黒幕たちの話
「―――ポーレットはどうしている?」
イーノックの質問に、目の前の男は肩をすくめて見せた。
「のんきなもんですよ。結婚式では替え玉を使ったらしいと聞くと、自分の想い通りになったと嗤っていました。妖精姫が聞いて呆れます」
「手間をかけてすまないな。もう少し閉じ込めておいてくれ」
「お任せを。あの旦那には借りがありますし、報酬もたっぷりもらいましたからね」
言いながら頭を下げる男は、ポーレットの前ではマイケルと名乗っていた美男子だった。
「用意した屋敷の居心地が思いの他いいようですよ。好きな時に寝て、食べて、見目麗しい男たちに侍られて、今のところ戻りたいと口にはしていません」
「好都合ではあるが…まったく、そんな女が王妃になるところだったとはぞっとする」
イーノックはジャイルズ子爵家の次男として生まれた。
頭の回転が早く勉強ができたイーノックは、将来は王宮に文官として働くつもりで王都の学園に通っていた。
そんなイーノックに婚約者ができたのは13歳の時だ。ラウール伯爵家の夫人が、跡取り娘の婿に是非と話を持ち掛けてきたのだ。イーノックの有能さを惜しんでいた両親は一も二もなく同意し、婚約は結ばれた。
相手は伯爵家の次女べサニーで、まだ9歳だった。長女のポーレットが第一王子の婚約者に決まり、べサニーは繰り上がって跡取りとなっていたのだった。
「はじめまして、べサニー嬢。これからよろしくね」
「よ、よ、よろしくお願いします。イーノック様」
妖精姫と可憐な美貌を讃えられる姉のポーレットに対し、べサニーは赤い髪に茶色の瞳と平凡な色合いの持ち主だった。まじまじと顔を見ると、顔のそばかすを見られていると思われたのかぱっと目を伏せてしまった。
自信がなさそうなのは事あるごとに容姿を姉に貶められ、父には邪険にされているからだと伯爵夫人に事前に伝えられている。しかしよく見れば、ポーレットの妹なだけあって顔立ちは整っていた。もう少し化粧や立ち振る舞いに気を付ければ化ける気がする。
「イーノック様もお可哀そうに。あの陰気で不細工なべサニーと結婚しなければならないなんて」
透き通るような声音で性格の悪いことを言うポーレットに、イーノックは不愉快になる。会う度にべサニーを貶めるポーレットの本性は、イーノックには早々に知れた。
いくら顔かたちが美しくたって、性悪で、しかも頭が悪い女はイーノックは大嫌いだった。
ポーレットもいずれ婿に入るイーノックに対しては無意識に下に見ているのか、あるいはイーノックからの嫌悪を感じ取ったのか、すぐに化けの皮が剥がれた。
「べサニーに気を使う必要はありませんわ。愛人を囲っても、私が文句を言わせませんからね」
「随分べサニーに対して辛らつですね。彼女の何が気に入らないのですか?」
「だって、不細工なんですもの!あんな子、私の妹に相応しくないわ」
「べサニーは可愛いですよ」
「…まあ、イーノック様ったら。もしかして子爵家の方だから、きちんとした貴族令嬢をご存じないのかしら?私のお友達を紹介しましょうか?」
「お断りします。予定があるので失礼」
ポーレットの言う「きちんとした貴族令嬢」は、見た目だけ豪奢に着飾った、中身は空っぽの女どもだろう。
まさか妹の婚約者に、堂々と他の女を宛てがおうとする姉がいるとは…。あんな女が未来の王妃で自分の義姉だなんて、悪い冗談としか思えなかった。
婚約して二年が経つ頃、ラウール伯爵夫人が病で亡くなった。
葬儀が終わった後、べサニーと連絡が取れなくなりイーノックは焦った。
ラウール伯爵に問い合わせてものらりくらりと躱され、まさか婚約が解消されるのではと無理矢理伯爵家のタウンハウスに乗り込んだ。するとラウール伯爵は、ポーレットの提案でべサニーを領地に送ったことを白状した。
