書記官令嬢の父の抵抗
キサツ隊のエン柱さんを彷彿とさせる台詞が出てきますが、どうか広い心でお見逃し下さい。
エール・ジュリアン侯爵は、決して有能な男ではない。
どちらかといえば凡人だと思っているし、他人もそう思っているだろう。
何代か前に王女を受け入れたことのある高貴な血筋と、持って生まれた人当たりの良さと、あとは強運。この三つで何とか「侯爵様」をやらせてもらっていると自覚している。直感とか機敏とかという言葉には、一生縁がないものだと信じていた。
しかし…。
「ウィズ、お前が花嫁になれ」
第一王子の結婚式当日に、花嫁が姿を消すという前代未聞の事件が起こった。
皆が一日だけでもしのごうと花嫁の身代わりを仕立てるという話になった時、それまで無言で成り行きを眺めていた当事者の王子が発した言葉がそれだった。ザンダー王子のこの台詞を聞いた時、ジュリアン侯爵は瞬時に彼の心の内を理解した。
それができたのは、あの場ではジュリアン侯爵だけだっただろう。他の者たちは王子は花嫁に逃げられたショックでやけになったか、場を和ませるための冗談を言ったのだと思ったはずだ。
だがジュリアン侯爵は気づいていた。娘のウィズを見るザンダー王子の目は、まるで獲物を見定める狩人のそれだった。
「む、無理です!私のような女の出来損ないに、花嫁役などできません」
十数秒かかってようやくザンダー王子の言葉を呑みこんだウィズは、必死に拒絶した。それに花嫁の父のラウール伯爵も同調する。
「そうです!それにいくらお針子たちが優秀と言えども、あのドレスを書記官殿に合わせることは不可能です」
ラウール伯爵の言葉にジュリアン侯爵はカチンと来たが、何とか堪えた。声音に棘を感じたものの、間違ったことは言っていない。身長が150センチ台の令嬢に合わせたドレスが、182センチのウィズに着れるわけがないのだ。内心しめしめと思っていたのだが、王子は揺るがなかった。
「ウィズ、先日会った時に言っていたではないか、母親の形見のドレスがあると。それを王家の結婚式に相応しくお針子たちに飾ってもらおう」
「え、…でも」
ウィズの雰囲気が変わった。
ジュリアン侯爵の肌が一気に粟立つ。
まずい。あのドレスのことを持ち出されては…!
慌てて口を挟もうとしたが、思わぬ伏兵がいた。
「ドレスならば、すぐにタウンハウスから取ってまいります」
「兄さん!?」
「エメラルド!!」
何てことしてくれんの、馬鹿息子!!絶対に王子の意図を汲み取っていた自分の息子は、止める間もなく部屋から出て行ってしまった。
「それに身長は関係ない。ウィズは確かに背が高いが、俺はさらに背が高いからな」
ザンダー王子がにかりと笑う。
そうなのだ。戦場で第三次成長を迎えたザンダー王子は、身長が二メートルを超す巨漢になってしまっていた。
まずい…まずいぞ…。
ジュリアン侯爵は必死に頭を働かせる。
このままでは、ウィズは本物の王子の花嫁になってしまう!!
何としても、阻止しなければ!
