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短編

この度、元聖女の私が隣国の王子様の婚約者になりまして

「————貴女に、あの時の恩を返したい」


 〝落ちこぼれ公爵令嬢〟

 そんな蔑称で不特定多数の人間から陰口を叩かれていたりする私————クラリス・フローレスが隣国に位置する王国の王太子にそう言って笑みを向けられているこの現状には、とあるワケがあった。


 突然、数百にも上るであろう護衛を連れて、私の実家であるフローレス公爵家に彼が押し掛けてきた事に対し、家の者はギョッと目を剥いていたが、彼が私に会いに来たと知るや否や、全員が開いた口が塞がらないとばかりに思考停止してしまっていたという具合である。


 かくいう私も、その例に漏れていないんだけども。


「恩、とはどういう事でしょうか」


 困惑顔で私は問い返す。

 知らないフリをしているだけで事情は全て理解していたけれど、ここで認めるととんでも無く厄介な事になる事は間違いなかったのであえて惚けた。

 叶うならば、人違いだったとか適当に勘違いしてくれと願いながら。


 しかし、そんな私の願いは天に届くわけもなく。


 彼————シュルト・フォン・アドラーはにっこりと柔和な笑みを浮かべるだけ。

 惚ける必要なんてありませんよ、みたいな。


 しかも、タイミングが悪辣だ。

 きっと彼は私と交わした約束(、、)を馬鹿正直に守ってくれていたのだろう。

 でも、現実、それを破ってまで彼は私の前にまでこうして駆け付けている。


 あぁ、間違いなく、彼は私を助けにきたのだろう。それこそ、先の言葉通り、恩を返しに。


 その為であれば、約束を破ったと非難を受ける事も致し方ない、と。

 ……その在り方が正しく愚直で、お人好しで、誠実だった。しかしだからこそ、悪辣と言わずにいられない。

 何故なら、それを知ってしまったが最後、私が彼を責められるわけがないから。


 ならば、この悶々とした感情はどこにぶつければ良いのか。


「アドラー王家は、受けた恩讐を忘れはしない。手を貸そう、クラリス嬢。今は手が必要だろう?」


 そう口にする彼は、ある場所へと視線を向けた。

 そこには、溢れんばかりの魔物が姿を覗かせている。俗にいう————〝スタンピード〟。

 原因不明ながら、領民全てを喰らい尽くす程の物量で発生していたソレに頭を悩ませていた私達にとって、彼らの申し出は大変に嬉しい。


 諸手をあげて歓迎し、頭を下げてでもお願いするべき状況。

 最悪、これまで頑張って偽ってきたもの全てを台無しにしてでも、ひた隠しにしてきた〝聖女〟としての力を使ってどうにかしよう。

 そう、考えていたから。


 ただそれでも、隠し通してきた力を上手く使えばこの場を乗り切れたかもしれなかった。

 でも、彼がこうして首を突っ込んできた事実に、「なんて事をしてくれたんだ」と言わずにはいられなかったが、屈託のない笑みを向けてくる彼に、文句を言える元気は私にはなく。


 漸く、慌ててやってきた父が、私とシュルトさんを忙しなく見比べる様子を横目に、「どうしてこうなった」と、私は顔を手で覆わずにはいられなかった。



 * * * *



 事の発端は三年前にまで遡る。



 名門と呼ばれる家系に生まれながら、あまりに平凡過ぎる故、〝落ちこぼれ公爵令嬢〟と揶揄されていた私であったけれど、当の本人である私は何とも思っていないどころか、それを誰よりも望んでいた。


