第一王子の結婚式
女官たちに拘束されてから一時間後。
ウィズは彼女たちによってつやつやに磨き上げられていた。
風呂に放り込まれ、香油を塗り込まれ、マッサージをされて念入りに化粧を施される。そして兄エメラルドが持ってきた母の形見のドレスをまとい、髪を結われ、ザンダーの瞳の色と同じ宝石のネックレスやらティアラやらをくっつけられた。
さすがにここまでくるとウィズも「無理です!」と逃げることはできないと腹をくくった。必死に自分を飾ってくれた女官たちに申し訳ないし、血走った目でドレスに追加のビーズを縫い付けまくるお針子の努力も無駄になる。それに正直、母のウェディングドレスを着れるのは嬉しかった。もはや諦めていた夢だったからだ。
五日前。ウィズはいつも通りリースマン宰相の下で仕事をしていた。
「ウィズちゃん、お使いに行って来てくれなぁい?」
間延びした声でリースマン宰相が書類をひらひらさせる。ウィズはため息をつくと、「いいですよ」と椅子から立ち上がった。
「おおっ!ウィズだろう?久しぶりだな!!」
書類を配ったり逆に預かったりしながら政務塔を歩いていたウィズは、自分の名を呼ぶ野太い声に眉をひそめた。振り返ると、赤茶の髪の巨漢がこちらへずんずんと歩いてくる。
ウィズはまずびっくりした。182センチの自分が見上げるほどの、大男だったからだ。180センチを超える男性はままいるが、見上げるほどの人物は王宮ではウルフ王くらいだと思っていた。
ウルフ王も190センチ近い偉丈夫だが…そこでウィズは、ようやく思い至った。髪と目の色から察するに、彼はウルフ王の息子なのだろうと。
「第一王子殿下…ですか?」
「もちろんそうだ!…とはいえ、随分と容姿が変わってしまったがな」
「ザンダー様…」
輝かんばかりの美男子だったザンダーが、まさかの父親似の筋骨隆々大男になっていた。整えてはいるものの、顎鬚まではやしているのでゴリラに見える。
だが、驚きの次にウィズの胸に去来したのは安堵だった。自分の優しい思い出を知る彼が、無事にここにいる。
ザンダー王子が戦地から戻ってきたのは一週間も前のことだ。当然ウィズの耳にも第一王子帰還の報は入っていたが、会おうとは思わなかった。むしろなるべく情報を入れないようにしていた。
お見合い相手の令息たちのように、大女だと…女の出来損ないだと揶揄されるのではないかと…そうでなくても視界に入れたくないほど醜い、と思われるのではないかと恐ろしかった。
しかしいざ会ってみればなんてことはない。彼はウィズの姿を受け入れ、そしてウィズも容姿の変わった彼の無事がただ嬉しかった。
「よくご無事で…」
「うむ。そなたも息災そうだな。宰相の下で頑張っていると聞いているぞ」
「はい。…はい、殿下。いずれ来る殿下の御代をお支えしたくて」
「仕事中か?少し茶に付き合ってはくれぬか?」
「あ、でも…少しだけなら…」
ウィズは部下に書類を預けると、政務塔の小さなテラスでザンダーとお茶をすることになった。よく文官同士の打ち合わせに使われるような即席のテーブルと椅子しかないところだ。
しかしザンダーは気にした様子もなく、従者に備え付けのポットから茶を入れさせて豪快に飲んだ。
「今日は兄は…」
「エメラルドには母上に付いてもらっている。式の打ち合わせが細かいらしくてな…。結婚するのは俺だというのに、なぜか爪はじきだ」
「そう、ですね。殿下はポーレット様とご成婚されるのですね。おめでとうございます…」
結婚という言葉を聞いた途端、ウィズの心は沈んだ。ここのところ忙しくて忘れがちだったが、自らの結婚を諦めた時の苦しさはまだ胸を抉り続けている。
「ウィズ…見合いが上手くいかなかったという話はエメラルドから聞いている。気にすることはないぞ。そなたの美しさと優秀さに気づかない男どもに、そなたは勿体ないのだ」
「私が美しいだなんて…」
「ウィズ…」
ザンダーの戸惑った声。
ウィズは自分が涙を流していることに気づいた。
「そんな心にもないお世辞などやめてください!どうせ私は女の出来損ないです!!」
「…」
