1.両親からのお手紙
これを読んでいる皆さんが暮らしているお家から、想像も出来ないほど遠い場所に魔女見習いのヘカッテは暮らしていました。
そこは不気味ながらも美しい迷宮の外れで、朝よりも夜、太陽よりも月が親しまれる幻想的な世界でした。
迷宮はとても広く、さまざまな場所に繋がっています。愛らしい妖精たちの国、恐ろしい悪魔たちの国、さらにはわたし達がいずれ向かうことになるかもしれない死者の国。
そう聞くと、わたし達にはあまり馴染みのない世界に思えてきますが、そこで暮らしている住民たちは、意外にもわたし達と同じような暮らしをしていました。
ヘカッテもそうです。まだ子どもなのに両親と離れて暮らしていますし、魔女の修行なんてものは普段のわたし達には縁遠い世界ではありますが、それ以外は魔女ではない普通の子どもたちとそう変わらない素朴さもありました。
まだまだお父さんやお母さんに甘えたい年頃でもありますが、そんなヘカッテを支えるかのように一緒に暮らす家族もいました。鳥かごにはいった歌う花メンテと、お話ができて動くこともできる黒猫のぬいぐるみカロンです。このふたりがいつも傍にいてくれたので、ヘカッテは寂しさで心が押しつぶされたりしないで済んだのです。
さらにお友達もいました。郵便配達員のモルモとラミィです。彼女たちは、ランプラという迷宮の中でももっとも大きな妖精の国にある郵便局で働いていました。そこからヘカッテの両親のお手紙を、ヘカッテのもとまで届けてくれるお仕事をしています。
ランプラはとても平和ないい国ですが、代わり映えしないというのは退屈という贅沢な悩みを生むものです。だから、ランプラの妖精たちとは一風変わった暮らしをしているヘカッテたちと会うのをいつも楽しみにしていました。
特にふたりが楽しみにしていたのが、ヘカッテのもとに届くお手紙でした。仕事の合間のはねやすめに、ヘカッテにその内容を読んでもらうことがすっかり娯楽になっていたのです。ヘカッテもまた、聞きたがり屋さんの彼女たちにお手紙を読み聞かせることは、楽しみの一つになっていましたので、ふたりがお手紙を届けるはずの時間をいつも待ちわびていました。
さて、その日もまたモルモとラミィはお手紙を届けてくれました。
「じゃあ、読むよ」
明るい声でヘカッテが言うと、モルモとラミィは背中についたカゲロウのはねを嬉しそうに揺らしました。ぬいぐるみのカロンは腕を組みながら、鳥かごのなかのメンテはうっすらと光輝きながら、ヘカッテを見守っています。
そんな皆に囲まれながら、ヘカッテは手紙を開きました。
◇
私たちの大切なヘカッテへ
お変わりはありませんか。私たちの故郷では、盛大な結婚式がありました。西の山のお姫さまと東の山の王子さまが皆の期待通りに恋をして、結ばれたのです。故郷の皆は、それはもう大喜びでお祝いしましたし、小鬼たちが光の粉をまきながらお祝いの踊りを披露する姿はヘカッテにも見せてあげたかったくらいです。
ところで、ヘカッテ。迷宮はとても広いですが、ヘカッテにはひょっとして気になる相手ができていたりするのでしょうか。大人たちが思っているよりも、子どもというものはおませさんだから、もしいてもおかしくないかもしれませんね。もちろん、いなかったらいなかったで、まったく問題ありませんよ……ってお父さんが言っています。
ともかく結婚にはまだまだ早いし、相手がいなかったらぴんと来ないかもしれないけれど、好きな人と同じくらい大切な人というものは、意外と身近にいたりするものです。家族であれ、友達であれ。今はよく分からなかったとしても、大切な人を大切にするという当たり前のことを大事にするといいですよ。きっとあなたを守ってくれます。
さて、ヘカッテ。
今回も私たちからあなたに贈る言葉があります。
「恥ずかしがらずに言葉にして」
ヘカッテ。あなたはいつも普段あったことを、たくさん手紙に書いてくれますね。丁寧に書かれたその一文一文から、あなたが元気でいることが伝わってきます。
けれどね、ヘカッテ。いっぱいお話していても、一番大事なことを言葉にし忘れていることって、大人であってもよくある事です。今回の言葉がどのような形であなたの助けになるのかは、私たちもまだ分かりません。けれど、この言葉をちゃんと覚えていれば、きっとあなたの困難は解決するでしょう。
けれど、ヘカッテ。
決して無理をしてはいけませんよ。
一人で全てを背負い込むことはありません。どうすればいいのか分からない問題というものは誰にだってあります。そんな時、親しい誰かを頼ることは恥ずかしいことではないのですよ。
そのことを忘れずに、これからも頑張ってくださいね。
あなたの両親より