 平凡に生きたい。

 心の底から私がそう願い、その道を突き進む理由は、かつて己自身が〝聖女〟と呼ばれた人間であったから。

 そして、その果てに非業の死を遂げた哀れな人間だった頃の記憶を受け継いでいたから。


 強大な力。

 民草からのあまりに大き過ぎる信頼。


 〝聖女〟の存在が従来の王政を崩し得ると怖れられ、その結果、身に覚えのない罪状を着せられ、処刑された。


 そんな哀れな人間だったからこそ、二度目の人生で私は何を差し置いても〝力〟という存在を遠ざけた。

 もう二度と、あんな事は御免だったから。


 転生して尚、〝聖女〟と呼ばれた頃の〝力〟は己の手の中に存在していたけれど、ひたすらに行使する事を拒み続けた。

 寧ろ、平凡を望む私からすれば望むところであった。

 だから、〝落ちこぼれ公爵令嬢〟なんてあだ名で呼ばれようとも、その意志だけは曲がる事はなかった。



 あの時までは————。



 その日はある薬草を取りに向かう為に外に出掛けていた日の出来事。


 本来であれば、私は公爵家の令嬢という身。

 外出の許可は勿論下りないんだけど、両親や周囲の期待を裏切り続け、平凡に落ち着いた私に対する周囲の執着はあまり強くはなかった。

 だから、屋敷から抜け出す事は私にとって朝飯前であった。


 そして薬草を取りに向かったその先で、私はある集団と出くわした。


 どういうワケか、瀕死の重体を負っていた騎士めいた身格好の者達に出会ったのだ。


『————誰か、いる……のか』


 薬草を取りに向かった先。

 いち早く彼らの存在に気づいた私は関わりたくなかったので木陰に身を潜めるも、木の幹に身体を預けていた青年がそんな事を突として宣った。


『頼みが、ある。どうか、話を聞いてくれ』


 そう言って彼は、私が話を聞くと返事をしてもいないのに勝手に語り始めたのだ。



 王国の騎士団として、仇なす魔物を討伐に向かった彼らは万全の準備を行なっていた事もあり、それ自体は成功した。しかし、どこからかその情報が漏れており、盗賊めいた集団に彼らは襲われてしまったらしい。


 彼が言うに、恐らくは他国の手の者が盗賊に扮していただけであるらしい。


 綿密な計画の下、実行に移されたようで、ものの見事に彼らは追い詰められてしまった。

 しかし、命からがら逃げてきたは良いものの、殆どの者が瀕死の重体。私の目から見ても、血を流していない者は誰一人として見受けられなかった。


『これを、我々の祖国であるアドラー王国に届けて欲しい』


 そう言って彼は己の側に置いていた血塗れの剣を差し出すように前に置く。


『こんな好機としか言いようがない状況で敵意を向けてこないという事は、少なくとも貴女はアイツら(、、、、)ではないのだろう』


 ならば、これを預けられると勝手に彼は事を進めていく。私は了承どころか、まだ一言も言葉を発していないというのに。


『……頼む。どうか、死に逝く者の頼みを聞き届けてはくれないか』


 ……聞かなかった事にしよう。

 素直に私はそう思った。


 何より、彼らに関わってしまえば厄介事になる未来しか見えないから。私は〝平凡〟に生きると決めたのだ。ここで助けて何になる。彼らは私とは何の関係もない人達だ。

 ここで野垂れ死のうと、私には関係がない。

 私は……私は、もう二度とあんな死に方だけはしたくないと。そう誓ったじゃないか。


 頭の中でその言葉を幾度となく反芻し、己を正当化。そして彼らに背を向けようとして。


『————この、通りだ』


 今にも死にそうな青年は、そう言って疲弊した身体で頭を下げていた。

 程なく、私からもお願いするだ、何だかんだと彼に追従するように死にかけの騎士らしき人間達も懇願を始める。


 ……こんな事なら外に出るんじゃなかった。

 己の軽はずみな行動を初めて後悔する羽目になった。そして、湧き上がる罪悪感に目を背けようとするも、それはどうしてか出来なくて。


『……上の人間がそう易々と頭を下げるものではありませんよ』


 気付けば、木陰に隠れていた私は立ち上がっていた。


 身を潜めていた際、隙間から見えた青年の肩辺りに縫い込まれた見覚えのある刺繍。

 それはアドラー王国王家の紋章であった。


 騙っているわけでないのなら、恐らく彼は王家由縁の人間。……流石に他国の王子を見殺しにするのは拙いか。いやしかし、死人に口無しとも言う。


 放っておくべきだ。

 そんな考えがせめぎ合い————だが結局、私は立ち上がっていた。


 きっとそれは、彼らの誠意に心を動かされたから。


 この、一回だけ。

 今回だけだから。と、自分に言い聞かせながら、歩み寄る。


『貴方に、提案があります』

『報酬、か?』


 手持ちにあったかな、なんて儚い笑みを浮かべながら青年は懐に視線を落とす。

 だが、目的は金銭ではない。

 だから私は、そうじゃないと侮蔑の感情を向けた。勝手に人を俗物とみなすなと訴え掛けるように。


『金銭は要りません。それに、そもそも貴方の申し出を受けると言った覚えもありませんから』


 つんと澄ました顔でそう言ってやる。

 すると、周囲から瀕死の重傷を負った騎士達から射殺さんとばかりの敵意が向けられたが私はそれを受け流す。


 見た目はか弱い令嬢であるが、生憎とそういう視線には慣れている(、、、、)

