第弐話 知らない物体
第弐話
知らない物体
視界がぼやける。眼鏡をどこかへやってしまったようだ。
重力を背中から感じる。恐らくココでしばらく気を失っていたのだろう。
フカフカのマットレスに温もりを感じる毛布。
……?
ボクは、飛行機に乗っていたはず。こんな物は、ファーストクラスでもお目にかかれない。
そうだ。イオはドコに行った?
「イオ!」
思わず上半身を起こしてしまった。
目の前に居たのは、白髪の眼鏡をかけた、白衣を纏った初老の男。
「おや、目覚めたのか」
男は口にくわえたタバコに火を付けようとしたが、それを胸ポケットに突っ込み、ボクの方を向く。
「イオは、……イオはドコに行った?」
ボクは辺りを見渡したが、男以外に人の居る気配が無い。
すると男は、
「ああ、君の連れか。知らん。自分が見に行ったときには、そいつは居なかった」
「乗客は?無事なのか?」
額に汗が溜まる。
「お前以外、全員死んだ」
一体ボクが気絶している間に何があったんだ?あの知らない物体が、乗客全員を皆殺しにしたのか?何の罪の無い命を……。
ボクは思わずベットから飛び出し、男の胸倉を掴んだ。
「一体、何があったんだ?言え!アンタ……、知ってんだろ?」
「お前こそ知らんのか?今、ネオジオ国と君の国が戦争状態に突入しとること。既に1週間前に、ネオジオ国が最後通牒をヱイラ国に突きつけた筈だが」
その時、その事実を初めて知った。ニュースでは一切報道されていなかった。ヱイラ国は、この事実を隠蔽していた。
「あのサイレン、ネオジオ国の襲撃の知らせだったのか」
ボクはなんとなく、現在の状態を把握してきた。
その後、ボクは男に質問の集中砲火を浴びせた結果、何故こんなことになったのか、あらかた理解した。
昔から、マイラー島という巨大な島を二分して統括してきた西のヱイラ国と東のネオジオ国。違う部族が、第三次世界大戦時に難民として、この島になだれ込んできた。先住民は、難民達によって全員虐殺され、絶滅。その後、難民は2つの部隊に別れ、互いに国を立ち上げた。
だが、それぞれの国が同条件を揃えてはいなかった。ヱイラ国に、大量の資源があることが分かったのだ。ネオジオ国は、資源の共有という選択肢をヱイラ国に提案したが、これを拒否した。ヱイラ国はネオジオ国がこれを契機に、資源独占を目論見、マイラー島統一を目論んでいるのではと疑っていた。
この疑念により、現在まで両国の間で資源について会談が幾重にも開かれたが、ヱイラ国は決してネオジオ国に資源を提供しようとしなかった。
ネオジオ国は、あまりにも長い時間を会談に費やした挙げ句、要求を飲み込まなかったことに痺れを切らした。「これ以上話し合いを重ねても無駄だ」。こう発言し、ネオジオ国の侵攻をキッカケに、現在の戦争に至った訳である。
「で、何をしろというんだ?」
ボクは頭の後ろで手を組み、ぼんやりと天井を眺める。
「我が国に協力して欲しい。」
鋭い眼光が、ボクの心を射抜く。
「……嫌だと言ったら?」
「お前を、殺す」
ボクは敵国に居るんだ。逃げ場なんか無いんだ。抵抗したら殺される。だけど、ネオジオ国に協力したら、ヱイラ国で国賊扱い。生きる方を取るか。それとも、誇りを取るか。
ここで死んだらイオが悲しむ。そうだ、協力すればイオの居場所が分かるかもしれない。
ボクは、幼なじみの一人も守れない愚図。だから、愚図なりにあがいてみせるさ。
「分かりました。協力します。その代わり」
ボクは固唾を飲んで男の出方を待つ。
「その代わり?」
男は、曇った表情を浮かべる。
「イオを捜索して欲しいんです」
こんな願いなんか、叶うはずがない。そう思ったが、
