第8話 初日の朝
四苦八苦という感じで人混みにもまれながら正門からキャンパスを出た。新入生にはそぐわない見た目をしている達樹がその中にいたものだから変な目で見られていたのも結構辛かった。
やっぱり振り切ってでも逃げればよかったとは思ったが、もう後の祭りで今はすでに虫の息だ。
「やばい……」
夏帆は人混みを抜けた後、膝に手をついて息を切らしていた。彼女は随分と身長が小さいものだから他人よりも疲れたのだろう。人をかき分けて進むのだって楽なことではないし。何より、酸素が薄い。ほとんどの空気が自分よりの上のところでカットされてしまうからこれがきついのだろう。
薫は薫でビラまみれになって大変そうだ。受け取る意思がなくても通るだけで押し付けてくる輩がいるから、気づけば両手いっぱいにビラが溢れている。
「これやばいっすね」
夏帆ほどには息は切れていないが、その紙の行き先に困っているようだった。まさかその場で捨てるわけにもいかないし、彼はそれを入れるためのカバンは持ってきていなかった。肩にショルダーバッグはかけているが、それは到底、そのビラを収めることはできない。
結局のところ、体力の消耗具合だけでいえば一番達樹が損をしているが、総合的に見れば達樹のほうが他二人よりも楽ではあった。
頭は周りよりも少しばかり背が高いために酸素を確保できていたし、見境なくビラ配りをするサークル勧誘も、達樹にだけは渡してこなかった。
それでも達樹の手の中にはいくつかのチラシがあったがそれも歩いて持ち替えられる許容範囲だ。
腕時計を見ればもう、おやつ時前の時間になっていた。そろそろ飯も食いたいし、荷ほどきも終わらせたい。
「じゃあ、俺こっちの方だから」
キャンパスから右のほうを指さした。
疲れくたびれている夏帆と薫も達樹のほうを向く。
「あたしはこっちですね」
「俺もっすね」
夏帆と薫の家は同じ方向にあるらしく、二人は顔を見合わせていた。
「じゃあ、今日はここで。また明日」
達樹が二人に手を振ると、彼らもワンテンポ遅れて振り返してくれた。そのあとは各々自宅に戻っていった。
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日付も変わって翌日、達樹は早朝に目を覚ました。今日は一コマ目から講義が入っている。
とはいってもここまでは早く起きる必要はない。前日に準備も終わらしていたし、朝ご飯だって簡単に作れるものを用意してある。今の用意だったら、講義開始一時間前に起きても十分に間に合うのだ。
なのになぜここまで早い時間に起きてしまったか。それはこの歳にもなって恥ずかしいことこの上ないのだが、そわそわして落ち着かなかったからであり。昨日も緊張して早めに床に就いたのにも関わらず、なかなか寝付けず。寝ることができたと思えばこれである。
年甲斐もなくはしゃいでいる自分がいて、だれにも見られているわけでもないのにひとりで恥ずかしくなった。
二度寝するにしても落ち着いて眠れるような気もしなかったから、今日はこのまま起き続けることにする。
立ち上がってカーテンを開ければ赤い朝日が昇っていた。階層がそれなりのアパートの一室に部屋を借りているものだから、遠くを見渡すことができる。
若干寝ぼけていた頭がこれでようやく目覚める。炊飯してあった米もたけているし、作り置きした味噌汁も温めなおすだけだ。後は適当なノリの佃煮であったり納豆なりを一緒に食べる予定だったが、せっかくだからとウインナーと卵を冷蔵庫から取り出して、温めて油を敷いておいたフライパンに投入する。
キッチンには肉と卵の焼ける音が響いた。じゅうと音を立て、二つの色が変わっていく。スクランブルエッグとウインナーをさらに盛り付けると、ちょうど味噌汁も沸き終わった。
これでようやく朝ご飯の完成となる。普段からやろうと思えばできることだが、少し早めに起きなければ手間なことでもあったりする。
テーブルに持ってくるついで、テレビも付けた。これは家電量販店で見つけた安くなってた大型テレビ。引っ越し先で雑貨や家電を買いそろえているときに見つけて思わず買ってしまったものだった。
テンションが上がっていたせいで余計な買い物をしてしまったが案外、後悔は無かった。なにしろ、達樹には時間をつぶす方法がテレビくらいしかない。それが大画面で見れるのだから文句もない。
ただ、一つ不満な点があるとするならばテレビ局の少なさだろうか。地方も地方ということでいくらかチャンネルを回してもすぐ同じところに戻ってきてしまう。
地方都市でもそれなりの数のチャンネルがあるというのにも関わらず、相変わらず地方はかなりチャンネルが少ない。
朝のニュースは全国区のものを見れるので問題はないが、夜にテレビを見ても気に入るものを見つけにくいのが難点だ。
食べ終わった後は服を着替えて、再びテレビを眺めていた。一コマ目の会時間まであと一時間といくらか時間は過ぎていた。それでもアパートから学校までは十分以内につくため、家を出るにはまだ早い。
現役時代に経験したが、講義室に早く来ても席が取れるくらいしかメリットはない。勉強時間の確保ももちろんあるが、いまだに講義の一つも受けていないのに、それは意味があるようには思えなかった。
だったらどうするか、座って時間が過ぎるのをまつくらしか達樹にはすることがなかった。今になってあくびがこもれ出る。睡眠時間が短くなってしまったせいか、それとも朝食の消化が始まった影響か。
はぁと一つため息をついて達樹は立ちあがった。リュックを背負って、鍵を持って外に出る。
外はまさに春の陽気といった感じで程よく温められていた。
鍵をかけてアパートの外に出る。講義開始の時間には程遠い時間であるから大学までも道も人が少なかった。
途中にあるコンビニでコーヒーと昼に食べるものを買う。適当なサンドイッチを一つ手に取ってレジへと持って行った。生協で買えばいいのかもしれないが、この時間に開いているかどうかを知らないから、今日はひとまず様子見だ。