 敵意にも、害意にも、殺意にも。


『私からの提案はたった一つ』


 小さく息を吸い込み、頭に浮かんでいる考えを声に変える。


『私と、貴方がたはお互いに見知らぬ者同士。だから今日、出会う事もなかった。私達は、出会わなかった。……それで良いですね?』

『……それを呑めば、貴女は俺の頼みを聞き届けて、くれるのか?』

『聞き届けてはあげません。ですが、貴方がたを助けて差し上げます』

『……助、ける?』


 怪訝に青年の眉根が寄る。

 己の死期を悟っていたからなのか。

 私の言葉を信じる様子は一切見当たらない。

 でも、そんな彼の様子を考慮する事もなく、私は返答を急かす。


 私は何よりも早く、この厄介そうな状況から背を向けたかったから。


『呑めるのか、呑めないのか。はっきりして下さい』

『分かっ、た。分かった。その条件を呑む。だから————』

『……言質は取りましたよ』


 〝聖女〟として生きた前世のようには生きない。何がなんでも〝力〟は使わない。今生は〝平凡〟に生きるんだ。


 そう決めていた私の誓いは、その日限り、覆す事になった。


『————〝ディバインヒール〟————』


 紡ぐと同時、足下いっぱいに特大の薄緑の魔法陣が出現し、広がる。

 〝聖女〟と呼ばれていた癒し手であった私にとって、治癒の魔法は朝飯前。

 たとえそれが、どれだけ重傷であろうとも、死んでなければ大抵は治せてしまう。


 直後、息をのむ音の重奏が鼓膜を揺らした。


『……貴女は、』

『私と貴方がたは、今日出会ってはいない。なのに、名前を知っていてはおかしいでしょう?』


 暗に、私の詮索をするなと告げる。

 隣国の騎士団の人間に、名を知られてもみろ。

 間違いなく、それが後に響く。


 一応、言質をとったとはいえ、こちらの情報を親切に提供する義理は何処にもない。


『それも、そう、だな。悪かった。今の言葉は、聞かなかった事にしてくれると助かる』


 色々と尋ねたそうにしてはいたけど、私との約束を守ろうとしてか。

 彼はそれ以上、私に言葉を投げ掛ける事はしてこなかった。


 そして、私もこれ以上面倒事に巻き込まれて堪るかと、足早にその場を後にしようと試み————足音を立てたところで思いとどまる。


 ……流石に、同じ轍は踏まないだろうが、もし、このまま返して彼らがまた他国の手の者の仕業でここ、フローレス公爵領内で息絶えてしまった場合は?

 隣国と修羅場になるんじゃないの? これ。


 と、私の平凡ライフを脅かす可能性が脳裏を過ぎる。

 仮にもし、そうなってしまった場合、確かにそうなる可能性は十二分過ぎるほどある。


 だったらどうする。

 何か書状でも書かせるか?

