第壱話 少年、襲来
「本当はこんなことしたく無いんだ!」
ボクは、ありったけの声を出して叫んだ。
「いいの。これが結果なんだから」
彼女は優しく微笑む。
ボクは、止めどなく溢れてくる涙を拭かず、そのままナイフを構える。
彼女は、防御体制もとらず、ただ立ち尽くしたままだ。
ボクは悪くない。
悪いのは、この世界だ。そう心の中で唱えながら、ボクは彼女の胸元にナイフを突き刺した。
ありがとう。
さようなら。
また、会えるよね?
第壱話
少年、襲来
2350年
ヱイラ国
首都エルベスタ
スミの家
頭がギンギンする。昨日との気温差が開き過ぎたのか、体が鉛のように重い。おそらく風邪を引いてしまったのだろう。
ベッドから上半身を持ち上げるのがやっとである。
辺りを見渡す。
ベッドの右は壁、左には机。その机の隣には、漫画だらけの本棚。地震が起きたらボクを襲いそうな面々が、包囲する。
「……ジジッ」
既に起きているボクに、遠慮がちに適正の起床時間を知らせる。
外は既に透明な青に染められ、一点の眩い光がボクの顔に照射される。ソバカスが増えたらどうしよう!なんて、乙女チックなことを考えたりする、そんな平穏な朝である。
関節がボクの行動を必死に制止しようと抵抗してくる。なかなか踏ん切りがつかないので、頬を両手で思いっきり叩き、気合いを注入した。すると、不思議なことに体が言うことを聞くようになったのである。
「人間って単純だな」
と独り言をつぶやき、部屋を飛び出す。
ドアを開けると、中途半端な長さの廊下が真っ直ぐリビングまで延びており、フラフラの体でも迷わずたどり着ける。
「おはよー」
いつもはリビングに居るはずのない人間が、そこに存在していた。
その人とは、ボクの幼なじみのイオである。
かれこれ16年間交流があるのだが、あまり身長が伸びず、「チビイオ」と揶揄されていたりする。
服装は至ってシンプルで、青と白の水玉模様のキャミソールと白のミニスカという、いかにも夏を感じさせる組み合わせである。
「早く行こう」
イオは手を後ろで組み、体を左右に揺らす。
「はいはい」ボクは二つ返事で頷いた。
既に母が朝食をテーブルに放置してくれたお陰で、わざわざ作らずに済んだ。朝はやはりトースト1枚である。
ボクは無理矢理それを口に放り込み、部屋へ駆け込む。
パジャマを脱ぎ捨て、前日用意しておいたアロハシャツと短パンを履く。
部屋から出る。扉を開けた瞬間見えたものは、イオの覗こうと試みたスケベじじいのようなの顔だった。
「ここで何してる?」
ボクは冷笑してイオを睨む。
「……」
イオは顔を伏せたまま黙ってしまった。
このままではマズいと不穏な空気を察知したボクは右手を差し出し、行こう、と笑顔を作る。
すると、イオは釣られた魚の様に両手でボクの右手にしがみつき、行きます、と涙を流す振りをした。
今日は、3ヶ月前から企画していた、「ヘイロウ島」というリゾート地へ行くことになっている。
わざわざイオが交通費から何から調べてくれたお陰で、ボクは呑気に何も考えずに済んだ。
「……このバスに乗れば空港に行けるよ」
イオは小さな人差し指で停留所に止まっているバスを必死に指差す。
ってことは、もう直ぐ発車じゃ……
ボクはイオの手を取り、走り出す。
どうしたの、とボクを見つめるがそんな事は気にしているヒマは無い。
扉が閉まりかけた瞬間ボクの荷物を扉に挟み、間一髪バスに乗り込む事が出来た。
運転手はボクらに冷たい視線を送り、何事も無かったかのように正面を向き、バスを発車させた。
ボクらはバス内のあちこちから浴びせられる視線を避けながら、一番前のペア席に滑り込んだ。
ふぅ、と溜め息をつくとイオがボクの機嫌を直そうと変な顔を見せてくる。そのイオの必死さに、ボクは思わず笑みを浮かべてしまった。