「お母様は私の幸せを願ってくれていたのに…お父様も立ち直ってくれたのに…。でもこの醜い姿のせいで、私は…」
ぱたぱたと涙が落ちる。
こんな風に泣いたことは母の葬儀以来だった。
「ウェディングドレスがあるんです…母が用意してくれた…」
「…」
「いまの私にぴったりに作られていて…。母の愛情を痛いほど感じました…でも私はそれに応えることはできません」
「そうなのか?」
「着る機会がありません…。一生独身ですもの」
あのあと、ザンダーはウィズの涙が止まるまでただ待ってくれた。
涙を拭うことはしなかったが、ひたすら寄り添ってくれていた。
…それが思わぬ展開になったものだ。偽りの花嫁とはいえ、ウィズは胸が高鳴るのを止められなかった。
ウィズはポーレット嬢とは似ても似つかない。身代わりなど無理だというのに、ザンダーはウィズの苦悩を想い、あんな提案をしてくれたのだろう。こうなれば、今日一日全力で花嫁を演じるのみである。
そうして着飾ったウィズは、エメラルドにエスコートされてあの新郎新婦控室に戻った。
「おおっ、ウィズ!」
扉を開けるなり、ザンダーが快活な声を上げた。
一時間前までの沈鬱な顔が嘘のように明るい表情をしている。
「待っていたぞ。いやはや…見違えた。美しい花嫁姿だ…なあ?二人とも」
「…」
「…」
見れば部屋の中に揃っていた重臣たちはおらず、残っていたのはラウール伯爵とジュリアン侯爵のみだった。
ザンダーとは対照的に、二人の顔色は青や白を通り越して土気色に近い。
「ウィズ!…ウィステリア。よろしく頼むぞ」
「わ、私などで恐縮です。本日は精一杯務めさせていただきます」
ウェディングドレスを着れてちょっとハイになっていたウィズは気づかなかった。
エメラルドがこっそりため息をついたことも、父侯爵が泣きそうな顔でこちらを見ていたことも…。
その後、アレクサンダー第一王子の結婚式は滞りなく行われた。
二メートル越えの巨漢の王子に寄り添う花嫁はすらりと背の高い黒髪の美女だ。お似合いの二人だと他国からの賓客はうっとりとし、自国の貴族はあれ?と首を傾げた。
それでも披露宴は進行し、最後に教会で婚姻の儀式が行われた。
「汝アレクサンダーは、ここにいるウィステリアを病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい、誓います」
「汝ウィステリアは、ここにいるアレクサンダーを病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「?はい、誓います」
ここでウィズは自分の本名が出てきたことに疑問を抱いた。でもその疑問を口にできるはずもなく、式は進み、指輪を交換して口づけを交わす。
てっきり頬にされると思っていたのに、まさかの唇への濃厚なキスにウィズが抱いていた違和感は吹き飛んだ。
そして…。
気が付けばウィズは寝室にいた。
ウェディングドレスは脱がされ、色っぽいネグリジェ姿になっていて、目の前にはザンダーがいる。
「でんか?」
「殿下とは他人行儀だな。もう夫婦なのだから名前で呼んでくれ」
「え?でも…」
「ウィステリア…。そなたのような美しく賢い妃を娶れたことを嬉しく思う。これからよろしく頼むぞ」
「???」
状況をまったく把握できないまま、ウィズはザンダーに美味しくいただかれてしまった。
式を挙げた三日後、ウィズはようやく寝室から這い出ることができた。
そしていつの間にか自分がラウール伯爵と養子縁組をしており、身代わりではなく本来の婚約者として嫁いでいた事実を知ることになる。どういうことなのかと詰め寄るウィズに対し、ザンダーは器用にも愛の告白と土下座を交互に駆使し、数日後には懐柔に成功してしまうのだった。
近しい者たちにとっては何とも奇妙かつ情けない結婚の顛末であったが、国民たちと他国からの賓客にはただ剛健な王太子と美しく賢い令嬢が立派な婚姻を挙げたようにしか見えない。
こうして王国の危機は去ったのである。
ちなみにウィズが意識を飛ばしている間に、ちゃっちゃと立太子の儀は済んでしまいました。