「イオなら、この研究所の中にいる」
何を言っているんだこの男は!さっきは、見てない、って言ってたハズじゃないか!大嘘つきめ。
ボクは、反射的に拳を握りしめ、男の面を思い切り殴った。
「すまない。上からの命令で、協力を取り付けるまで秘密にしろって……」
「上からとか、そういう問題じゃないだろ!なんで黙っておく必要があるんだ?」
殴っても殴り足りない。人の感情を弄んでおいて、平気な面しやがって。
「今すぐ案内してくれ」
ボクはベットに座り込みうつむく。
「別に良いのだが、後悔はしないな?」
唾を飲む。やはり、亡骸……
「早く会わせてくれ」
何の躊躇いも無く答えた。
部屋から出ると、無機質の等間隔に並べられた扉と白いコンクリート調の廊下が目の前に現れた。
「この奥だ」
男は、真っ直ぐと延びる廊下の突き当たりを指差す。
ボクは駆け出す。あの笑顔をもう一度見たい。もっと思い出を作りたい……
息を切らし、突き進む。
しかし、元はと言えば、ボクの責任なんじゃないか?ボクが悪かった。許してくれよ。ボクが、イオをちゃんと見てないから、こんなことになったんだ。
そうだよ。ボクは、飛行機の乗客を見殺しにした悪魔だ。
そろそろ走る事が苦痛になる頃合いには、突き当たりの扉に辿り着いていた。
しかし、扉はロックされていて、カードキーが無いと入れない。
ボクは男を急かす。男、小走りで駆けつける。そして、扉を開ける。
扉の先に広がっていた風景。それは、気絶する前に見た、あの知らない物体だった。
ヒトの様に四肢があり、頭と見られる所の頂点から単眼の近くまで放射状に、線が延びている。ボディの色は、限りなく白に近い赤。腕の内側と脚の外側は真っ黒に染められている。
これとイオに何の関係性があるんだ?
「イオはどこだ」
ボクは声を荒げる。血眼になって、舐め回すように部屋の中を隅から隅まで探す。
「『capsule』の中だよ」
capsule?
それは一体なんなのか?
男は、ボクの疑問を理解したかのように話始めた。
「コイツには脳が無い。だから本来は単体では動かない。だが、ヒトの脳を借りることによって、未知数の力を出す」
ボクの額に脂汗が溜まる。鼓動が限界までスピードを上げる。
つまり、ヒトを道具として扱うということだ。非人道的極まりない。
「という訳で、君の連れをcapsuleにぶち込んだ」
ボクは、やり場のない怒りを心の内に鎮め、恐る恐るcapsuleの中身を見る。
ボディは見た目と違って柔らかい。そして中身は、骨と神経、そして巨大なカプセル型のボックス。イオの顔だけでも良いから見せてくれと男に頼んだが拒否された。
「どうやったら元に戻せるんだ?」
「それには条件がある」
条件?一体それは何だ。何を条件として提示されるか、恐怖と期待が湧き上がる。
「君の連れは、体が衰弱している。生命力を回復するには、人を殺せ」
ボクは思わずニヤリと笑う。ヒトを殺すだけでイオにまた会えるなら、何人でも殺せる。それで責任が果たせるなら、ボクは何だって出来る。
「このcapsuleは自力では動かないし、君の連れの脳を使っても、自律行動が出来ない。だから、お前が遠隔操作しろ。で、ヱイラ国の無垢な魂を有るだけ潰せ」
男の声が頭の中で記号になる。
ボクは、この時良識というものを捨て去ったのかもしれない。今すべきことにしか頭が回らない。
「じゃあ、何人殺せば良いんですか?」
男は上を見上げて、
「ざっと10000人、かな」
もう社会を重んじる余裕は皆無。
「では、さっさと始めましょう」
ボクはこの瞬間、悪魔と化した。
〈第弐話終〉