書記官令嬢の憂鬱
「ウィズ、今回の見合いも、相手から断りたいという連絡が来た」
「そうですか…」
「気にすることはない。あんな男にお前はもったいないのだ」
「…」
何度目とも知れぬ父とのやり取りに、ウィズはため息しか出なかった。
「もうやめましょう、お父様…。今後婚約のお話が出てもお断りしてください」
「だ、だが…」
「ウィズは結婚は諦めます。こんな大女を娶ってくれる殿方はいらっしゃらないでしょう。いたとしても何かしらの問題があり、こちらの足元を見てくるはずです。お父様やお兄様にご迷惑をおかけするくらいなら、私は一生独身のままでおります」
きっぱりと言い切った娘に、父のジュリアン侯爵は途方に暮れた顔をするのだった。
ウィズの本名はウィステリア・ジュリアンという。
ジュリアン侯爵家の第二子として生まれ、父と母、五歳年上の兄に愛されて幸せな子供時代を送った。しかしウィズが12歳になると、母が病気で他界してしまう。悲しみに暮れる家族だったが、立ち止まってばかりもいられなかった。兄のエメラルドは歳の近いザンダー王子の側近として活躍し始め、王宮に泊まり込む日が続いていた。父は母の死がショックで一時的にうつ状態になっており、ウィズは父の代わりに王都と領地を行き来する日々を送ることになった。
そんな忙しい日々が続く中、ウィズの体にはある変化が起きていた。12歳の終わり頃を境に、身長がむくむくと伸び始めたのだ。亡き母の背が高かったので自分も高くなるかもしれないと思っていたが、気が付けば182センチと、男性でもなかなか見ない高身長へ成長してしまっていた。
父が何とか持ち直し、15歳で再び王都のタウンハウスに落ち着くことになったが、ウィズは悪い意味で注目の的になった。
「こんにちは、ジュリアン侯爵令嬢。またお見合いが破談になったんですってね」
夜会で意地悪く話しかけてきたのはラウール伯爵令嬢ポーレットだった。
第一王子ザンダーの婚約者で、今や社交界の花形である。高身長で黒髪のウィズとは対照的に、小柄でピンクブロンドの愛らしい少女だ。ペールグリーンのふわふわしたドレスがよく似合っていて、まるで花の妖精のようだ。
「気にすることなくってよ。そのうち相応しい方が見つかるわ」
「…お気にかけていただきありがとうございます」
実家の爵位はこちらが上とはいえ、相手は王子の婚約者で未来の王妃。もめ事を避けるためにも、下手に出るのが得策だった。
しかしそんなウィズを、ポーレット嬢の後ろにいる取り巻きの令嬢たちまで一緒になってくすくすと笑っている。皆侯爵家より家格が下の家の者ばかりだが、そんな相手にすら嗤われるほどウィズは同世代の令嬢たちから軽く見られていた。
「身長だけでなく、態度まで横暴なのですって」
「声が大きいわ。怒らせたら何をするか分からなくてよ」
「次期王妃であるポーレット様を見下ろすなんて不敬よね。信じられない」
「まあ、そんな意地悪を言っては駄目よ。見下ろしたくて見下ろしているわけではないのだから」
「あんな醜い姿でよく夜会になんて出られますわよね」
「本当に。私だったら恥ずかしくて外を出歩けないわ」
扇の下からでもしっかりと聞こえる嘲りの言葉に、ウィズはただ黙って耐えるしかできない。お見合いが何度も流れるという事態はウィズの女としての自信を完全に喪失させていた。
この夜会の後、最後だと覚悟して臨んだお見合いで、ウィズはやはり相手に断られてしまった。こうしてウィズは、結婚を諦めて働きに出ることを決意したのである。
「お疲れ様です、閣下。財務省から預かってきた書類をお持ちしました」
「ああ、ありがとう。助かるよぉ、あいつら腰が重いんだもん」
「そう言わないであげてください。税金が一ゴルドでも無駄にならないよう常に神経を使ってくださっているんですから」
ウィズは王宮で働くために、書記官という役職を選んだ。