 この件とフローレス公爵家は関係がない、と。……いや、やめとこう。あえてそんな事を書かせたらそれはそれで怪し過ぎる。


『…………待ってください』


 その場に留まり続けるのも拙いと考えてか。

 治癒の魔法によって、歩ける程度には回復していた彼らは、私が関わりを持ちたくないという心情を汲み取って場を後にしようとしてくれていたのだが、そこに待ったをかける。


『国境近くまで、私も同行します』

『……いいのか?』


 普通、私のような小娘など、同行しても足手纏いでしかない————と、言われるところだろうが、彼らは私の治癒魔法をその身でもって体感している。

 治癒魔法は、魔法の中でも特に難度が高いとされる魔法。

 それ故に、他の魔法もある程度使えると理解をしてか、青年はそんな言葉を口にしていた。


『折角助けたのに、死なれでもしたら寝覚めが悪いので』


 愛想なんてものをこれっぽっちも感じさせない物言いで私は言う。

 でも、今はそれでちょうど良かった。


 下手に恩を感じられては困る。

 小生意気な小娘で、関係もこれ限りに。

 そう考えて貰ったほうが都合が良かった。

 なのに。


『すまないな。俺達が不甲斐ないばかりに、貴女に迷惑を掛けてしまった。だが、今回はその厚意に甘えさせて貰っても良いだろうか』


 彼らがフローレス公爵領で死ねばどうなるのか。それを分からない青年ではなかったのだろう。下手に意地を張るわけでもなく、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながらまた、頭を下げられた。


 そこに、私に対する嫌悪感は見受けられず、少しだけ調子が狂う。


『……恩に感じているのでしたら、今日の事は絶対に他言無用でお願いいたします』

『ああ、分かっている。貴方は我々の恩人だ。恩人との約束を反故にするほど、俺も人でなしではない』


 確認するよう私は条件を繰り返す。

 彼は恐らくそれなりに地位のある人間だろうし、交わした約束は恐らく違えないだろう————そう、思っていたのに。


 