伯爵夫人の腹心だった侍女に聞くと、ポーレットは「不美人なべサニーが近くにいると、次期王妃の自分の価値が下がる」と言ったのだという。ポーレットはともかく、ラウール伯爵はどうして自分の娘にそんな仕打ちができるのか理解できなかった。
イーノックは実家の許可を得ると、半ば伯爵を脅すようにしてラウール領へと向かった。べサニーは驚いていたが、婚約を続けたい旨を伝えると嬉しそうにして滞在を許可してくれた。
まるで追い立てられるように領地に入ったべサニーだったが、悪いことばかりではなかった。母を亡くしたことは暗い影を落とすものの、ポーレットというストレスの要因がなくなったことで目に見えて明るくなったのだ。
かつては化粧や可愛いドレスを強請れば、似合わない相応しくないと姉が貶めてきた。しかし領地では甘やかしてくれる婚約者しか傍におらず、化粧をして髪を結い、フリルの付いた明るい色のドレスをまとうようになったべサニーはどんどん美しくなった。美しさが身に付けば自信もおのずとついてきたようで、彼女はラウール伯爵が放置気味だった領地経営に奮闘した。
そんなべサニーを見る度、イーノックは王都にいるポーレットに憤りを感じずにはいられない。
隣国との戦争に第一王子が駆り出されミラ王妃が王宮を追われると、ポーレットは王妃教育をさぼって遊び惚けるようになっていた。婚約者が国のために戦いその母が幽閉されているというのに、彼らを心配する様子もなく自分の欲ばかり優先させている。
あんなのが王妃になってしまったらどうなってしまうのだろうか。
べサニーは無事で済むだろうか。
王妃という身分を盾に、いずれ立場を脅かされるのではと心配でならなかった。
そしてザンダー王子が戦地で大勝利を収め、王都に戻ってきた直後。
イーノックに接触してきた人物がいた。
そうして全てがひっくり返った。
イーノックが宰相の執務室に入ると、文官や書記官たちが忙しく歩き回っていた。
その中で、一番忙しいはずの宰相はゆったりと椅子に腰かけてペンを弄んでいる。
「おやイーノック君。いらっしゃーい」
目の下にくまを作っている部下たちをよそに、つやつやした顔で手を振ってくるのは宰相のリースマン公爵だ。
「参ったよぉ。ウィズがいなくなって、一気に忙しくなっちゃった」
「その割にはお元気そうですね」
「そんなことないよ。寝不足でお肌が荒れて大変でさー」
リースマン宰相はそんな軽口をたたきながら休憩ブースにイーノックを促す。二人がブースに入ると、すかさず見張りの男が入り口を塞いだ。
「…」
「どうしたの?」
「いえ、宰相様に初めてここに連れ込まれた日を思い出してました」
「マジで?イーノック君可愛かったもんなぁ、僕、若い子は久しぶりだからぞくぞくしちゃったよ」
「やめてください。誤解を招くような言い方は」
こめかみを押さえるイーノックに、宰相はにやりと笑った。
連れ込まれた、という表現は決して誇張ではない。ほとんど拉致に近かったとイーノックは思っている。
久々に兄に呼び出され王宮に向かい、しかし大した用事ではなく挙動不審な兄に首を傾げていたところで、宰相の部下に部屋に引っ張り込まれた。そして名前しか知らなかった宰相のリースマン公爵と初めて向き合ったのだ。
「ポーレット嬢を駆逐したいんだ。君に是非とも協力してほしい」
聞けばポーレットは、ザンダー王子の容姿が変わったことに嫌悪を示しているという。そういえばラウール伯爵がそんなことを言っていたような…。
出迎えの場で容貌の変わってしまった王子の前で失神して以来、彼の訪問や手紙を拒否しているというのだ。王子に対してまでそんな態度とは、一体何様のつもりなのだろう。
そしてリースマン宰相は以前からポーレットが未来の王妃となることに危機感を抱いており、彼女の性格を利用する手を思いついたと言うのだ。