そんなこんなで、バスは空港に到着した。最近改築したので、色々とハイテク機械が設置されて昔より便利になったらしい。
内装も豪華になり、未来を感じさせる、スタイリッシュなメタルで統一されているという。
空港パンフレットを見ただけであるが、写真の所々に、コンクリートや金属が剥き出しにされたまま放置されている。そこら辺には、あまり未来を感じることは出来ない。
バスが空港前の停留所に止まり、ボクらは誰よりも先にバスから脱出した。
飛行機の離陸は、あと30分。結構ギリギリである。なので、搭乗ゲートに急いで行かなければ、巨額の金がドブに捨てられてしまう。
脂汗が額を伝う。
荷物を航空会社に預け、急いで搭乗ゲートへ向かう。距離は総計約1キロメートル。全力で走れば間に合う。
イオの手が汗ばんでいる。そのせいか、その手は一層華奢に見えた。
「うぉらあああ!」
ボクは、胃が口から出てくるぐらいの勢いで叫んだ。
ボクらの息が荒くなる。そろそろ肉体的に限界がきているようだ。
搭乗ゲートに向かう通路の両端に免税店が並んでいるが、立ち寄る暇は無い。
免税店街をスルーし、その先にある動く歩道を駆け抜ける。ここを通り越せば、辿り着くはずだ。
そして、ようやく見えた。
搭乗ゲートが、ボクらの視界に入ってきた。
ポケットから航空券を出し、そそくさとゲートの門番の前を横切る。ギリギリセーフ。
指定された席に座り、荒くなった息を必死で整える。
イオが気を利かせて、スポーツドリンクをバックから取り出し、良く頑張ったと言葉を添えてボクに渡してくれた。
イオに、あんたは大丈夫かと問うと、ワタシは後で飲むと言って聞かなかった。脱水症状で死んでも知らんぞ……
乗客が全員乗り込んだのか、飛行機は滑走路へ移動し始めた。イオは子供みたいに満面の笑みを浮かべて窓からその光景に釘付けになっていた。
だが、そんな幸せが脆くも打ち砕かれるとはこの時、ボクを含め乗客全員、誰も思わなかっただろう。
「ウウウゥウウウ」離陸直後に、凄まじいサイレンの音が飛行機に飛び込んできた。
「え?」
イオは、突然のことにあたふたしている。ボクも正直、心の内では動揺していた。
乗客が騒ぎ出す。興奮して座席から離れる者も出始めた。キャビンアテンダントは、必死で制止しようと試みるが、全く収拾がつかない。
しばらくして機長から、
「エルベスタ全域に避難警報が発令されました」
と、淡白に伝えられた。
乗客は一層興奮し始め、ここから出してと泣き叫ぶ婦人の甲高い声が耳に響く。
イオは、窓から外を覗いたまま動こうとしない。ボクはイオに声を掛けるが、ただただ肩を上下に揺らすだけで全く反応が無い。
無理矢理ボクの方に顔を向けさせると、目からとめどなく涙が溢れ、鼻水が今にも口に到達しようとしていた。
ボクは慌ててポケットティッシュを取り出し、イオの顔をキレイにしようとするが、そんなことは到底無理だった。
「アイツラ二コロサレタ」
ボクの耳にはそう聞こえた。イオの言動に、只呆然としていた。
すると突然、
ガラスが割れる音が前の座席の方から聴こえてきた。
けたたましい叫び声と、死ぬのはイヤという生存本能。
上空を飛んでいるのに、地響きに似たおとがこちらに近づいてくる。
焦る。
ボクは何をすればいい?
イオを守ればそれで良いのか?
否。
乗客全員が無事に生き残ることが最良だ。だから……っ!
「か、掛かってこいこのクソ野郎!」
声が震えている。
その声におびき寄せられ、その「物体」は姿を現した。丸みを帯びたそのフォルム。それは人間を象る様に、四肢が付いている。
ボクは完全に体が固まってしまった。
「物体」の厳つい眼光にボクの心は遂に破砕され、緊張が解けた瞬間ボクは気を失ってしまった。
〈第壱話終〉