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冷光  作者: 有栖川市子
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第二話:哲子さん

先ほどから、ブルーの小さな光をかちかちさせているケータイに来ていたメールを開いた。メルマガだった。ケータイを閉じて、サブディスプレイの光も消えてしまうと、当たりは真っ暗。まるで私もいないみたい。ただの、黒。雨の音がしてきた。と、思ったら、ドアの開く音がして、光が入った。やばい。関係者?いや、管理人?どうしよう。バルコニーの影に隠れようとしたとき、膝の上に置いていたケータイを落としてしまった。その音を聞いて、管理人がこちらを見ているかを思ったら、光のほうが消えた。しばらくして、光がまたついた。そのバルコニーから少しだけ顔を出して、光のほうを見ると、その人は風貌からして、管理人という感じではなかった。黒い髪で、白い肌。襟に紺のラインがひかれた白いポロシャツ。黒い細身のパンツ。こげ茶のレザーの斜めかけバッグ。そして光の源、キャンプ用のようなシルバーのランプ。光はブルー。一階席の真ん中に座って、光を肘掛において、なにをするでもなく、いた。私は、バルコニー席から顔を完全に出して、ケータイを顔の横に持って来た。

「あの。」

その人は、びくっとして、あちこち見まわした。

「上です。バルコニー席です。」

すると、その人がこちらを見た。

「あの、管理人の方ですか?関係者の方ですか?すみません、私、勝手に…。」

「いや…」その人は私の言葉を遮った。少しだけ低い声だった。

「私、管理人でも、関係者でもないです。むしろ、私も勝手に入ってきていて…。」

「何、してるんですか。」

「いや…。何って…。ただ、この映画館、好きだから…。」

「あの、そっち、行ってもいいですか。」

「うん、もちろん。」

バルコニー席の、今度は客用の出入り口から出た。ワイン色だろう絨毯の感触がした。階段を下りて行って、真っ暗な中、ケータイの光を頼りに一階席の入口を探した。重いドアを開く。あのブルーの光が見えた。

「こんにちは、はじめまして。」その人は、軽いおじぎをした。

「あ、こ、こんにちは。はじ、はじめまして。」

「ふふ…大丈夫?」

「や、階段、思っていたよりもあって、真っ暗だから、怖いし…。」

「そうだよねえ。」ふふ、とまた笑った。ブルーの光が白い顔を照らしていた、幻想的だった。

「私、哲子です。」

「あ、私は、町田沙羅です。」

「高校生なんだね。」とブルーの光に照らされた私の制服を見て言った。

「はい。あの、哲子さんは…?」

「いいよ、哲子で。私は、自由人。」

「フリーターですか?」

「ううん。自由人!」にやり、としたように見えた。

「あ、敬語、いいよ。お互い、相手の弱み握ってるんだし。」

「弱み?」

「うん。不法侵入。」

「やっぱり…そうなりますよね…。」

「え?あ、あなた、管理人の孫とかじゃないよね!?」と目を見開いて私の方を見る。

「ええ!?あ、ああ、もちろんですよ。今日初めて入ったんです。」

「初めて?」

「あ、いや、映画館としては来たことあるんですけど、不法侵入は今日が初めてです。」ふほうしんにゅうのところで、口が回らなくなりそうだった。哲子さんは、くすっと笑って、その時身体が少し前に揺れた。肩のあたりで切りそろえられたストレートの髪がサラサラしていた。

「いいなあ。」

哲子さんが目をこちらに向けて言った。黒い瞳にブルーの光が入っていて、まるで映画に出てくる人みたいだった。

「え?何がですか。」哲子さんのその瞳を見ながら、答えた。

「ここで、映画見たんでしょ?」

「はい。」

「私も、観たかったなあ。ここで。」

「見たこと、ないんですか。」

「うん。この街に来た時にはもう、閉館してた。」

「引っ越してきたんですか。」

「うん。二年前くらいかな。」

「私は、ずっとここにしか住んでないんで…。おじいちゃんと、よく来たんです。でも、そのことも、この映画館も、今日まですっかり忘れてました。」

「そうなの?」

「本当に忘れてたんです。自分でも、今驚いているくらい。いつも通っているはずの道で、今日、ふと目にとまったんです。映画館が閉館してるって。ネオンがもうないって。黒いガラス戸がもう開かないって。そしたら、中に入りたくなって…。」

「ふうん。ネオンがついてたの?ここ、なんて言う映画館だったの?」

「サンセットシネマです。夕日のように黄色と赤のネオンが、十字路に向かってきらきらしてました。ネオンはとてもきれいだった。私大好きでした。」

「すごく、覚えてるじゃん。」細くて白い哲子さんの腕が顔に持っていかれて、哲子さんは鼻の頭をこすってそう言った。全体的に華奢だ。

「なのにすっかり忘れてたなんて、変なの。」

「そう、ですね…。なぜなんでしょ…。」そう言ったら、哲子さんはまた笑っていた。なんでランプの光がブルーなのか、今になってとても気になった。どうしてですかって聞こうとしたら、哲子さんが先に口を開いた。

「私はね、この映画館に来ると、なんだか、安心するの。この本当ならたくさんの人がいて、娯楽する場所に、ひとりで何もしないでいるのって、どこかさみしいし、切なさもあるけれど、不思議と安心するの。たまに本を読んだりもするんだけどね。でも、やっぱり何もしないでいるのが一番好き。」

