第7話 入部式
名も知れぬ彼女は教員の指示に従って空いている席に座った。そのあと、チラシはきれいにまとめて机に置く。
間もなくして入部式が始まる。学部長から軽く挨拶があったところでコースの説明が始まった。これは達樹の通う理学部には学部がないために三年の時にコースを選択することになるため、一年の内から事前に全コースの説明をしようというものになる。
達樹には具体的な未来予想図があるわけでもない。だから、どこのコースに進むかということは全然決めてもいない。センターの成績だけでいえば数学を百点換算すると、化学が一番高かった。
だから、今のところ化学のコースに進むつもりではあるが、選択までの猶予が二年も与えられているのだから、講義を受けてじっくり考えようと思っている。
三列ほど前方の斜め前に座っている彼女に目を向ける。
彼女はなぜか欲しかったおもちゃを目の前にした子供のように目を輝かせていた。
教授の話に耳を傾け、紹介に映像を使えば頭を傾けてモニターを凝視する。何か感銘を受けたものをあれば手帳を取り出してメモを取っていたりした。
誰の目も気にすることなく、そのひたむきな姿勢に達樹は感心した。
達樹の歳に関係なく、高校生以降の年齢に入ると、この国では学問にストイックな姿勢を周りに見せることというのは恥とみなされてしまう場合もある。
それにも関わらず彼女は周りなんてお構いなしに自分のしたいことをしていた。
ほかの人よりもサークルのチラシを抱えて、遅れてきたときについていもそうだ。テンションが上がって受け取りすぎてしまうことなんてのはよくあることなのだろうが、彼女の場合、本当に興味があるから受け取っているように見えた。
そこで薫とは逆のほうから軽く小突かれる。
「園田さんはどのコースに行くとか決めてます?」
「俺は今のところ化学かな。夏帆さんは?」
「あたしは生物ですね。やっぱり、男の人って化学とか物理に寄りがちなんですかね」
そういう傾向はあるよなぁと思う。達樹の経験上もそうだった。
大学ではそういうことは入学時点で決まっているから何とも言えないが、高校の時はそうだった。
理系女子、いわゆるりけじょと呼ばれている人たちはたいていが生物選択者で、物理を選択をしている人は男子に比べてかなり少ない。地学を選択している人はいなかった。
「薫は?」
「俺は……物理っすかね。なんか量子って面白うそうじゃないですか」
薫が言っている量子とは誰しも一度は聞いているであろう量子力学の量子だ。ちなみに高校物理では古典物理がメインであるため、量子力学というのは少ししか顔を出さない。
だから、いまだ触れたことのないものであるため、面白そうという言葉を使っているのだろう。
「やっぱりって感じですね。それにしてもきれいに分かれましたね」
夏帆の言うとおりにこの場で話している三人、全員の志望するコースはばらばらだ。あと、地学と数学に行く人がいれば、制覇することになるがこの場で話している人が三人な以上、それは叶わない。
そのうえ、教授が嘆いていたことだが、地学選択者は全体の学部の人数からしてもかなり少ない。三桁はいるはずの学部なのに、コース選択者は一桁しかいないらしい。それに二桁以上、いた年はあったらあったで驚かれるらしいが。
彼女はどこに行くんだろうなぁとぼんやり考ええる。傾向だけでいえば生物だろうか。次に女性比率が高いのは化学だからそこかもしれない。
ちなみに数学も人数自他は少ないらしいが、女性は一定数確保されているらしい。地学はほとんどいないとのこと。
数学の説明が終わった後、そこで閉め切られていたカーテンが開け放たれる。ようやく終わりかと伸びをしたところで、教員というのには見合わないスーツ姿もしていない男女数名が入室してきた。
彼らは自分たちのことを大学祭の実行委員だと説明した。いわく、新入生の間で委員会の希望者を募っていると。
また、大学祭の実行委員だけに関わらず、色々な企画、運営をおこなっている部会も新入生を募集しているらしい。達樹が参加した今朝の企画もその部会の企画であるとのこと。
達樹にすれば入りたがる人は物好きだなぁくらいにしか思えないが、これがまた結構人気らしく、入るのにも抽選で通らなければいけないらしい。
(達樹の中で)噂の彼女も頷きながら熱心に話を聞いていた。こういう人が応募するんだろう。
後日、説明会の場を設けるとだけ話して、ようやく入部式は幕を閉じたのだった。
出口に人が溢れかえる前に達樹たちはすぐに荷物をまとめて会場から出た。
最後尾の席に座っていたことも手伝って今度はすんなりと退室することができた。会場のある校舎を出て、いざ正門からキャンパスの外に出ようとすると、そこにはおびただしい人の数が道を作っていた。
視界の外を通らせまいとするほどにぎっしりと並んでいてそこを通るだけでも億劫になる。その分、生徒とは思われにくいであろう達樹はまだよいのだが、薫と夏帆はげっそりとしていた。
後ろから続々と後続の人々が入っていくが、人ごみにもまれた結果げっそりとした表情になるのを達樹たちは見てしまった。
「じゃあ……頑張ってね」
達樹は職員のふりをしながら道を外れようとする。三十台で教授というのはいささか若いから、職員と思われるだろう。
しかし、その望みは後ろから袖を引っ張られることで阻止される。いきなり歩けなくなったことで後ろを見てみると、夏帆と薫が上着の裾を引っ張っていた。
「園田さんももう学生なんすよ」
「一緒にいきましょうや」
気分はさながら地獄への片道切符を渡されているかのよう。振りほどくのは難しくはないが、彼らはどこまでも追ってくるような気がして達樹はあきらめた。
知り合いを作ろうと思った時点でこうなってしまうのは必至のことだろう。
「わかったから裾を引っ張るのはやめてくれ……伸びる」
ため息をつきながら達樹は再び足を戻す。