第1話 きっかけ
園田達樹は三十路を目前とした二十九歳になった日、リストラを食らった。正確には会社都合退職というやつだ。
理由は派閥争いにおける劣勢とある事業での大幅赤字。世間で一流と呼ばれる大学に入り、それから大企業というものに就職したのにも関わらず、まだまだ働き盛りのころにリストラとはついていない。
もっとも理由の一つは達樹にあるのかもしれない。彼には野心という野心が存在せず、役員にはいることなど少しも考えてはいなかった。
達樹の所属する派閥が劣勢に立たされた時も、達樹の頑張りしだいでもしかしたら挽回できた可能性は低いが無いわけでは無い。しかし、達樹は成績を中の中で維持したままそこから変えようなどとはみじんも考えなった。
世の中けり落としあうことが常であるのだから、少し自衛の準備をしておくべきだったかと後悔はある。とはいえ、もういくら悔いたとしても仕方がないことだ。
退職金はでて、貯金も達樹の歳にしては十二分にある。転職がしばらくかかってしまったとしても、くいっぱぐれることは無いだろう。
とはいえ、充実した福利厚生を手放すのも惜しい。住宅手当でいくらか家賃を企業から出してもらっている以上、今までと同じ暮らしはできないと考えた方がよいだろう。
転職が長引けばアパートを変えることも検討しなければならない。それはそれでお金がかかることではあるので、本当に最後の手段になる。
ただ、これだけははっきりしている。このことに関しては達樹は悪くないのだ。もちろん、頑張らなかったというのは駄目なことなのかもしれない。
しかし、達樹の成績は中の中、つまり半数は彼の下の成績だということである。もちろん、その中には優勢派閥の人間も存在した。解雇するのならば、先にそう言った人を切っていくべきだろう。
結局のところ、会社とは人間が運営するものであるから私情で動くこともまた当たり前なのだ。でなければパワハラなんて言葉はこの世にするはずがない。
何が言いたいか、それは人間社会は理不尽が成り立ってしまうくらいには甘いのだということだ。
一流企業に入るまで、努力は大体報われてきた。今回ばかりはある程度の努力は無意味に返された。少なからずあった一から零に。
何というべきか、月並みの言葉で表すのならばショックだった。園田達樹の人生においての二度目の挫折になった。
初回のものは幸いというか、大した苦労もなく対処できた。だが、今回のはかなり堪えた。
その通知を受けた帰り道、正直泣きそうになった。こらえなければすぐにその目からは涙が溢れ出そうになる。
――ああ、星がきれいだ。
しばらく、新しい職を探す気はしなかった。トラウマになってしまったのだろう。
インターネット上で転職という言葉を見るたびに寒気が走った。しかも、失業したての頃は転職に息巻いていたものだから、履歴にはたっぷりと転職に関するサイトが残っている。
広告とは現金なもので直近に調べたものは大量に広告が出てくるものなのだ。通販ショップで何か商品でも見れば簡単に変わるのだろうが、もうそれがしたくないほどには辟易としていた。
したがってテレビを見て、食べて、寝てを繰り返すことしか達樹にはできなかった。実に無意味だ。趣味がないからストレスを発散することすらできない。
もし、達樹に何か好きなことの一つでもあれば一か月でも遊んで、わりとすぐに戦線復帰が可能になったのかもしれない。
だから、無意味に、怠惰に、堕落的に、退廃的に、忙しいさが退屈さに置換された日常を送った。
実のところ、家族にはすでにリストラされたことを知られていた。父も達樹のいる場所とは違うそれなりの企業に就職している。そこに入るように勧められた達樹だったが、いざ入社そう決まるとなったときに彼の体は動かなくなってしまったのだ。
こんなことになるくらいならもっと若いうちに大きな挫折を経験しておくべきだったと後悔している。今の辛さなんて独身にとっては大きな痛手にはならない。世帯が無ければ、金は多くは必要がない。養う家族は無い。
同じ挫折が怖くなってしまった。
両親の提言で医者に診てもらうことになりかけたが、それは断固として断った。自分は病気ではない、そう思いたいのだ。
そこまで落ちぶれてはいない、みっともなくなんかない。
そうして自分の殻に閉じこもるのだ。
三か月、日にちに直せば九十日余り。その多くの時間を達樹は働きもせずに過ごした。
両親の手は借りない。そう決めたからには自分のことは自分でどうにかしなければならない。生きていくには金を消費して、生活用品から食料までを得る必要がある。
惰性で生きてるにしてはしっかり栄養は取っていて、痩せこけたりなどはしていない。精神面でやられているのに、身体面すらも駄目になってしまったらもう完全に終わりだ。むしろ、精神面が駄目になってしまっているから反動で食べている節はあったりするが。
ある日の昼下がり、今日も今日とて飯を食おう、そういうつもりでスーパーへと買い物に出かけたのだ。
店までの経路の途中、ある予備校のポスターが目に入った。キャッチフレーズは来年の春こそ、みたいなそんな感じのやつ。
思えば時はもう三月。大学受験をした人は大方進学であれば浪人であれ、進路は決まった人が多いだろう。達樹は幸いにして前期での現役合格を経験して、すんなりと新生活が始まったことを覚えている。
そのポスターに載っている桜の写真がやけに色づいていて、無性に眩しく見えた。今まで世界の色なんて意識したことなんてなかったけれども、その鮮やかなピンクだけが本物で他のすべてはモノクロの偽物に感じてくる。
この気持ちは何というのだろうか。恋、なんて華々しいものではない、もっと歪な何か。人はそれを回顧というのだろう。
あのわずかな挫折を経験した大学生活こそ、達樹にとって輝かしい青春だったのだ。むしろ、その挫折という谷があったからこそ、達樹の人生の中で最も意味のあるひと時だったのかもしれない。
喉が渇く。渇望するほどにそれが欲しい。
このころの達樹にまともな思考力は残っていない。この時、達樹は受験を決意したのだ。
スーパーで手短に買い物を済ませた後に行くのは銀行のATMである。久方ぶりにスマホの電源を入れて、大学生活にかかる費用を調べる。それから、貯金の残高を確認した。
達樹が無趣味であったことに幸いして学部四年間を過ごせるほどにはお金は溜まっていた。
そして、次に本屋に立ち寄った。そこで大学受験コーナーに赴いて、参考書を手に取って数ページめくる。これは達樹も驚いた事なのだが、案外簡単な問題であればすらすらと解けてしまうのだ。勉学に費やした半生は無駄ではなかったらしい。
復帰したてということもあって、簡単なものを数冊、センター試験に必要な教科を。私学に行くのは学費の関係上に難しい。ならば五科目七教科、すべてを勉強する必要がる。そして狙っているのは地方国公立。
達樹の醜いあがきが始まった瞬間だった。