エール・ジュリアンは、ジュリアン侯爵家の一人息子として生まれた。
ちょっとのんびりしている息子を心配した両親は、しっかり者の嫁を見つけて来てくれた。同じ侯爵家出身のアンネマリーだ。女性にしては背が高く、エールの方が頭半分低かったのだが、エールは大して気にしなかった。そんなことより、アンネマリーの美しさと気高さにすぐめろめろになった。
最初は一線を引いた態度だったアンネマリーも、エールの好意が本物だと分かると気を許し、社交界でも評判の仲睦まじい夫婦となった。すぐに嫡男のエメラルドを授かり、四年後にはウィズが誕生した。
それからの十数年は、エール・ジュリアンにとって一番幸せな時間だった。
幸福が終わったのは、アンネマリーが風邪をこじらせて儚くなってからだ。亡くなる二年前に三人目の子を流産していた彼女は心身共に弱ってしまっていて、立ち直ることができなかった。
最愛の妻を亡くしてしまったジュリアン侯爵は、しばらくうつ状態になってしまった。それからの二年間、まだ成人もしていないウィズにはかなり迷惑をかけたと思っている。
ザンダー王子の側近となったエメラルドはタウンハウスにすら帰れない多忙な日が続き、ウィズが領主代理として領地と王都を行ったり来たりする羽目になった。彼女は腑抜けになった父に恨み言一つ言わず、健気に支え続けてくれた。
そしてジュリアン侯爵が立ち直るきっかけをくれたのもウィズだった。
「父上、これを見て下さい!お母様の遺品を整理していて見つけたんです」
ジュリアン侯爵は妻が亡くなったことをまだ受け入れられず、遺品の整理は全てウィズがやってくれていた。その中に、ウィズ宛ての品があったという。
それは妻が結婚式に着ていたウェディングドレスだった。
「ウィズは私によく似ているわ。もしかしたら、背も私のように伸びてしまうかも…」
アンネマリーは何度かそう漏らしていた。
彼女の予想通り、ウィズの身長は父どころか兄のエメラルドを超えるほどになってしまった。
ウェディングドレスはアンネマリーの身長に合わせて作られたものだ。それを丁寧にクリーニングし、アイロンをかけ、ウィズのために手直しをしていたのだろう。
「とっても素敵…。私もいつかこれを着てみたいです」
ウィズはドレスを汚さないように気を使いながらも、きらきらした目で眺めていた。
そこでようやくジュリアン侯爵はこのままではいけないと気が付いた。娘が幸せになるその日まで、足掻かなければいけないのだ。妻を偲んで隠遁生活を送るのは、息子に爵位を譲ってからでも遅くない。
こうして当主としての職務に復帰したジュリアン侯爵だったが、腑抜けていた二年間の間に時代は大きく動いていた。
隣国との戦争が始まり、ザンダー王子はエメラルドを連れて戦地に向かった。第一王位継承者がいなくなった王宮では王妃が側妃に追いやられ、第二王子と二人の大公が王位を狙って暗躍していた。
そんな中社交界に令嬢としてデビューしたウィズは、その高身長のせいで婚約もままならない状態になった。もっとジュリアン侯爵が堂々としていれば良かったのだろうが、妻を亡くして屋敷に閉じこもっていたことは隠せない事実であり、娘のウィズですら侮られることになってしまっていた。
そして何度目かの婚約の話をなかったことにされたウィズは王宮で働くと言い出した。
「ウィズは結婚は諦めます。こんな大女を娶ってくれる殿方はいらっしゃらないでしょう。いたとしても何かしらの問題があり、こちらの足元を見てくるはずです。お父様やお兄様にご迷惑をおかけするくらいなら、私は一生独身のままでおります」
ウィズに迷惑をかけられることなんて苦痛でも何でもない。それでも王宮で勤め口を探すウィズを止められなかったのは、このまま無理に結婚相手を探しても、一番不幸になるのは彼女自身だと分かっていたからだ。
ウィズの言う通り、これから結婚を申し込んでくる相手はこちらの足元を見てくる。そしてウィズをまともに妻として扱いはしないだろう。そんな不幸な結婚だけは断じて許せなかった。
それでもウィズが母の形見のウェディングドレスを見ながら泣いていることを侍女から聞いては、無力な自分に憤る毎日だった。
そして時は流れ、無事に第一王位継承者として戻ってきたザンダー王子の結婚式。
ジュリアン侯爵の目の前では信じがたい出来事が起こっていた。
「女官長、ウィズを花嫁にする。ドレスが到着するまで彼女を頼む」
「かしこまりました」
「え、女官長様!?なに、あ、あええぇぇええっっ!!」
女官長はまだ衝撃から立ち直れないウィズの首根っこをむんずと掴むと、そのまま彼女を部屋から引きずり出した。
「ウィズ!!?」
ジュリアン侯爵が止める間もなく、ウィズは女官たちに連れ去られてしまった。
しまった!
