逃げた花嫁の言い分
逃げた花嫁・ポーレットの登場です。
ポーレット・ラウールは、自分が美しい令嬢だということを理解していた。
ピンクブロンドの髪と水色の瞳、透き通った白い肌、薔薇色の唇、可憐な容姿は妖精のようだと讃えられ、誰もがポーレットの気を引きたがった。
父は自分を溺愛し、欲しいものは何でも買い与えてくれる。マナーだ勉強だとうるさい母と陰気な妹は気に入らなかったが、使用人は大半が自分の味方で大抵のことは思い通りになった。
そして10歳の時、ポーレットは第一王子ザンダーの婚約者となった。未来の王妃の座が約束されたのだ、ますますポーレットの周囲は華やかになった。
「ラウール伯爵令嬢、背中が曲がっていますよ」
「食事中に髪を触ってはなりません」
「最低でも三ヶ国語はマスターしていただきます。エンガー語は必須ですよ。…高位貴族の令嬢なら知っているはずです」
一方で、面倒な王妃教育も始まった。
高位貴族の令嬢として基本的な教養で今までさぼったツケが一気に回ってきただけなのだが、勉強と努力が嫌いなポーレットは辟易した。
「どうしてこんな面倒なことをしなきゃいけないのよ…」
ポーレットは父に泣きついたが、さすがの父も王妃教育をさぼっていいとは言ってくれなかった。教師の言うことをきかなければ婚約者を降ろされると諭されたが理解できない。
勉強ができなかったところでポーレットの美しさは変わらない。実際、誰もがポーレットの美貌を褒め称え、王子妃に相応しいと言ってくれるのだから。
婚約者に決まってから一年が経つ頃、ポーレットはミラ王妃にお茶に招待された。
ミラ王妃は他国の王女で、国王の寵愛を失って久しく立場が危うい。それでも第一王子の生母であることに変わりはなく、ポーレットは愛想笑いを貼り付けてはせ参じた。
「王妃教育が滞っていると聞きました」
「…申し訳ございません」
王妃教育に対して苦言を呈され、ポーレットは内心地団駄踏みながらも謝罪を口にした。
「何も全てを完璧にこなす必要はないわ。…私のように教養を身に着けていても、可愛げがないと夫に邪険にされることがありますからね」
「…」
ポーレットは目を瞬く。そのようなことを言われるとは思っていなかった。
「ただ、高位貴族としての教養は最低限身に付けなさい。あなたを引きずり降ろそうという貴族はたくさんいるのよ。その理由に『王妃としてどころか貴族令嬢としてのマナーがなっていないからだ』なんて言われたら、目も当てられないわ」
「努力します」
「こんなことは言いたくないけれど、あなたは家格的にも政治上の立場的にも『ちょうどいい』と言うことで選ばれたの。同じ条件ならジュリアン侯爵家のウィズ嬢も当てはまったのよ?でも彼女の兄がザンダーの側近になったから彼女は外されたわ」
初めて聞く話だった。
ポーレットはこれまで、自分が美しいから、王妃として相応しいから選ばれたのだと信じて疑っていなかった。
「ウィズ嬢は母親を亡くしたというのに病気の父親を支えて領地経営に携わり、五か国語をマスターしている才女だそうよ。彼女が兄の伝手を使えば、あなたを押しのけてザンダーの婚約者の座を奪うことだってできるでしょうね」
「そんな…」
「それが嫌ならもう少し努力して頂戴」
ミラ王妃としては、ウィズを引き合いに出してポーレットに発破をかけたつもりだった。
しかしポーレットには「ウィズ・ジュリアンは王妃の立場を脅かす存在だ」という間違った認識が植え付けられることになった。
お茶会の後、ポーレットは早速ジュリアン侯爵家の令嬢を調べた。夜会などで彼女を見かけたことはあまりない。どうやら侯爵は数年前に妻を亡くしたショックで引き籠ってしまったため、ウィズ嬢は領地経営に駆け回っているらしい。
王都にはいないことが多いと知り、何とか接触できないか考えているうちに隣国との戦争が始まった。国王の命令で婚約者のザンダー王子が戦地に送られることになってしまったのだ。
「殿下…心細いですわ。どうか一日も早く王都に戻って来てくださいまし」
「ポーレット嬢、傍にいて支えることができなくてすまない。母のことをよろしく頼む」
ザンダーを送り出したポーレットは、しばらくは殊勝に王妃教育に精を出し、ミラ王妃のご機嫌を取った。
しかしザンダー王子が帰ってくる気配はなく、半年も経つと王妃教育をさぼるようになった。一挙一動を厳しく観察する王妃や教師たちの相手をするよりも、自分をお姫様扱いしてくれる貴族の令嬢令息たちと交流した方がずっと楽しいと気づいたからだ。さすがに純潔を失うような馬鹿はしないが、酒を覚えて夜遅くまで騒ぐ日々が続いた。
父はやんわりと注意してくるが、涙を浮かべて反省しているふりをすればそれ以上は何も言わない。
そんな中、忘れかけていたウィズ・ジュリアンの話を耳にした。最近になってようやくジュリアン侯爵が持ち直し、ウィズ嬢も婚約者選びを始めているようだ。
知り合いの夜会に出るらしいという話を得ると、ポーレットも参加することにした。
「あれがウィズ・ジュリアン嬢?」
「そうですわ。随分と背が高いですわね。…でも綺麗な方」
参加した夜会でウィズ嬢は目立っていた。身長がかなり高く、周囲から遠巻きにされている。
しかしどうやら高身長だけが遠巻きにされる理由ではないようだった。ボリュームのないドレスを着た体躯はすらりとしていて誰もを惹きつけ、艶やかな黒髪と藤色の瞳に彩られた顔立ちは凛としていて美しい。