不思議な人だと思った。細い指の先の形のきれいな爪には、濃いパープルのマニキュアが塗ってあって、中指だけにシルバーのラインストーンが貼ってある。

「いつ頃から来てるんですか。」

「二年前。」

「ええ!?」

「っていうのは嘘で。ほんの一カ月前くらいから。毎日じゃないけど、週二、三回は来てるかな。でも、二年前から気になってはいたの。でもなかなか勇気がでなくて、あの階段登れなくて。」

「ああ、近未来の。」

「え?近未来?」くすくすと笑っている。

「近未来っぽくないですか。それと廃墟チック。あ、でも今は本当に廃墟なのかな。」

「そう言われてみればそうかも。廃墟なのかな。でも、一応何かに活用しようと取り組んではいるみたいよ。たまに偵察にくる方々がいるから。」

「でも、どうしてあのドアだけあいてるんだろう。」

「それは分からないの。三階のドアも挑戦したことあるんだけど、開かないのよね。あのドアだけなの。でも偵察の人たちは黒いガラス戸から入ってくるのよ。」

ブルーのライトを眺めて、しばらく沈黙が続いた。哲子さんは、偵察の人たちについて考えているのか、ブルーのライトを見ているのかどうかすらわからない。ただ、沈黙だった。

「ねえ。」哲子さんの少し低い声が、沈黙を破った。

「あの舞台、上がったことある?」と、パープルの指先がさしたのは、スクリーンと観客席の間の意味もないステージ。古いからなのか、この映画館には無駄なものがあった。ステージもだが、ステージの横についたどこにつながるのかわからない階段などもある。

「いや、ないですよ。」あるわけないだろ。

「だよね。じゃあ、上らない?いつも映画館って見つめることしかしないじゃない。あの舞台の方を何百人って人が同時に見つめてたのよ。映画の気持ちになってみるの。」哲子さんは、ふわっと立ち上がって、シルバーの取っ手をすっと持ち上げ、舞台に駆けていく。光が行ってしまわないうちに、私も後を追った。舞台の真中に立つ。後ろには、まっ白い大きなスクリーン。哲子さんはランプを持った方の手も、そうでない方の手も、両方を上にあげて、伸びをしていた。私はてっきり叫ぶのかと思った。でも、すぐそのあとに叫んではいけない場所で、入ってはいけない場所にいることを思い出した。

「なーんか、変な感じ。」

「そうですね。こうやって観客席見ることってあまりないかも。」

「いや、そうじゃなくて。来てみたはいいけど、なんだか思ったほどじゃなかったな。まいったな、上らなきゃよかった。」

そう言って、哲子さんはその場に座った。その隣に、腰をおろした。

「こういうことって、よくあるよね。なんて言うのかな。思ってたのと違ったっていうのが一番手っ取り早いんだけど・・・」ランプから話された細い手を舞台の床について、上半身をそらしている。

「ああ、わかります。“思っていたもの”があるというか、実際にしていないことなのに、先に私たちの中に潜んでいるんですよね、何かが。」

「そういうの、プラトンならイデアかな。」

「ぷらとん・・・?」

「哲学者。何年か前のおじさんよ。でも、私たちのは違うかもね。イデアじゃないかも。マスメディアのせいかな。作りだされた感情の表し方とそれを感じる場を、すでにマスメディアに誇大提示されているのかも。そして私たちは忠実なマス。」

「難しいですね・・・」

哲子さんがこっちを見た。

「難しくないよ。沙羅ちゃんが言ったことのそのまま。難しいと思わせる、私の言い方が馬鹿なのよ。いっぱいね、本を読んでも、わからないことが書いてあるときがあるでしょう?そういうときって、きっと自分には理解できないすごいことが書いてあるのかと思うじゃない。でもさ、それって、実はね、何も書いていないんじゃないかと思うの、最近。それでね、誰が読んでもわかる文章とかのほうがね、極端に言ったら、絵本とか標語とかね、そういうもののほうが、優れた言葉なんじゃないかと思うの。」

哲子さんのまっすぐの瞳が、とてもとても優しい色を放った。

「そう、ですね。」

哲子さんはゆっくり微笑んで、床についていた腕を前に戻して、細い腕首に付けられた、ごつごつした大きめのシルバーの腕時計の位置を気にしていた。

「あ!今何時ですか。私、もう帰らなくちゃ。」

「え?まだ、七時だけど…。門限あるの?」

「いや、ないんですけど…。あ、いや、あるのかな。もう、帰らなくちゃ。」

哲子さんは、急にあわて始めた私を見て目を丸くしていた。

「そう、気をつけてね。急いでるからって、近未来のドア、力一杯閉めちゃだめだよ。」

「哲子さん!また、来ますか。」バッグを勢いよくとって、哲子さんのほうに振り返りながら聞いた。

「うん、週二、三回は来てるから、また会えるといいね。」ブルーの光が本当によく似合うと思う。

「それと、敬語、いいからねー。」そういって、手をこちらに向かって振る。それがうれしくて、「また来ます!」と手を振り返した。哲子さんは、まだいるんだな…。本当に、自由人なのかな。


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