第4話 入学式
新入生はかなりもうホールに入ってしまったようで、後ろの席はほとんど埋まってしまっていた。
後頭部を見られるのは恥ずかしかったからできることなら最後尾を取りたかったがそう贅沢は言うものでもないな。
中央の通路から少し前のところに座る。一人で座ったこともあり、隣はなかなか埋まらなかった。
そんなもんだろうと静かに開演を座して待っていると隣から声をかかる。
「隣だれか来たりします?」
さっきぶりの薫の声だ。用事とやらは終わったようで今はフリーっぽい。
「空いてるよ」
「それはよかったっす」
薫はそう言いつつ、達樹の隣に座る。
なにやら疲れた様子で、背もたれに深く身を預けていた。彼の用事はよほど疲れる何かだったらしい。
「とりあえず、お疲れ……かな」
「まぁ、そんなとこっすね。疲れたっていうよりも緊張してるだけかもしれないっすけど」
薫はだらけ切った姿勢を戻して袖をまくり、腕時計で時間を確認した。そしてなぜかうーんとうなる。
「始まるの何時でしたっけ」
悩んでいるような表情の割には、気にしていることが小さくて達樹は思わず笑った。薫はそんな達樹を不思議そうに見つめる。
「なんで笑うんすか」
「いや、気にしないで。九時開始だったはず」
「じゃあ、あともうちょいすね」
達樹もそういわれると今の時間が気になってしまって腕時計を確認する。今は八時五十分、ほんとうにあと少しだ。あと十分もすれば幕が上がって誰かが壇上であいさつをするのだろう。
なんだか懐かしい気分に浸る。学生の頃は卒業したらまた入学して、入学式があると言うのが当たり前だった。しかし、大学院を出てしまえば、もうそんなことはない。入社式はあるものの、大学等の入学式とはまた違うような気がする。
以前であれば期待や不安を抱きながら望んでいたものだったが今では感慨深さだけが胸を占めていた。
それでも落ち着かないのは学生のころと同じだ。こういう式の雰囲気がそうさせてしまうのだろう。
隣の薫もずっと落ち着かない様子で小さく貧乏ゆすりをしていた。あまり褒められた行為はないが緊張してしまっているこの状態では仕方がないのかもしれない。薫もそれに気づくとすぐにやめるくらいだから自覚があるのだろう。
開始五分前になると、前かがみになって俯いた。達樹には聞こえないほどの声で何かぶつぶつと念仏のように小声でつぶやいていた。
さっきもだったが薫は周りに比べても特段に落ち着きがない。入学式とはそんなに緊張するものだったかと学生時代のころを鑑みてみるが自分も友人にもこれほど緊張している人は無かった。
そうは思ったがよくよく思い出してみると、一人だけ心当たりが思い浮かぶ。
「なるほどな」
薫には聞こ得ないことはないくらいの声の大きさで呟く。
新入生代表宣誓をする奴はこんな感じだったと記憶している。入学式前のオリエンテーションで知り合ったやつがたまたま学部の首席で、そしてその年の挨拶は達樹がいた学部の番だったのだ。
人前にでることが得意なやつではなかったから、入学式前は薫以上に緊張していた。
早合点して薫に訊いて間違っていた時は恥ずかしいから、本人に言うことはないが。
意図せず懐かしい記憶に浸るが、そいつとの付き合いは学部までだったのでもう顔もよくは思い出せない。
今この場であったとしても名前がぱっと出てくることは無いだろう。そうなると、大学で付き合いのあったやつの顔は一人を除いてほぼほぼ出てこない。
学生の頃の付き合いなんてそんなもんだよな、と内心笑った。その時はひたすら楽しかったものの一度共通点を失うともう、会うことはずっと少なくなる。ましてや積極的に関りを持とうとしなければ、二度とは会うことは無いだろう。
数度、学生時代の知り合いの結婚式に出席したことはあるが、そいつと式中に絡むことはほぼほぼ無かった。軽く挨拶をしたらそれで終わり。
体のいい金づると言ってしまえば聞こえは悪いが、式の費用を賄うために多くの人を呼んでいる側面もある。
そんな性格の悪いことを考えているうちにブザーのような音とともに壇上の幕が上がった。そこには達樹よりもさらに歳が上の偉そうな人が何人か座っていた。
薫も幕が上がり切る前にはしゃんとしていた。どこか落ち着かない様子ではあるけども、それでも一応様にはなっている。
『新入生代表宣誓、田中薫』
いくらからの式辞を終えた後、ようやく薫の出番がやってきた。一つ一つ演目が終えるたびに、薫が目に見えて緊張が増しているものだから、微笑ましき分にさせられていた。
それでもようやくそれが終わってしまうらしい。薫は返事しながら立った。
今思えば彼の用事というのもこれのリハーサルだったのだろう。彼はたどたどしくも壇上に上がって、蛇腹状にたたまれた紙を開く。
『宣誓――』
いざ壇上に立って言葉を並べ始めると、さっきまでの緊張がどこかに行ったかのように凛々しい声が響き渡る。
宣誓ということもあって長くもない間に彼の出番は終わってしまう。
『新入生代表、田中薫』
厳かな様子で言葉を締めくくり、紙を封筒に入れたのちそれを学長に渡した。各所に礼をして再び、達樹の隣に戻ってくる。
薫は弛緩しきった顔で息をついた。
「めっちゃ緊張しました」
薫はわざわざを横を向いて達樹に言うものだから、達樹も彼をねぎらうために横を向く。
「今度こそお疲れ様」
「あざす」
入学式の途中であるので、小声で手短に済ませた。
また前を向こうとするとい、少し後ろの方であっ、という声が聞こえた。開場が静かなものだから、その声はよく聞こえた。
それはホールに入る前に聞いた声だ。ちっこくて達樹にぶつかってしまった彼女。
つい振り返ってしまいそうになるが、式の途中だからそれはやめておいた。
そのあとは新入生に対して、お金等の注意を消費者センターの人がした後に解散となった。