「ポーレット嬢に結婚式当日に姿を消すようにけしかけてほしい。あの頭がお花畑の令嬢のことだ、ちょっと煽ってやればほいほい言うことを聞くよ」
「拘束して閉じ込めてしまった方が確実なのでは?」
「ダメダメ。あくまで本人の意思で消えてもらわないと。そういうのは絶対に後から露見するからね」
「でもそれだと、ポーレットが直前で意志を変えるかもしれません。怖気づいて結婚式に出ると言うかも」
「そうしないようにうまく誘導してほしいんだけど…まあ、そうなったらそうなったで一度はポーレットが王妃になる事実を受け入れるしかないね。これは賭けみたいなものだ」
「賭け、ですか?」
「ポーレットが我々が思った通りの愚者なら、偽の計画にのって姿を消す…我々の勝ち。ポーレットが少しでも冷静で己を省みることができるのだったら計画にはのらない…我々の負けだ」
「そんなことでいいんですか?宰相閣下にしては場当たり的な作戦に思えます」
「仕方がないでしょ?まさか国王陛下が側妃に襲われて危篤になるなんてね…もっとゆっくり根回しするつもりが、ウルフ様も迂闊なんだから…」
ともあれ、何があってもべサニーと実家にとばっちりが行かないことを確認して、イーノックは宰相の思惑に乗った。
自称マイケルという商人は宰相が用意した工作員だが、ポーレットを煽り立てた侍女はイーノックが手をまわした。彼女は亡き伯爵夫人の専属侍女の娘であり、ポーレットの横暴に怒りを感じていることに前々から目を付けていたのだ。
ポーレットはマイケルと侍女に煽てられて計画に乗り、イーノックたちは賭けに勝った。
「いやー、驚いたねぇ。ザンダー殿下がああも思い通りに動いてくれるなんてね」
奇跡は続いた。
下準備だけで現場にはいなかったイーノックは終わってから知ったが、リースマン宰相は自分の部下で侯爵令嬢のウィズという女性をザンダー王子に宛てがうつもりだった。追い詰められた王子に、ウィズをラウール家の養女にして結婚してしまえばいいと吹き込む予定だったというのだ。
どうやらウィズ嬢は王子の幼馴染で、数日前に再会してからお互い憎からず思っていたようである。身分も性格も教養も申し分なく、リースマン宰相は彼女を手元に置いて可愛がり、いずれ王妃にと思うようになったらしい。
唯一問題だったのは、彼女の兄がザンダー王子の側近だったことだ。実家からそのまま嫁がせることは不可能ではなかったが、パワーバランス的に不満が出そうだった。
だからこその養子縁組だったのだが、ザンダー王子はまるで打ち合わせていたかのように、リースマン宰相の思惑通りに行動した。宰相がしたことと言えば、あらかじめ用意していた養子縁組の書類を差し出したことくらいだったらしい。
「あれは途中から僕が画策してたって気づかれてたなぁ…。あーあ、名案を思い付いたように見せかけて恩を売るつもりだったのになぁ」
リースマン宰相は口で言っているほど残念がっているようには見えない。おそらくこの程度で、彼の立場は揺らぎはしないのだろう。
王太子となったザンダーは宰相に決して心を許しはしないが、牙を剥いてこない限りは邪険にもしないはずだ。それに「恩を売り損ねた」と言っているが、宰相が部下と言う形でウィズ嬢を守っていたことを簡単には忘れないのだろう。これ以上は自分には関係ないことなので、イーノックは詮索しないことにしている。
「…それで?平民ポーレットは今日タウンハウスに戻るんだっけ?」
「ええ、マイケル殿に頼んで、今日の午後に調整してもらいました。その時間はべサニーがウィステリア様のお茶会に招かれていますからね」
「そうかい。じゃあ後始末はよろしく頼むよ」
「お任せを。二度とアレが王太子殿下と妃殿下の前に現れないようにいたしますよ」




