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冷光  作者: 有栖川市子
1/6

第一話:サンセットシネマ

「ねえ、太ったでしょ?」

「え?」

友人の声が、身体中に響いて、一瞬、いらっとした。

「ああ、うん。わかる?」

だけど、ぱっと顔を変えて、へらへらした顔になって、友人に向かって言えた。

実際、最近、本当に太った。

「わかるわかる!」

「やばいよねーはんぱないわー。」

正直、こんな話、どうでもいい。太ったとか、てめぇに関係ねえだろ。だけど、アナタはワタシのオトモダチ。

「でも、やっぱ、これはやめらんないよねー。」

どうやって出すのか、自分でもいまいちわかっていないかん高い声を、変なイントネーションで、自分の口から出すのは、変な感じだ。そうして、油のにおいのこもったマックに入る。そこで食べる。ポテトや、甘いもの。それと、ジュース。緑や黄色や、真っ黒のジュース。アタシタチの命の水。今日の命は緑色。いやんなっちゃうなあ。もう、家に帰りたい。部屋にひとりで、ただ、ぼんやりしていたいな。あーあ、もう、彼氏の話始めちゃった。終わんないんだろうな。毎日毎日、よく飽きないよね。ポテト、おいしいな。油、ぎっしりで、体も喜ぶ脂肪がたっぷり。飢餓になっても、この脂肪があれば、大丈夫!なーんて。あ、やべ、ぼんやりしちゃった。

「へえ、いいなあ、やっぱり彼氏とかいると、違うねえ。」と、にっこり笑って、またポテトを口に含んだ。好き、好き、好き。好き?そんな気持ち、馬鹿みたい。いらないなあ。あんなもの、あっても無駄に過ぎない。自分と他人の関わり合い?お互いがお互いを思っているという錯覚を抱き、それを自分に還元する。そうして生きていこうとする。いや、生きていていいんだと思い込む。

「ねえ!聞いてんの?」

「あ、ああ、ごめんごめん、ポテトに夢中になっちゃった!」

「ふっ。だから、沙羅は太るんだよ。」

人を、馬鹿にした笑いを浮かべ、楽しそうにほほ笑む。私が口から出した言葉を、そのまま素直に受け取る友人に感謝だ。

「だーかーらー、オトコ、紹介しようかって。」

「え?なんで?」

友人のほほが、ぴくっとなって、また、人を馬鹿にしたような笑いを浮かべながら口を開く。

「なんでって、オトコ、いないんでしょ。沙羅。あたしの彼氏の友達がさあ、誰か紹介しろってうるさいんだって。だからさ、ね。」

なーにが「ね。」だ。私の気持ちなんて、関係ないんだね。美しき友情だなあ。

「んー。やめとく。」

「はあ?なんで?好きなやつでもいるわけ?」

「んーそんなとこかなあ。」

「食べるのが恋人だろ!」と、脇から別の友人がかん高い声をあげてきゃはははと笑う。

なんとでも言え。


カラオケも、放課後マックも、ゲーセンも、ライブも、それなりに楽しかった。それなりに。でも、同じように、どうでもよかった。誰と来ても、同じように楽しい場所だ。だから、たまに、私いなくてもいいんじゃないかなと思う。さみしいとか、かなしいとか、そんな感情もないんだから、ひとりでいてもいいと思っているくせに、ひとりでいると他人がめんどうくさい対処をしてくるからって理由をつけて、めんどうくさい人間関係を作り上げている。全くもって、馬鹿だ。だけど、それは、たぶん、私の残っている人間的なもの。なんて、どこまで本当だか、わからない。所詮、自分のことなど、完全に客観視できないのだから。


「ちょっとお!?」

「まーた、ぼんやりしてるよ。太ってぼんやりちゃんになったんじゃねえの?」

「もういいよ、おいてこう。」

「時間、少なくなっちゃうしぃ。」

「うん、おいていって。」口が、開いて、低い声が出た。

「はあ?」オトモダチの声も、いつもの声じゃなくなった。

「いいから!行こっ!じゃあねー沙羅!」

きゃっきゃっとかん高い声たちが、移動していった。行き先は、道路挟んで向こう側の、古いカラオケ。パンダのかわいくないキャラクターがマイクをもって、こっちを見ている。パンダの視線をかわして、灰色コンクリートの大きな建物に目を戻す。この映画館、しまっちゃったんだ…。知らなかった。いつ?大好きな、映画館だったのに。サンセットシネマ。大正六年からずっとあったと、おじいちゃんがよく言っていた。おじいちゃんと、よく映画を見にきた。おじいちゃんは、おじいちゃんのお父さんとよく映画を見にきたと言っていた。おじいちゃんは、灰色コンクリートの建物を、ハイカラだと気に入っていた。窓が、拳しか出せないような小さな正方形で、壁一面に、規則正しく並んでいるのだ。街の賑やかな通りから、少しだけ脇に入る道、その名もシネマ通りの十字路に、サンセットシネマはある。いや、あったというべきなのか。そして、道路に面したその部分に、きらびやかなネオンサイン。赤と黄色で、ぴかぴかしていて、サンセットシネマの文字を浮かびあがらせていた。おじいちゃんと映画に来ると、おじいちゃんは、いつも映画館の前で、少し立ち止まって、建物を見上げた。私もいっしょに見上げていた。とても大きな建物に見えていたけれど、今見ると、そうでもない。三、四回建てのアパートほどの高さだ。そして、ネオンサインも取り払われている。上映予定の華やかなポスターたちがライトアップされていた場所は、黒く塗りつぶされている。なんだか妙な気持ちだ。この場所を、通らなくなっていたわけじゃない。マックからカラオケの定番コースの通り道。むしろよく通っていた。でも、いままで、サンセットシネマのことも、おじいちゃんのことも、すっかり、忘れていたような気持ちだ。だいたい、いつ閉まったのかすら、わからない。あの時の自分と、全く違った自分がいたような気がした。今、こうして、それを思っている私は、どっちの私でも、ないのだろうか。