「しかし、フローレス公爵家に所縁のある人とは思っていたが、まさかご令嬢だったとは」


 人懐こい笑みを浮かべながら、彼、シュルト・フォン・アドラーは私に言葉を投げ掛けてきていた。

 その様子は、旧知の仲である友人に対してのものにしか見えず、私を除いたフローレスの人間全員、何がどうなっているのだと驚愕に目を見開いていた。


「……恩人との約束を、反故にする程人でなしではないんじゃなかったんですか」

「それを言われると耳が痛いな。だが、反故にしてでも駆け付けなければ俺の気が収まらなかった。何より、クラリス嬢も、こちらの方が都合がいいかと思ったんだ」

「都合がいい?」


 シュルトの発言に、疑問符を浮かべる私は、彼の言葉を繰り返す。

 直後、何を思ってか。

 彼は私の耳元へと口を近づけた。


「理由は存じないが、あまりあの力を人前で使いたくはないのだろう?」


 彼らを助けた三年前のあの日。

 その時の私の言動から、そう結論付けたのだろう。とはいえ、それは正鵠を射ていた。


「これであの時の恩を返せるとは思っていないが、それでも、今度は俺が貴女の助けとなりたい。いざという時は全て、俺に責任を丸投げすればいい」


 ……私の名を知っているという事はつまり、彼らは私が世間で〝落ちこぼれ公爵令嬢〟と呼ばれている事も知っているのだろう。

 その上で、三年前の事を深く尋ねる事をする気はないらしい。


「……なにも、聞かないんですか」


 私が〝落ちこぼれ公爵令嬢〟と呼ばれている理由。あの時、シュルト達を助けた理由。

 助ける際に用いた魔法を私が使える理由。

 目立ちたくないと考えている理由。


 私に対して浮かぶ疑問は恐らく、キリがないほどあるだろう。

 それを分かった上で私がそう問うてみるが、シュルトは何故か笑みを深めるだけ。


「俺にとって大事な事実はたった一つ。あの時、貴女に俺達は救われた。そこにどんな事情があれ、理由があれ、助けない理由にはならないな」


 義理堅いというか。

 なんというか。


「約束を破った罰があるのであれば、それは甘んじて受け入れよう。ただ、その罰は少しだけ待って貰いたい」


 少なくとも、〝スタンピード〟を片付けるまでは。


「……とんだお人好しですね」


 そう言わずにはいられなくて。


 さすがに、色々とバレてしまっている手前、私も観念せざるを得なかった。

 そして、ならばと今回だけと言い訳をこぼして割り切る事にする。


 ここには、〝落ちこぼれ公爵令嬢〟などと呼ばれながらも、優しくしてくれる使用人も多くいる。

 両親も、悪い人達ではない。


 だから、そんな日常を〝スタンピード〟に蹂躙されるわけにはいかなくて。


「でも……ありがとうございます」


 初めこそ、なんで私の前に現れたんだ。

 そう思っていたけれど、よくよく考えてもみれば、この申し出は渡りに船だ。

 彼の登場によって面倒事が引き起こされる気しかしなかったけど、そこはどうにか誤魔化してしまえばいい。


 幸い、この様子であればシュルトも私の希望に「分かった」と頷いてくれる事だろう。


 ————今度こそ、最後。


 〝聖女〟の力は二度と使わない。

 その誓いを、二度も破る事になってしまった自分を責め立てつつも、私は彼らの厚意に甘え、〝スタンピード〟の鎮圧へ向かう事となった。



* * * *


「————ほんっと、災難続きだ」


 それから一週間後。

 私はフローレス公爵領、ではなく、王城へとやって来ていた。

 その理由は、先の〝スタンピード〟を見事鎮圧させてみせたフローレス公爵家の手腕を褒め称えたいという理由で、父が登城を求められたから。

 私はそのついででやって来る事になっていた。


 そして今現在、王城ではパーティーが開催されており、私は隅っこでポツンと立ち尽くしながら深い溜息を吐いていた。


 ————……正直言うと、ついて行きたくはなかった。


 事実、これまでであれば、私はパーティーなど、そういった催しには極力参加はしない方針を貫いていた。

 ただ、今回ばかりはそうも言っていられない理由があったのだ。


 それこそが、シュルト・フォン・アドラーの存在故。


 事情はどうあれ、今回、彼らの手を借りた事は紛れもない事実。

 隣国の王子でもある彼に手を借りた事実を、父は王家に一応、説明すべきと言って聞かず。

 シュルトはそれを固辞していたのだが、最後には折れ、そして、その理由を作った私も今回ばかりはついて来い。

 という感じに落ち着いたせいで私まで同行する羽目になっていた。


 恐らく、今頃、父とシュルトが陛下とお話をしているのだろう。


 根掘り葉掘り聞かれ、質問攻めになるか。

 パーティー会場でぼっちに、ぽつーんとなるか。


 この究極の二択を迫られた私は、泣く泣く後者を選び取った為、こうして溜息を吐く羽目になっていた。


「あら? そこにいるのはクラリスさんじゃありませんの?」


 ふと、声が掛かる。

 視線を下に落とし、どうにかやり過ごそうと考えていた私はその声に反応して顔を上げる。


 そこには、金髪縦ロールの少女がいた。

 彼女の名を、ミセリア・アルフェイド。

 私の生家と同じ家格である公爵家のご令嬢であった。


 そして、彼女の側には四、五人程のご令嬢が付き纏っており、私に聞こえるか聞こえないか程度の声量で「……〝落ちこぼれ〟に声を掛けるとこちらまで〝落ちこぼれ〟になってしまいますわ」などと意味不明な事を抜かしてくれていた。


 とはいえ、ならさっさとどっか行ってくれ。私の事は放っておいてくれ。


 そう思う私の想いは天に通じなかったのか。

 話しかけてきた張本人であるミセリアはその言葉を気に留める事なく言葉を続ける。


「しかし、フローレス卿も不憫ですわね。名門、フローレス公爵家の名に恥じぬ活躍をお見せになっているというのに、当の後継はこの体たらく。嘆かわしいと言う他ありませんわね」


