10.終幕
(マズいマズいマズいマズい)
村の教会唯一の聖職者、エルスは教会の地下でこれ以上ないほどに焦っていた。魂装を扱う勇者としての感覚が、魔王の襲来を告げている。
(あのバカ勇者を引き留めておくべきだった……!)
エルス自身に正面から強敵と戦う力などない。多少の魔法は使えるが、勇者でない普通の魔法使いにも劣る程度のものだ。襲撃を察知した彼女は真っ先に教会の裏側の片鱗である地下施設に自分1人で逃げ込み、扉に封をし隠れた。だが、それもここまでかもしれない。
(上から音がしなくなった……逃げ込んできたゴミ共はもう全員……!?)
ガゴンッ、と大きな衝撃音。見れば、閉めたはずの鋼鉄の扉が粉々に砕かれ、全身を血で染めた悪魔がエルスの目の前に現れた。
「コレで最後、か……」
「ひっ……あ……あぁ……ぁ」
禍々しい漆黒の剣を携え、底冷えするような冷たい紅眼で見下ろす、返り血を纏う、さながら幽鬼のような。この世あらざる者ではないかと錯覚するような異質な恐怖。
そんなはずはない、と恐怖を押し殺し、エルスは目の前の対象を現実にいるものとして観察した。
「魔族じゃない?……人、間……?なぜ邪神の気、が…………ッ!ま、まさか!お、お前は……」
エルスは可能な限りに冷静に、眼前の敵を観察し……答えにたどり着いた。
「忌み子……!なぜお前が生きて……!?いや、そんなことはいい……その剣……魔王になったのか!人の身体で!」
微かに染まっていない部分から窺える、白髪。血の色の中でもより鮮やかな色を持つ瞳。返り血や雰囲気、邪神の気配に気を取られて気づかなかったが、エルスはその正体に辿り着く。
「は、はっ、ははははは!教会は、私達は!間違っていなかった!お前はやはり邪神の写し身!人の皮を被るなど心底穢らわしい!本っ当に反吐が出、る……」
「……」
瞬間、表情としてはわずかに、だがその心には大きく。赤い悪鬼……ルナリが怒りに震え、そして黒剣が魔素を取り込み禍々しい黒炎を噴出した。
「ひっ……ま、待って……い、今のはほんの冗談で……少し強がっていただけなんです……!復讐が目的なのでしょう……?それなら村の連中で終わりでいいじゃないですか……!私は!関係あり、ま……」
初めて体験する、本物の死の恐怖。生物的危機感の本能。それらに当てられ、今更普段のように猫を被る修道女。憎き教会に連なる者の醜い姿にも飽きたルナリは容赦なく女を袈裟斬りにした。
「終わった……」
ルナリを嘲り、蔑んできた者たちはもうこの世にいない。だが。
「まだ……まだ、憎い……!」
ルナリの怒りは収まらなかった。教会。人間。女神。敵は、消さなければいけない塵共は、まだ腐るほどいる。そう自らに言い聞かせ、ルナリはその場を去り、今の主人の元へ帰ろうとする。
「間違、いな……い……唯一の味方だった男すら……斬り殺す……人の所業では、ありま、せん…………」
「……」
最後の恨み言だろうか。まだかろうじて息があったらしい女は捨て台詞のような事を言って今度こそ完全に生き絶えた。
(……人の所業。それが無力な少女を吊し上げることなら、私はそんなものであったことなんかない)
一瞥し、教会を出る。すると、そこにはルナリの主人、シンシーが既に来ていた。
「……随分と、派手にやったんだな」
「……その、ダメだったでしょうか……?」
「いや、君の自由だとも……にしても酷い格好だな。早く洗い流そう。帰るぞ」
「はい」
シンシーはルナリに微笑むと、帰還の術式の準備を始めた。魔法特化である彼女は、魂装が無くとも高レベルの魔法を行使可能だ。そんな彼女にとって、ただの移動魔法など造作もない。
(魔法……私には扱えない力……いつか私も……)
「なぁルナリよ」
「……っ!は、はい」
考えごとをしていたルナリに、なんでもないといった風にシンシーが話しかける。
「あの修道女が最後に言っていた……その……君にも味方がいたのか?」
「……聞いていらしたんですか」
唯一の味方だった男。あの女はそう言っていた。ルナリに心当たりは一つしかない。だが。
「……そんな人は、いません。私の味方はシンシー様だけです」
「……そうか」
それは違った。あれは偽物だった。そう自分に言い聞かせるように、ルナリは脳裏に浮かべた少年の像を塗り潰しその問いを否定した。
そんなルナリの心を見透かしていたシンシーも、それ以上は聞かなかった。どうせ、死人の話。掘り返したところで、今更どうにもならないからだ。
そして、帰還の魔法が起動し、2人はそこから姿を消した。
そうして、世界から一つの村の人々が消え去り、忘れられた。