ぼーと見つめたり、声をかけようとじりじり距離を詰めている令息もいた。
ポーレットはミラ王妃の言葉を思い出してすごく不機嫌になった。
気に入らない。あれほどの美しさがあり、教養がある…はっきり言って目障りだった。
それからポーレットはウィズ嬢の評判を貶め始めた。
「金遣いが荒いらしく、父親は恥ずかしがって領地に閉じ込めていた」
「自分より背が低い令息をよく馬鹿にしているらしい」
「教養が高いことを鼻にかけた嫌味な性格だ」
さらにウィズ嬢が見合いをしたと聞くと、相手の家の兄弟親族に接触して脅しまがいのこともした。皆が次期王妃のポーレットの不興を買うことを恐れ、ウィズ嬢と縁を結ぶことを諦めてくれた。それが三回も続けば、後は勝手にウィズ・ジュリアンは不良物件らしいという話が広まっていく。
ポーレットは適当なところで、身分が低く難のある男をウィズ嬢に紹介してやろうと思っていたが、相手を吟味している間に彼女は婚活をやめて王宮に勤め出してしまった。
しかも女官としてではなく、書記官として政務塔に出入りしているという。政務塔は宰相のリースマン公爵の管轄であり、彼に睨まれたらラウール家とてただでは済まない。
この頃、ミラ王妃は側妃との権力争いに敗れて離宮に追いやられていた。ポーレットは口うるさい姑がいなくなったことにせいせいしていたが、後ろ盾が一つ減ったことには変わりない。リースマン宰相は王妃派と側妃派のどちらにも属していないが、ポーレットの行動一つで側妃派に転向してしまう可能性はゼロではない。
ウィズ嬢に最後のとどめをさせなかったことは口惜しいが、ポーレットはそれきり彼女のことを忘れることにした。
やがて月日は流れ、王都にザンダー王子が戻る日がやってきた。
ザンダー王子は五年の間に戦功を重ね続け、それに焦った側妃たちは勝手に自滅し、国王によって一掃されていた。ポーレットはザンダー王子が帰還してすぐに結婚式を挙げることと、彼が立太子することを知らされた。
いよいよだ。
いよいよ自分がこの国の最も高貴な女性として君臨する日がやってくる。
そう信じ、意気揚々とザンダー王子を出迎えたポーレットは、変わり果てた王子の姿に血が凍った。
あの輝かんばかりの美貌が跡形もなく、いたのは筋肉の鎧をまとった、厳ついゴリラだったのだ。
泡を吹いて気絶したポーレットは、丸二日寝込むことになった。
「嫌よ…あんな獣のような男に嫁ぐなんて…。どうしてこんなことになったの…」
ポーレットは自分の身に起きた悲劇に涙した。
輝かしい未来ががらがらと崩れていく。
次期王妃という身分。
美しさを褒め称えられる自分。
そして自分に釣り合う夫を得て、誰もがうらやむ存在になるはずだった。
それが全部台無しだ。
皆はポーレットを、獣のような王子に差し出された供物だと嗤うだろう。今まで下だと思っていた連中に憐れまれるのだけは耐えられなかった。
「そのように思われるのは当然のことです。あなたは特別な存在なのですから、侮られてはなりません」
全てを肯定する言葉に、ポーレットは顔を上げた。
気分転換をしてはどうかと侍女に勧められ、商人を呼んで新しいアクセサリーを選んでいた時のことだ。平民の商人なら構わないだろうと、婚約者が自分に相応しくない筋肉ゴリラになってしまった愚痴を零していたら、彼は優しい声音で慰めてきた。いつもとは違う若い商人だと思っていたが、よく見れば整った美しい顔立ちをしている。
「王子殿下は妖精姫を娶る幸運を手にするというのに、あなたには見返りが少なすぎます。なんてお労しい」
「まあ…」
手を握られ熱っぽく語られる。部屋には、他には自分の侍女しかいないのだから問題はない。
「どうですか?王子殿下にあなたの本気を見せてみては?」
「本気を見せる?」
「結婚式の日に姿を消すのです」
「そんなこと!できるわけがないわ」
「よくお考えになって下さい。王子殿下は美しいあなたとどうあっても結婚したいはずです。数日くらいあなたの不在をもみ消すでしょう。そして『お願いだから結婚してほしい』と縋ってくるに決まっています」
「そうかしら…上手くいくかしら…」
「いきますとも!あなたの美しさに傅かない人間はおりません…それがたとえ王子であっても」
そうだった。
ポーレットはこれまで、美しいというそのただ一点において全てを得て、全てを許されてきたのだ。
だいたい、戦地に五年いた程度であんなむさくるしい容姿になる王子が悪い。
ポーレットは努力を怠らず、健気に王子を待っていたというのに。
「あなたのご機嫌を取るために、二度と逃げられないために、王子はどんな要求も呑むでしょう。面倒な政務をしなくて済んだり、お気に入りの異性の部下を傍に置くことも認められるかもしれませんよ」
そのままマイケルと名乗った若い商人は、ポーレットに脱走計画を持ち掛けた。唯一同席していた侍女も「お嬢様はもっと相応しい境遇を要求して良いと思います」と煽り、ポーレットはさらにその気になった。
マイケルはその後も何度か伯爵家を訪問し、計画は綿密に練られ…そして結婚式前日の夜を迎える。
ポーレットは馬鹿じゃないし、自分を取り繕える程度には小賢しいです。でも幼い頃からあまりに愛らし過ぎて、周囲が全て彼女の都合のいい状況を作っていたので、それが当たり前だと思っています。今回も結婚式を前に逃げたことが悪いことだとは理解していても、父親や婚約者がどうにかしてくれると楽天的です。