 恐らく、彼女の目には才能なしの落ちこぼれであるが故に、その劣等感から周囲との関わりを徹底的に絶っている人間に見えているのやもしれない。

 とすれば、嘆かわしいと告げる理由も分からなくもなかった。


 ————ただ。


「もしや、貴女はフローレス卿の実の娘ではないのではなくて?」


 こんな私にも、許し得ない一線はある。

 そしてミセリアから告げられたその一言は、私から冷静さを奪うに値する発言であった。


 程なく、その発言に同調するような声が聞こえて来る。それが、余計に私の苛立ちを煽ってくれた。


 ここで言う実の娘ではないという発言はつまり、私が不貞によって生まれた子供と言っているに等しい。


 ……私を侮辱される事に覚えはある。

 でも、だからといって家までも侮辱する必要はないだろう。


 私は黙ってその場をやり過ごそうと考えるけれど、彼らの侮辱はとどまる事を知らず、気付けば、右の手には爪が食い込み、皮膚を食い破って血が赤く滲んでいた。


 それでも、手を出すわけにはいかない。

 出来る限り穏便に、口でなんとか言い包めて。

 どうにか己を律しながらそう考える私であったけど、


「————そんな事はない。クラリス嬢は、素晴らしい才能を持っている。間違いなく、フローレス公爵家の名に恥じぬ人物だとも。ただ、少しばかり控え目過ぎるがな」


 行動に移すより先に、新たな声がやって来る。

 私を庇い立てするそれは、覚えのある声音であった。


「……シュルト殿、下?」


 ただ、彼の名を呼んだのは私ではなく、ミセリアだった。


 素っ頓狂に近い声。

 どうして、そんな事を口にするのか。

 加えて、なぜ、貴方が此処にいらっしゃるのですかと尋ねているようでもあって。


「彼女は俺の大切な友人だ。悪く言うのはやめて貰えるか」


 話をどこから聞いていたのか。

 それは分からない。

 分からないけど、流石に今回ばかりは助かったと思わずにはいられなかった。


「で、ですが、彼女は、」


 たじろぎながら、ミセリアがそれでもと食い下がろうとするが、シュルトは相手にする気がないのか。

 私の事を気遣ってか、「話があるから外についてきて貰えるか」と言って強引に話を打ち切ろうとする。


 居心地が悪かった事。

 これ以上、絡まれる事も勘弁願いたかったので、私はその申し出に頷いた。


「そういうわけなんだ。悪いが、彼女への用であればまた今度にしてくれるか」


 そして、パーティー会場を後にした私だったのだけれど、程なく連れ出した張本人であるシュルトから声が掛かる。


「なあ、クラリス嬢」

「はい?」

「俺の国に、来る気はないか」


 その申し出を耳にして、つい、瞠目してしまう。


「フローレス卿が言っていたんだ。もしかすると、公爵家という地位が、クラリス嬢を苦しめていたのではないか、とな」

「…………」


 陛下と、父。

 そして、シュルト殿下。


 この三人で何を話していたのか。

 気にならないといえば嘘になる。


 でも、よりにもよってそんな話をしていたのか。


「私を、苦しめていた? ……そんな事は、ありません」


 〝落ちこぼれ〟と呼ばれる事を甘受し、望んでいるコレは、正真正銘私自身の問題。

 決して、誰かのせいではない。


 瞼を閉じた先にある暗闇の中で、仄かに照らされるかつての記憶が、邪魔をしているだけ。

 ただ、それだけだ。


「私は、ただ……同じ失敗をしたくなかった。ただ、それだけですから」


 そう、私は二度も同じ過ちを犯したくなかったのだ。二度も、同じ末路を辿りたくはなかったのだ。


 少し力を持って生まれて。

 〝聖女〟として持て囃されて。

 そして、貴族に散々利用されて、挙句、存在が邪魔だからと、身に覚えのない罪状を突きつけられ、処刑された人間。

 それが、かつての私なのだから。


「大きな力は、得てして己の身をも滅ぼします。だったら私は、そんな力は何があっても使わない。そう、決めてたんです」


 だから私は、力を使わないと決めていた。

 そのせいで、〝落ちこぼれ〟と呼ばれようとも、あの二の舞にならなくて済むのなら安いものだと思える。


「……少し、与太話をしましょうか」


 私とシュルトを除いて、周囲にひと気がなくなった事を確認してから呟く。

 〝スタンピード〟にて、手を貸してくれたお礼として。

 そんな言い訳をこぼしながら、ゆっくりと。


「むかしむかし、そのむかし。〝聖女〟などと持て囃された『ばか』がいたんです」


 それは、凄い才能を持った『ばか』だった。

 悪意なんてものに疎いただの『ばか』。もし昔に戻れるとすれば、私はまず間違いなくその頭を叩きに向かう事だろう。


「でも、その『ばか』は、『ばか』だったから、貴族達に良いように利用されている事に気付かなかった。気付けなかった。みんなを助ければ、誰もが幸せになれる。自分に宿ったこの力は、誰かの為に使うんだ。そう、思って行動していた『ばか』は、結局最後まで、良いように利用されて、『ばか』みたいな死に方をしました」


