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竜胆 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
9/22

懐柔

 実家に居る時より頻度が激減しているとはいえ、度々(たびたび)永一(とういち)の来訪に、受付嬢で居る事にも限界を感じ始めた頃、周囲が向子(さきこ)を気遣って、雑用係兼、辰顕(たつあき)の秘書の(よう)な位置に配置換えされる事となった。


「情けないわ」


 向子が、辰顕の仮眠室の椅子に座って溜息をつくと、机に向かっていた辰顕が、向子を見て、気の毒そうに言った。


如何(どう)して?皆助かっているよ。ちょっとした郵便の手配とか、書類の整理とか。薬棚の清掃や、消毒とかね。本家の娘さんに雑用ばかりさせて申し訳ないけど、意外に、そんな事は手が足りていないから。そりゃ、最初は受付嬢で、という事だったかもしれないけど、向子は給金分の仕事はしているだろう?小遣い程度の給金で悪いけどさ」


「いえ、でも、此れでは…御小遣いを貰って、更に辰兄(たつにぃ)を護衛に付けてもらっている(よう)なものだもの。申し訳なくて。私さえ(とう)の事を我慢すれば、受付くらい…。そりゃ、来客の度に完三(かんざ)さんに受付を代わって頂いていたのは申し訳ないけれど」


 眼鏡を掛けた、如何(いか)にも事務員風の人の好い瀬原完三(せばるかんざ)と、其の母で、完三(かんざ)によく似た細身のテイが、食事や御茶の支度をして出してくれる、受付兼事務室の雰囲気は、病院にしては家庭的で、向子も好きだった。


 其の雰囲気を、向子が壊してしまうのは、嫌な気がした。


「止しなさい」

 珍しく、少し強い口調で、辰顕は言った。


「自分さえ我慢すれば、なんていう気持ちは危険だ。周りが見ていて、向子が不憫だと思ったから配置換えになった。其れは確かだ。でも本当に心配だったよ。みるみる痩せて。体を壊してまで遣らせる(よう)な仕事は無い。我慢は美徳じゃない」


「辰兄」


 辰顕の様子に、向子が驚いていると、よう、と言って、開け放たれた仮眠室の扉から、俊顕(としあき)(けい)顕彦(あきひこ)安幾(あき)(さかえ)(はつ)が顔を出した。


「御父様、御母様」

 向子は、母に駆け寄って、ひし、と抱き付いて、シクシク泣いた。


 珍しく訪問着を着た安幾が、そっと向子を抱き返して啜り泣いた。


 背広姿の顕彦が、向子と安幾を(まと)めて抱き締めた。


 ほら、と辰顕は優しく言った。

「親の顔を見て泣き出す(よう)じゃ、やっぱり我慢しているよ」


 サキちゃん、と言って、安幾は、宝物を見る(よう)な目で、()うに自分より背が伸びてしまった愛娘の顔を見上げた。

「聞きましたよ。受付の御仕事、頑張っていたのにねぇ。こんなに痩せて」


 そう、安幾は、心配して、何度も受付まで足を運んでくれていたのだった。


 御母様、と言って、向子は余計に泣いた。


「向子。何が、そんなに(つら)かったか話して御覧」

 俊顕が、優しくそう言った。


 辰顕が、仮眠室に人数分の椅子を持ってきてくれた。




 (けい)が煎れてくれた御茶を飲みながら、向子は、初めて永一と病院の応接室でした話をした。


 聞いている七人の大人が、揃って唖然とした顔をした。


「…私、欠片(かけら)(とう)の事を好きでなくて、此れ程良かったと思った事は無いわ。(とう)の事を少しでも好きな女の子が聞いたら絶望したでしょうよ。『里で一番綺麗で優しくて賢くて上品』な『実方向子(さねかたさきこ)』は、(とう)の頭の中だけの存在よ。『私』じゃない。でも、聞いてくれなかったのだわ。(とう)は自分に都合の良い私の姿しか頭に残さないのよ。十年以上、私は、如何(どう)にか私を諦めてくれないかって、無駄な努力をしてきたの。だから絶対に諦めてくれる気が無いのだって、分かってしまったの。何時(いつ)になったら、私は、そんな都合の良い存在じゃないって分かってくれるのかしら?私が本当に『里で一番綺麗で優しくて賢くて上品』とやらではなくなった時、私は、どんな目に遭わされるのかしら?(とう)の中の私の姿を裏切ったと言われるのかしら。其れでも、変わってしまった私を認めずに、私から離れる気を起こさないのかしら。其れとも、いっそ顔に傷でも付けたら諦めてくれるのかしら、って、考えても仕方が無い事を延々考えてしまって。…違うの、食べているの。食べているのに、何故か痩せるのよ。こんな、皆に心配掛けたかったわけじゃ。そりゃ、食べる量が多かったとは言えないかもしれないけれど」


「…いや、そんなもんに付き(まと)われたら食欲無くすわ。十年以上って。尋常じゃないだろ」

 俊顕が、そりゃ心配するわ、と言った。

 

 怖ぇ、と顕彦は身震いしながら言った。

「こんな絶望的な恋愛話は聞いた事がねぇなぁ。いや、(そもそも)、此れは恋愛なのか?」


 女性三人は、生理的嫌悪感を(あらわ)にした表情をして押し黙ってしまっていた。


 気持ち悪いだろうな、と思い、向子は三人に共感した。


 辰顕が、転地療養は如何(どう)でしょう、と言った。


広義(こうぎ)の家事手伝いで、(たか)達の会社にでも送れませんかねぇ。此の子に仕事を手伝わせようとして、宅地建物取引員の資格を取らせようとはしていらしたのでしょう?今も向子は勉強しているのだというし、実地で業務を手伝わせるのが少し早まっただけ、と考えて、此処から出してやれませんか。あんまり気の毒です。可惜(あたら)若いのに、そんな事で悩ませて。顔に傷、なんて発想、余程の事ですよ。健全ではない。駄目なら、吉雄(よしお)さんの所とか」


「吉雄さんの所じゃ目立ち過ぎてしまう。また、坂元に関係する娘が、と言われてしまうぞ。(たか)達の会社に遣るのも、ちょっと早過ぎる。資格を取ってから此処を出ないと、里を出る条件としては流石に弱い。許可が下りないかもしれない。そうでなくても、(たか)達の件では、実方本家も大分融通してもらっているからな」


 俊顕は、そう言って、如何(どう)したものかな、と続けた。


「いっそ、里の外に嫁に行くか?強硬手段だが。…いや、そんな事で結婚させてもなぁ。宅地建物取引員の資格試験に行く、資格を生かして兄の仕事を手伝う、という手順をキチンと踏んだ(ほう)が穏便かもしれん…。厄介だな。誰の言う事なら聞くかな、あの(おさ)は」


「ま、吉野本家の保親(やすちか)さんの言う事なら、少しは…。荻平(おぎへい)さんが居てくれたらなぁ」


 辰顕が、そう言って腕組みをすると、顕彦が、うーん、と唸った。


「あ」

 (はつ)が、閃いた、という顔をした。

「保親さんの方を懐柔(かいじゅう)出来ないかしら」


 其の場に居た全員が驚きの表情をした。


 (けい)が、ハナちゃん?と言った。

 お(けい)さん、と言って、(はつ)(けい)に耳打ちした。



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