンを起こす以前にヘカッテとメンテに危険が及んでしまうのです。


「月のしずく……昨日ちゃんと取りに行っていたら、すぐに魔法も試せたのにね」


 ヘカッテがそう言うと、メンテは心配そうな音を鳴らしました。

 その後も、ヘカッテがため息を吐くたびにメンテはヘカッテを慰めました。それは言葉というよりも、感情がそのまま音楽になったような慰めでした。小さい子どもをあやすようなその寄り添いは、寂しくなってしまったヘカッテにとってありがたいものではありました。けれど、メンテの優しさばかりに頼ってはいられないことも、ヘカッテはちゃんと分かっていました。


 とことん落ち込んだ後で、ヘカッテは迷宮に冒険に行く準備をしめやかに進めていきました。

 何でも入ると信じてしまうくらい大きなリュックに、月のしずくを入れるための瓶と、それを優しく包む布の束。万が一の時に食べる非常食のパンに、万が一の時のための寝袋、そして、あとの隙間は迷宮をうろつく怪物たちの対策のために作っておいた、ありとあらゆる魔法薬の瓶が詰められていきました。

 迷宮の怪物たちはいずれも恐ろしい存在でしたが、薬さえあればたとえ魔法が使えなくても、切り抜けることが出来ます。それらを頼りにヘカッテは迷宮を歩かねばなりませんでした。

 その大きなリュックを背負う前に、ヘカッテはお腹側に動かなくなったカロンを紐で括りつけました。手に持つのはランプの代わりにもなるメンテの入った鳥かごです。いつも淡く輝いているメンテの明かりが、薄暗い迷宮を優しく照らしてくれるので、ヘカッテもしっかり足元を見て、転ばずに歩くことが出来るのです。


 このようにして毎日のように迷宮をさまよっているヘカッテでしたが、準備が整ってみると、やっぱり今日ばかりは心細さが勝ってしまいました。

 いつもだったらメンテの鳥かごを持つ方と逆の手で、カロンと手をつないでいるはずなのです。

 そのふわふわとした感触がないだけで、こんなにも寂しいなんて。たしかにカロンは一緒にいます。ヘカッテが動くたびに胸のあたりで大きな頭をゆらゆらと揺らしています。でも、それでは駄目なのです。自分で歩いて、お話することが出来るカロンでなければ意味がない。


「待っていてね、カロン。月のしずくを取りに行くから」


 ヘカッテは誓うようにそう言って、お家をあとにしました。

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