 自嘲の感情が強いからか。

 意識してないのに、『ばか』『ばか』と言葉が続いてしまう。


「でも、その〝聖女〟は驚く事に、二度目の生に恵まれたんです。だから、自分を追い詰め、死ぬ原因を生み出した力だけは、二度と使わない。そう、決めたらしいですよ————なんて」


 冗談めかした様子で締め括る。


「……仮にそんな〝聖女〟がいたとして、シュルト殿下はどう思いますか。ばかって、思いませんか」


 シュルトは、難しそうな表情を浮かべる。

 でも、それも刹那。


「俺なら、勿体ないと思うな」

「……勿体ない、ですか?」

「だって、そうだろ? 一度目の人生で苦労をして、いっぱい苦しんだのに、どうして二度目の人生でまで、我慢をしなくちゃいけない?」

「…………」

「一度目の人生で苦しんだ分、二度目ではそうならないように我慢するんじゃなくて、一度目の分まで、二度目の人生で楽しんでやる。うまく立ち回ってやる。俺なら、そう考えるだろうな」


 ……たしかに、そんな考えも有りだったのかもしれない。でも、私は————。


 ネガティブに思考が傾いてしまいかけたその時だった。

 側を歩いていたシュルトは何を思ってか。

 私と目を合わせるように向き直り、顔をほころばせながら言葉を続ける。


「知ってるか、クラリス嬢。世界は広いんだ。白で一面が埋め尽くされた花畑を見た事はあるか? 海を泳いだ事はあるか? 尻尾が九つある狐を見た事はあるか? 金銀財宝が隠された洞窟に潜った事は? 世界を見て回ったと自慢をする吟遊詩人の話も聞いた事はあるか?」


 若干食い気味で。

 夢を語る幼子のように、目を輝かせながら彼は言葉を並べ立てる。


「世界には、それこそ数え切れない程の面白い何かがある。確かに、辛い事だってあるかもしれない。でも、ずっと我慢をしているだなんて勿体無さすぎる。知ってるか? 世の中はな、楽しんだ者勝ちなんだ」


 嫌味のない笑顔だった。

 だからだろう。

 素直に、私はその言葉に聞き入ってしまう。


「……シュルト殿下は、お人好しですね」


 やがて私は、微笑を浮かべながらそんな感想を彼に向かって述べた。

 たった一度、偶然助けただけ。


 そんな人間に対して、お節介をこうしてずっと焼き続ける。

 だから、私は彼をお人好しと呼んだ。


「クラリス嬢も大概だと思うが?」


 笑われた。


 言われてもみればそうだったかもしれない。

 そう思って、私も一緒になって笑う。


 にしても————、


「楽しんだ者勝ち、か」


 これまでの私であれば、思いもしなかった考え。でも、口に出してみるとこれが思いの外、胸にすとんと落ちる。


「あの、シュルト殿下」

「うん?」

「ひとつ、我儘を申しても良いでしょうか」


 一度目の人生のようにならないよう、平凡に生きるんだ。

 その考えは、確固たる者だと思っていた。

 でも、こうしてシュルトと話をしてみて、少しだけ私も何故か「勿体ない」ような気がしてしまった。

 そして、目を輝かせて物事を語るシュルトの事が少しだけ羨ましく思えた。

 だから、


「先程の件。父と相談する必要はありますが、もし可能であれば、アドラー王国に少しの間お邪魔してもよろしいでしょうか」


 私が尋ねると、シュルトは少しと言わず、好きなだけ居てくれ。といって浮かべていた笑みを深めた。


「でも、そうか。俺の国へやって来る場合、フローレス卿の許可が必要になるか……ならよし、この足で話しに向かってみようか」

「……今から、ですか?」

「善は急げとも言うだろう?」


 その言葉に反論の言葉を見つけられなかった私は結局、シュルトに連れられ、父と陛下がいるであろう場所に向かった————のだが。



「それで、ですなあ! 今回の〝スタンピード〟では、実はうちの娘が大活躍しまして。よく分からん魔法でバッタンバッタン!! いやあ! 私は信じていましたとも。うちの娘には才能が、あると!!」