誰も、映画館を気にしていない。ただでさえ人通りのない路地にいる数人のご老人達は、のっそりと、視線を地面に置いたまま、道を横切っていく。映画館の入口の前に、チケット売り場。木枠のついたガラス戸に区切られて、チケット取り出し口と、売り子との会話のための小さな窓がある。そこは、深くて重い朱色のカーテンがひかれていて、なかをみることはできない。ポップコーンやパンフレット、少しのドリンクを販売していた売店は、後になって付け加えられたように、館外に設けられたその場はコンクリートとは違う、色がついた強化プラスチックみたいな素材で作られていた。土色でぼこぼことした岩のようなもので周りが囲まれていて、鮮やかなグリーンのポールが販売員と客の間にあるカウンターを支えていた。カウンターと販売員側を区切るサッシのガラス戸がしめられていて、茶けたレースカーテンがひかれている。土埃や、枯れ葉がそのままになった灰色コンクリートの入口前の床に足を踏み入れ、チケット売り場の横の映画館入口の扉の取っ手に手をかけた。この扉もすごく好きだった。黒いガラス戸。珍しくて、重々しくて、映画館に来たな、と思わせるからだ。そして、この取っ手。黒いガラス戸に生える、ゴールドの長い取っ手。豪華で特別なところへ来た気持ちにさせる。それも、年月と共に、金メッキがはがれてしまっていた。ぐっと力を入れたが、がちっと鈍い音がして、ドアは開かなかった。もう、入れないのかな。映画館の中は、レッドカーペット。それも高級感のあるような、ワイン色。おじいちゃんは必ずぴかぴかに磨いた黒い革靴を履いて、その上を歩いていた。おじいちゃんは混雑のなか、しっかりと私の手を握ってくれた。しわが、やわらかくて、さらさらした、あたたかい、手。最後に、握ったのはいつだったか、もう覚えていない。入口が一階席と二階席、バルコニー席と別れていて、おじいちゃんと私はいつも一階席。見終わるとおじいちゃんはいつも首を押さえていた。一度だけ、小学生のころだったか、バルコニー席に座ったことがある。見た映画は、その時とても流行っていた洋画だった。洋画は日本語版のものだったけれど、どんな内容だったのか、観た当時はわからなかった。あとから、またすぐDVDでみる機会があって今は覚えているけれど。大切な人を、なくしてしまう、お話。戦争で。おじいちゃんは、いつも私が見ても楽しめるような映画をいっしょに見てくれた。どうして、あのバルコニー席の日だけ、あの映画だったのか、今でもわからない。

 映画館の脇に移動すると近未来のような、いや、一方で廃墟的な細い階段が三本もあった。それぞれがそれぞれのドアに辿り着くための手段になっている。そのうちの一本に足を進めた。錆びた黒塗りの金属の階段は少し怖い。二階ほどの高さにある扉に辿り着いた。何を、しているのだろう。無機質な錆びた鉄のドアの銀色のまあるい取っ手を回す。かちゃっと軽い音がした。ドアを手前に引くと、ドアの重さが、腕に響いた。全身でその扉を開いて、中に入った。もっと、こもった古い香りがするかと思ったけれど、ほんのすこし甘い香りと、懐かしい香りがした。不法侵入ってやつになるのかな。床が赤い絨毯ではない。白い無機質な床。重かったドアがゆっくりやってきて、その重さを表すような音で閉まった途端、真っ暗になった。バッグのなかのケータイを探す。メールがきたよ、とブルーの小さな光を発していたおかげで、すぐに見つけられた。ケータイを開いて、ディスプレイの光を床に向け、あたりに向けた。とりあえず、段ボールが積まれたりしていないほうに足を進めることにする。先に扉が見えてきた。その扉を開けたら、バルコニー席に出た。観客席がそのままあった。バルコニー席の椅子は少しだけ違う。赤い布地は変わらないが、一階席や二階席が年月と共に、椅子というよりもシートというような開閉タイプの椅子になったのに対し、バルコニー席は二人掛けのベンチのような形の椅子なのだ。赤い起毛の布地に覆われたふわふわの座面と背面。それらが白塗りされた木で縁どられている。腰をおろしてみる。久しぶりに、息をすえたような妙な気持ちになった。

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