か弱そうな女性たちばかりだったのですっかり油断してしまった。
「殿下、横暴ではないですか!!娘は花嫁役を承諾しておりません!」
ジュリアン侯爵は不敬を覚悟でザンダー王子に詰め寄るが、王子は怒るどころか獰猛に笑った。
「っ!!」
足が笑いそうになるのを必死に堪える。娘の将来がかかっているのだ。
「うむ、そうだな。承諾か…。確かにその通りだ」
「でん…」
「ジュリアン候の言う通りだ。ウィズには後でしっかりお願いして、協力を要請するとしよう」
「殿下、私の話を…」
「まあ待て、ジュリアン候。その前にこちらの始末を付けさせてくれ」
ザンダー王子はそう言うと、真っ青になって震えているラウール伯爵…逃げ出した花嫁の父親に向き直った。
「ラウール伯爵よ。今回の不始末、どう責任を取るつもりだ」
「そっ、それは…っ。殿下、その…」
「もしジュリアン侯爵令嬢に花嫁役を断られてしまえば、式は中止となる。そして事実は知れ渡るだろう…俺は他国からも招いた賓客の前で恥をかくことになる。そうなった場合、式にかかった費用を負担するだけではすまんぞ」
「も、もも申し訳ございません!!娘は必ず見つけ出します!きょ、今日だけは身代わりをたてて凌いでいただきたく…!」
「逃げた娘を見つけると言ったか?見つけてどうするつもりだ?」
「もちろんっ!厳しく叱りつけ、二度と殿下を裏切らせないと誓わせます!ですから今日だけは娘の身代わりを…」
「貴様!!!よもや王家簒奪を企てる気か!!?」
びりびりびりっ。
空気が揺れるほどの怒号が響き、その場にいた全員が硬直した。
ジュリアン侯爵は半ば興奮状態にあったので持ちこたえたが、気を失ったのか幾人かばたばたと倒れる気配がする。
「で…でん、か…」
ラウール伯爵も何とか持ちこたえていたようだったが、目はうつろで顔は青から土気色になっていた。
「あの娘が戻ってきたところで、別の男の子を孕んでいたらどうする?もはや清らかな体ではあるまい」
「そ、そんなことは…」
「何もないことをどうやって証明するのだ?あるいはすでに身ごもっているのではあるまいな?それを誤魔化すためにこのような茶番を企てたのか?黒幕はラウールよ、貴様なのか?」
「めめめ滅相もございませんっ!!」
「ポーレット・ラウールを王家に受け入れることは永久にない。肝に銘じよ」
「…」
ラウール伯爵はとうとう膝をついた。
誰も口を挟めない。皆がザンダー王子とラウール伯爵のやり取りを見守っている。
「とはいえ、この結婚式を中止にするわけにいかないのは言った通りだ。俺は『ラウール伯爵令嬢』と結婚しなければならない」
ラウール伯爵の瞳に、僅かに光が宿った。確か、伯爵にはもう一人娘がいたはずだ。
「殿下、我が家にはべサニーという次女が…」
「ラウール伯爵よ、この場でウィステリア・ジュリアン侯爵令嬢を養女にする手続きをしてもらう」
「…は?」
「もう一人の息女は跡取り娘だろう。王家が奪うわけにはいかぬ。なので王太子妃になるにふさわしい令嬢を養女にしてもらう…。ウィズならば家格的にも年齢的にも能力的にもなんら問題はない」
「殿下、養子縁組の書類ならばここに」
それまでずっと黙っていた宰相のリースマン公爵が、書類の束をラウール伯爵に手渡した。
…あれ?そういえばこの人、いつからいたんだ?
いつもは飄々とした態度で場を引っかき回す癖に、ザンダー王子が控室に入ってきてからずっと存在を感じさせなかった。
しかしその疑問も、宰相の部下がジュリアン侯爵の下に持ってきた書類を見れば霧散する。それはウィズを養女に出すことを承諾する内容だった。手際がいいとかそういったレベルではない。絶対に事前に準備してあった!
「お待ちください、ウィズは私の娘です!どこにも養女にはやりません!!」
ジュリアン侯爵はザンダー王子を睨みつけた。
エメラルドが結婚した後は、別邸でウィズと静かに仲良く暮らそうと思っていたのだ。それをこんな筋肉ゴリラに邪魔されてなるものか。
っていうか、あの天使のようなウィズと結婚しようってなんだ。許せん、ゴリラのくせに。
心を燃やせ、エール・ジュリアン。
なんとしても王子を説得するのだ。
自分とウィズの明るい未来のために…!
似合わない決意を漲らせるジュリアン侯爵。
しかしそんな彼を、かなうわけないじゃん…とリースマン宰相が憐れみの眼差しで見ているのであった。