書記官と一言に言っても国や地域で役割が少しずつ違うが、この国の王宮では大臣の直属の部下で、主に書類の整理やスケジュールの管理をすることが多い。ウィズは実家の領地経営を一時的に預かっていたこともあり、書類の流れや財務の知識が豊富だった。もちろん通常ならばそれだけで王宮に就職はできないのだが、ここは父や兄のコネを最大限に使わせてもらった。ありがたいことに宰相を務めるリースマン公爵が引き取りたいと申し出てくれ、ウィズは省と省の間を駆け回る、忙しくも充実した日々を送っている。
男物の書記官服を纏い化粧も最小限にしているウィズが貴族令嬢だと気づく同僚は少なかった。それでいて侯爵家出身だということは知られており、宰相に頼まれて書類の催促に行ったり打ち合わせの時間調整に行っても粗略に扱われたりしない。似合わないドレスを着てポーレット嬢や格下の令嬢たちにいじめられていたことが嘘のような楽園ぶりだった。
「ウィズ、今度は騎士団と防衛省に持っていてほしい書類があるんだけど…もうすぐできるからそこでお茶して待っててくれるかい?」
「分かりました。閣下のコーヒーも煎れましょうか?」
「本当ぉ?ウィズのコーヒー飲めるならおじちゃん頑張っちゃうよ!」
おどけた口調で言うのはこの国の宰相、リースマン公爵だ。
ウィズをこき使いつつも、なんだかんだで娘のように可愛がってくれている。
「あ、そういえばさ、ウィズは第一王子の幼馴染なんだよね」
「まあ…幼馴染と言えば幼馴染です」
「なにその曖昧な言い方」
「ザンダー殿下は私のことなんてもう忘れてると思いますよ。本当に小さい時に少しだけ遊んだだけですから」
「そうなの?お気に入りだったって聞いたけど」
「殿下は私を弟分だと思って連れまわしていましたから。多分私は…幼い殿下をお慕いしていたんだと思います。体を動かすのは苦手なのに、木登りや昆虫採集をする殿下の後ろをずっとついて回っていましたから。でもすぐケガをしたり怯えて泣いたりしていたので、殿下は『俺の子分のくせにべそべそするな!』と言いながら、でもいつも傍に置いてくださいました」
宰相は少しばかり目を見張っていた。ウィズが珍しく饒舌なので驚いたのだろう。すぐにいつものお茶らけた表情に戻ってしまったが。
「もうすぐ帰ってくるよ、王子様」
「え、本当ですか!?」
ついウィズは身を乗り出してしまった。
五年前から始まった隣国との戦争に、ザンダー王子は第一王位継承者にも関わらず駆り出されていた。おかげで王宮はここ数年ずっときな臭い。ザンダー王子の生母であるミラ王妃が離宮に追放され、第一王子派から離れた貴族も多かった。
そうして側室腹の第二王子が台頭してきた…と思えば、なんと先日国王に暗殺者を送った罪で牢に送られてしまった。第二王子派の貴族は大混乱だ。慌てて第一王子派に阿ったり、王弟のご機嫌伺いをしたり、どちらにもつかずに様子を伺ったりと右往左往している。
しかし第一王子のザンダーが王都に戻るのならば、順当に彼が王位を継ぐことになるのだろう。
「そうですか…。隣国との戦争はどうなるんですか?」
「あまり詳しいことは言えないけど、ザンダー王子の頑張りで有利な条件で講和が結べそうだよ。いつまで続くかは分からないけどね…はい、できた!これを騎士団長のローランドと防衛大臣のレンブラントまで頼むよ」
おそらく預けられた書類は、ザンダー王子が王都へ戻ってくることに関係するものなのだろう。ウィズは母が亡くなる少し前にザンダー王子の遊び相手を辞したので、彼と直接会わなくなって七年になる。
ザンダーはこんな大女になった自分を見て何と言うだろうか。
―――なるべくなら会いたくないな。
かつてのお見合い相手たちのように、見るだけで眉を顰められるようなことになるのは嫌だった。
ザンダー王子との思い出は、ウィズの中の幸せだった少女時代の象徴だった。家族や使用人以外で唯一ウィズを気遣って大事にしてくれた年上の男の子。その思い出を綺麗なまま残しておきたい。
そんな風に思っていたウィズだったが、とある人物の計らいでザンダーと再会することになろうとは、その時は想像もしていなかった。