◇
ヘカッテが読み終えると、モルモとラミィはふたり同時に首を傾げました。
「恥ずかしがらずに言葉にして……だって?」
「まあ、ヘカッテ。誰か好きな人でもいるの?」
からかうようなラミィの言葉に、ヘカッテはすっかり困ってしまいました。何故なら、ヘカッテにはまだそういう相手がいなかったからです。
迷宮にはいろいろな人がいますし、魔女の修行のために、さまざまな人のお願いを聞いたり、お手伝いをしたりすることはありますが、そうやって出来たのはお友達ばかりでした。
「い、いないよ。いったい何のことだろう?」
ヘカッテは気恥ずかしさを感じながら、手紙に何度も目を通しました。
両親の言葉が、必ずしもヘカッテ自身にあてられたものとはかぎりません。ひょっとするとこれは、他の誰かに向けられているものかもしれません。
「とにかく覚えておかなくちゃね」
モルモにそう言われ、ヘカッテはこくりと頷きました。
さて、事件が起こったのは、にぎやかな郵便配達員たちが仕事にもどったあとのことです。
いつものように魔法の修行を始めていたヘカッテは、修行の一環で作っていた魔法薬の材料の薬草がいくつか足らないことに気づきました。
「だから私は言ったのだよ」
カロンは言いました。
「お家に何がどれだけあるか思い出せないのなら、一応、採取しておくべきだと。迷宮は広いし、素材屋に目当てのものがいつも揃っているとは限らない」
「だってぇ……」
ヘカッテはしょんぼりしてしまいました。
確かにカロンの言う通り、迷宮で魔法薬の材料である薬草を見かけた時、ヘカッテは迷いながらも採取するのを面倒くさがりました。荷物になるし、手も汚れてしまうからです。その時にカロンに忠告されたのですが、結局、言い訳に言い訳を重ねてお家に帰ってしまったのです。
もちろん、迷宮には毎日のように向かいますし、その時にまた採取できる機会があるかもしれませんし、よく顔を出す素材屋さんというお店に置いてあるかもしれません。しかし、カロンの言う通り、絶対にそうであるとは限らないことだったのです。
「いいもん。薬作りはお休み!」
そう言って魔法薬を入れるはずだった瓶のふたをポンと閉めるヘカッテを、カロンは腕を組んだままギロリと睨みました。
「こら、ヘカッテ。横着してはいけないよ。魔法薬作りは魔女の修行に欠かせない。ただ調合すればいいわけじゃない。魔女としての感性を鍛える訓練でもある。いいかね、他の魔法と同じだ。一日休むと三日分は後戻りしてしまうんだ。かしこいヘカッテでもそれは同じことだ」
「でも、材料が足らないし……」
「そうだね。だから、買いに行くか取りに行くかしないとだね」
「えぇー……」
ヘカッテの正直な反応に、鳥かごの中のメンテが音を奏でました。
ポロロンという竪琴の音は、メンテの言葉でもありますが、ヘカッテには分かってもカロンには分かりません。
「メンテは何と言っているんだい?」
カロンにそう訊ねられると、ヘカッテは答えました。
「メンテも明日でいいんじゃない、って」
すると、メンテは慌てたように竪琴の音を何度も奏でました。そうです。カロンに言葉が分からないのをいいことに、ヘカッテはウソをついてしまったのです。
けれど、そのウソは簡単に見破られました。いくらメンテの言葉が分からなくても、音の速さやその調子からメンテが焦っていることくらい、カロンにもお見通しだったからです。
「ウソはいけないよ、ヘカッテ。いつの間に君はそんな悪い子になってしまったんだい?」
「悪い子じゃないもん」
虫の居所でも悪かったのでしょうか。いつもは素直なヘカッテですが、今日はすっかりおへそを曲げてしまいました。
「今日はそんな気分じゃないの。お家でゆっくりしたいの。月のしずくだって、そのために昨日いっぱい取ってきたのにさ」
「そうだね、ヘカッテ。昨日、君が私の忠告を真面目に聞いてくれていたら、今日は出かけなくて済んだはずだった。仕方ないさ。次また同じことがないように気を付ければいい。というわけだから、材料を捜しに行こう」
「もう!」
ヘカッテは椅子にドカッと座り込むと、カロンに向かって言いました。
「うるさいなぁ! 分かっているもん、わたしが悪いんだってことくらい! 分かっているからイライラするの! ちょっと黙っていてよ!」
感情任せに怒鳴るヘカッテを、カロンはぬいぐるみらしいキラキラしたその目でじっと見つめました。やがて、腕を組んだまま、綿のつまった尻尾をパタパタさせると、溜息交じりに言いました。
「分かったよ。君が望むのなら、私はしばらく黙っておこう」
そしてそれ以降、その言葉通り、その日のカロンは何も言わないままヘカッテを見守り続けたのでした。