第六話 アーシュ
両親が死んだ。
その事実を、幼いアーシュはまだきちんと理解できてはいなかった。
『神様……どうかアーシュをお守りください』
『大丈夫だよアーシュ。お父さんが……アーシュを必ず守ってみせるから。だから――だから生きてくれ。……頼む』
母と父の、最期の言葉だ。
アーシュに覆いかぶさり、盗賊たちに何度も何度も剣を突き刺されながら言った、最期の言葉だった。
不運だったと言う他ない。
ちっぽけな村から乗合馬車に乗り、地方都市のオルブライトンを目指す。
理由は出稼ぎだ。
くだらない戦争で田畑が焼かれ、食い扶持を失ってしまったからだ。
家族三人、新しい生活を夢見てオルブライトンに向かっている道中のことだ。
野盗の一団に襲われた。
荷物も所持金も、全て奪われた。
馬車に乗っていた男は無慈悲に殺され、女は犯されてから殺された。
野盗共は下衆な笑い声をあげながら、命を弄りつくしていたのだ。
野ざらしになった無数の屍。
危うくアーシュもそのひとつになるところだった。
冷たくなった両親の下で、命が零れ落ちていく傷口を必死になって手で押さえる。
正直、もう駄目だと思った。
何度も意識を失いそうになっては、その度に激しい痛みに引き戻される。
――こんなに痛いなら、死んでしまいたい。
それでもアーシュが命を手放さなかったのは、父の言葉があったからだ。
『大丈夫だよアーシュ。お父さんが……アーシュを必ず守ってみせるから。だから――だから生きてくれ。……頼む』
最期まで、最後の最期までそんなことを言われてしまっては、生きるしかないじゃないか。
歯を食いしばって、痛みに耐えるしかないじゃないか。
アーシュは馬車に乗り合わせた不幸な者たちの中では、幸運だった方だろう。
通りかかった冒険者レオンに命を救われ、暖かい食事と隙間風が入ってこない寝床を得たのだから。
――ただ、
「アーシュ、ど、どうかしたか? 首が痒いのか?」
「……ううん。なんでもない」
どうしようもなく、首元が寂しかった。
村の祭りのときに両親が買ってくれた、赤い石の首飾り。
その首飾りがないことが、アーシュはどうしようもなく哀しかったのだ。
別に大した物ではない。
たった銅貨二枚の玩具だ。
でも、両親が買ってくれた首飾りは、まぎれもなくアーシュの宝物だった。
ただひとつの、宝物だったのだ。
それを――
『ぁん? おいそこのガキ。いーい首飾りもってんじゃねぇか。ちぃとそれ寄こせや』
野盗に取られてしまった。
抵抗するアーシュを躊躇いなく蹴り飛ばし、無理やり奪っていったのだ。
祭りの日に、父と母が買ってくれた首飾り。
『アーシュ、とても似合っているわ。まるでお姫様みたい』
『いつか父さんがアーシュに本物を贈ってやるからな。それまではこれで我慢しててくれ』
『ううん。アーシュね、これがいい。これがいいの!』
温かな想い出。
アーシュの手は奪われた首飾りを探し求める。
でも、いつも身につけていた首飾りはどこにもありはなかった。
――哀しい。
――悔しい。
――寂しい。
気づけばアーシュはポロポロと涙を流していた。
首元に両手を当て、静かに涙を流していた。
「どどど、どうしたアーシュ? なな、なんで泣いてるんだっ!?」
涙を流すアーシュを見て、レオンが激しく狼狽える。
「お、俺か? 俺なにかやっちゃったか?」
アーシュはふるふふと首を振り、小さくひと言。
「……ちが、うよ」
「じゃあ……なんで泣いているんだ?」
「んと……ね、アーシュの……ね、首……飾りが、ね」
しゃくりあげ、途切れ途切れになるアーシュの言葉をレオンは黙って聞き入る。
「おとさんと、おか、さんに……買ってもらった、首飾り、がね……」
アーシュは続けた。
「…………とられちゃったの」
いくら察しが悪いレオンでも、アーシュが伝えたい事はすぐにわかった。
野盗に――野盗共に、アーシュの『大切な物』が奪われたと。
レオンは「……そうか」と頷き、涙を流すアーシュを不器用に抱きよせる。
そして、
「俺が……取り返してきてやるよ」
と言うのだった。