 べろんべろんに酔った父上が、あろう事か、陛下に絡んでいた。

 旧知の仲とは聞いていたけれど、中々に衝撃的な場面であった。


 そして、意識も朦朧としているのか。

 私とシュルトの存在に気づき、陛下が此方へと近づいて来ているというのに、父はその事に気づいていないのか。

 無人となった椅子の前でまだ自慢話を楽しげに続けていた。


 ……大丈夫か、この父親。


「ご無沙汰しております、陛下」


 生家が公爵家という事もあり、私は陛下とは何度か面識があった。


「ああ、そうであるな。にしても、此度の〝スタンピード〟では随分な活躍であったらしいの」


 楽しげな色を表情に乗せて、尋ねられる。

 恐らく、父から散々聞かされたのだろう。


「いえ、シュルト殿下のお力添えがあったからこそ、ですので」

「ま、そういう事にしておこうか。それで、此方に参った理由は、あの父を引き取りに来た訳ではないのだろう?」


 視線を向け、顔を上気させる父を一瞥した陛下の言葉に頷きながら、今の父では無理だからと私は陛下に話す事に決める。


「……はい。少し知見を広げたく、アドラー王国にお邪魔しようかと考えていまして」

「ふむ。成る程のぅ」


 白く染まった顎髭に手を添えながら、陛下は考え込む素振りを見せる。


「まぁ、クラリス嬢の事を考えれば、アドラー王国で知見を広げる事は決して悪いものではない、か」


 それはきっと、私がこの国で〝落ちこぼれ公爵令嬢〟などと呼ばれている事も関係しているのだろう。


「恐らく、あの酔っ払いも反対はしまいて。ただ、そういう事であれば儂からもひとつ、提案があっての」

「……提案、ですか?」


 陛下から、意味深な視線を向けられたシュルトが、疑問符を浮かべながら反応する。


「今回の件、シュルト王子からすればクラリス嬢に対しての恩返しであったとはいえ、我が国が助けられた事は紛れもない事実。故、アドラー王国とはこれからより強固に、国家間での仲を深めたいと考えておるのだが、如何?」

「それは勿論、反対などする訳がありません。我が国も、ここ、ベストリア王国とは国家同士の仲を深めたいと考えておりました」


 仲が悪くはないが、特別良くもない。

 通商をする程度の仲。

 それが、これまでのアドラー王国とここ、ベストリア王国の関係値であった。


「それは重畳。それで、なのだがな。ここにいるフローレス公爵家の人間には王家の血が流れておってな。そこで、どうであろうか? シュルト王子さえよければ、クラリス嬢を客人として招くのではなく、『婚約者』として招いてみる、というのは」

「…………」


 いやいやいや。

 確かに、フローレス公爵家には王家の血が流れているのは知ってるけど、流石に彼とはそこまで親密な仲とかじゃないから。

 精々が友達レベルなので、無謀過ぎますから陛下。と、私が思っていた最中。


「確かに、それは良い考えかもしれませんね。客人で迎えるつもりでしたが、俺の婚約者であれば更に融通なり、動きやすくもなるでしょうし。ただ、その場合は、あくまで仮。という事で。俺にとってクラリス嬢は好ましい女性ではありますが、それ以前に、恩人なのです。彼女の意思は出来る限り尊重したく」

「…………」


 何故か、乗り気とも取れる返事をするシュルトのせいで、ぽかんと呆けてしまう。

 しかし、その間にもどんどん話は何故か進んでゆき、


「成る程。では、現段階では「仮」の婚約者として、進めておいた方がお互いにとって良いかもしれぬな」

「ええ。そうですね」

「クラリス嬢もそれで良かったかの?」

「え? あ、えと、は、はい?」


 頭の整理が追いついてなくて、生返事になってしまう。

 でも何故か、「仮」とはいえ、彼の婚約者になれと言われても嫌悪感のようなものは一切湧き上がらなくて。

 寧ろ、楽しそうでもあった。


 今生は、前世の失敗を活かして平凡に生きよう。そう考えていた私だけど、彼の言うようにこういう生き方も悪くないかもしれない。


 そんな事を思いながら、若干戸惑いを覚えつつも、これからの新しい日常に私は胸を弾ませた。

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[良い点] 面白かったです。 続きが読みたいです。 アドラーでの出来事など読みたい! [気になる点] クラリスの力はバレちゃったってことでいいのかな?
[良い点] ありがとう! おもしろかったです。
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