第五話 娘が出来ました
やっちまった。
これはやっちまったぞ。
生涯でも最大級のやっちまっただぞこれは。
「…………」
手を繋ぎ、俺を見上げてくるアーシュの瞳には、期待の色がありありと浮かんでいる。
ついつい勢いに任せて「俺と一緒にくるかっ?」とか言っちゃったけど、冷静に考えてみれば一緒に暮らすってことだよな。
早い話が、アーシュが『俺の娘』になるってことだ。
コミュ障な俺に父親役なんか務まるのだろうか?
そもそも、彼女すらいたことないのに一足も二足も飛び越えて娘ができましたとか、どんな冗談だよ。
「……おじちゃん」
頭を抱える俺を、アーシュが遠慮がちに呼ぶ。
「ん、どした?」
「……ううん。呼んでみただけ」
「そか」
かれこれこの手の会話を4、5回は繰り返している。
アーシュは不意に俺を呼んでは、なんでもないと言い、少しだけ嬉しそうに微笑むのだ。
「取りあえず……宿に戻るか」
俺はアーシュを連れ、再び宿屋『安らぎの守護者亭』へと戻ってきた。
おっかなびっくりに扉を開け、受付にいる親父さんのご機嫌を伺う。
うん。やっぱり無愛想を振りまいているぞ。
つまりはいつも通りってことだ。
「い、いま戻ったぜ親父さん」
「……」
親父さんの睨みつけるかのような視線が俺に向けられ、次にアーシュに向けられ、また俺に戻ってくる。
「へ、部屋のカギを――」
「……その娘、」
「ん?」
「その娘、どうするつもりじゃ?」
「ああ、それなんだけどさ……」
俺は「たはは……」と愛想笑いを浮かべ、アーシュとの出会いから孤児院での出来事に至るまで、コミュ障なりにがんばって親父さんに話す。
死にかけていたアーシュを助けたこと。
独りぼっちになったアーシュを孤児院に入れようとしたこと。
そして、最後の最後でアーシュを引き取ることにしたこと。
親父さんはいつもの仏頂面で聞き入り、話が終わると、
「……そうか」
とだけ呟いた。
しばしの沈黙を経て、パイプから紫煙をくゆらせる親父さんは「いいか若造」と前置きをしてから説教気味に語りかけてきた。
三十路の折り返し地点を迎えた俺を「若造」扱い。
ちょっと嬉しいじゃないの。
「一人で娘を――子供を育てるのは簡単なことではないぞ。わかっておるのか?」
「わ、わかってるよそれぐらい」
「いいや若造、お主はわかっておらん。そもそもここがどんな宿屋か理解しておるのか?」
「ぼ、冒険者ご用達の宿屋……かな?」
「そうじゃ。オルブライトンでも一等荒くれ者が多い北通りの、馬鹿者ばかりが集まってくる宿屋じゃ」
親父さん自分の宿屋を卑下しすぎだろ。
もっとさ、こう……自信を持つといいんじゃないかな?
「そんな宿屋にじゃ、ほれ、そこにおる幼い娘を置いてみろ。いつか良からぬ事件に巻き込まれるじゃろうて」
親父さんの言葉で不安になったのか、アーシュが右手ぎゅっと俺の手を握ってくる。
俺はその小さな手を握り返し、大げさに自分の胸を叩く。
「そ、そこは俺が守るぜ。俺がアーシュを守るんだ!」
「馬鹿かお主は。その娘と一日中一緒におるつもりか? 若造……お主は冒険者じゃろう。仕事に出ている間、いったい誰がその娘の面倒をみる?」
「それは……」
パッと思いついたのは、この宿屋で小間使いをやっているウィルの顔だ。
俺に失礼ぶっこいたんだから、アーシュの面倒の一つや二つや三つや四つ、笑顔で引き受けるべきだと思うんだよね。失礼ぶっこいたんだから。
「ウィルに期待しても無駄じゃぞ。あ奴は儂が雇っているんじゃからな」
俺の考えを見透かしていたのか、親父さんに先手を打たれてしまった。
「………‥」
黙り込む俺。
仏頂面の親父さん。
やがて――
「……儂の娘夫婦がな、南通りで宿屋をやっておる」
「……?」
「こっちと違うて南は治安が良い。娘と暮らすならそっちに移った方が良いじゃろう」
「……親父さん」
「ウィルを使いに出して部屋が空いておるか訊いてきてやろう。お主はいつでも宿を移れるように荷物でもまとめておくんじゃな」
親父さんはそう言うと、話は終わりだとばかりに黙り込んでしまった。
つまりはあれか?
俺のとアーシュのために、治安の良い南通りの宿屋を確保してくれるってことなんだよな。
なんだよ。いっつも仏頂面で無愛想振りまいてる親父さんだけど、優しいとこもあるんじゃん。
「おじちゃん?」
アーシュが俺を見あげ小首を傾げる。
俺はその頭を撫で、
「部屋にいこうか。いまから荷物をまとめないといけなくなったからな」
と言って、アーシュを抱きあげるのだった。
◇◆◇◆◇
小奇麗になった部屋を見回し、大きく頷く。
「よしっと、掃除はこんなところか」
もともと荷物は必要な物しか持っていなかったから、荷造りよりも掃除の方に時間を取られてしまった。
本来なら部屋を掃除するのはウィルの役目で、俺がする必要なんかこれっぽっちもない。
じゃあ、なんで掃除したかというと、親父さんの恩に少しでも報いたかったからだ。
「アーシュもキレイになったと思うだろ?」
「…………」
アーシュはぼーっとした顔で、左手を首元に当てている。
首が痒いのか、手で掻くような仕草をしていた。
「アーシュ?」
再び呼びかける。
アーシュはやっと反応し、俺を見あげた。
「アーシュ、ど、どうかしたか? 首が痒いのか?」
「……う、ううん。なんでもない、よ」
アーシュがふるふると首を振る。
「そうか……」
小さな左手は首元を掻いているようでもあり、なくした『何か』を探しているようにも見える。
俺は、アーシュのその仕草がひどく気になるのだった。




