第四話 リンゴパイと覚悟と
「う、うまいか?」
俺がそう訊くと、
「…………ぅん」
アーシュはリンゴパイを食べながら頷くいた。
その頬には涙が伝っている。
「そ、そうか。ならよかった」
「…………うん」
アーシュがまた頷く。
ぽたぽたと、涙の雫がテーブルに落ちた。
「好きなだけ食べていいからな」
「……うん」
俺はオルブライトンで一番美味しいリンゴパイをだす店に、アーシュを連れてきていた。
お湯で汚れを落し、古着屋で買った服に着替えさせたからか、アーシュはお洒落なこの店でも馴染んでいるように見える。
ふたり分のリンゴパイを頼み、アーシュと同じタイミングでフォークを突き刺し、一緒に食べる。
リンゴパイは確かに美味しかった。
屋台で買うのとはまるで別物だった。
でも、涙を流すほどではない。
アーシュが泣いているのは、別の理由からだ。
「……おとさん……おかさん……」
いま食べているリンゴパイが、アーシュに両親の事を想い返させているんだろう。
父親が「美味い」と言ったリンゴパイ。
母親が「食べたい」と言ったリンゴパイ。
それを、アーシュはいまひとりで食べていた。
アーシュは何度も涙を拭い、リンゴパイの欠片を口に運ぶ。
咀嚼して飲み込み、また涙を流す。
そして俺は、アーシュの『今後』について悩みに悩んでいた。
オルブライトンにアーシュの親族はいないらしい。
現状、知り合いは俺だけ。となれば、選択肢なんかひとつしかない。
「その……アーシュ、ちょっといいか?」
俺は意を決し、アーシュに話しかける。
こんなコミュ障なおっさんが唯一の知り合いとか、神さまはどんだけアーシュに試練を与えるつもりなんだよ。
「……ん?」
「あー……、なんてーか、アーシュの『これから』のことなんだけどさ」
「…………うん」
アーシュが身を固くするのがわかった。
顔を伏せ、俺の言葉をじっと待っている。
次の言葉を言うのに、かなりの時間と、そしてそれ以上に勇気が必要だった。
「アーシュ、これから俺と一緒に孤児院に行こう」
「……こじいん?」
「な、なんていうのか……あ、アーシュみたいな親を亡くしちゃった子供たちが集まって、一緒に生活している場所だ」
「…………アーシュはそこにいくの?」
「う、うん。そーなるかな」
「…………」
「こ、孤児院も楽しいと思うぞ! 歳の近い子供もいるだろうし……そ、そう! 友だち! 友だちができるよ!!」
「…………」
「だから……そこに行こう。な?」
俺はアーシュの手を握り、コミュ障なりにがんばって言い聞かせるように話しかける。
アーシュは俺の手をきゅっと握り、
「…………うん」
と頷くのだった。
それから俺とアーシュは手を繋いだまま、無言で店をでた。
何度も道に迷い、元の道に戻っては再び孤児院を目指して歩く。
その間、アーシュはずっと俺の手を握りしめていた。
ひと言も喋ることなく、ただ俺の手をぎゅっと握りしめていた。
◇◆◇◆◇
教会が管理している孤児院に着いた俺は、アーシュのことを孤児院の管理者に時間をかけて、ゆっくりじっくりご説明(コミュ障だから意思の疎通に時間がかかる)。
いくつかの手続きを経て、アーシュを受け入れてもらうことが決まった。
正直、俺にしてはかなりがんばったほうだと思う。
そして俺はいま、孤児院へ続く門の前でアーシュと向き合っていた。
「あー……アーシュ、その……ここが孤児院だ。きょ、教会にもなってるから寄付とかもあって、食べるのには困らないそうだ」
「…………うん」
「今日から、アーシュが住む場所だ」
「…………うん」
「だ、大丈夫だよ。シスターのお姉さんも優しそうなひとだったし、アーシュぐらいの年頃の子供もいるって話だからな。そりゃ慣れるまで時間はかかるだろうけど……き、きっと住んでよかったって、ここにきてよかったって、おもっ、思える日がくるよ」
「…………うん」
「…………」
「…………」
何を話しても、アーシュの顔は無表情なままだった。
まるで、感情に蓋をしているかのように。
「レオンさん、そろそろよろしいでしょうか?」
孤児院の管理人である、シスターが遠慮がちに話しかけてくる。
「あ、えと……はい。お願いします……」
「あとは私に任せてください。じゃあアーシュちゃん、はじめまして。この教会でシスターをやっているジョアンナよ。これからは私たちと一緒に住むの。私のこと、本当のお母さんだと思っていいからね」
「……おかさん?」
「そうよ。お母さんよ。それにお友だちも……兄弟も沢山いるわ。だからなにも心配しなくていいのよ」
「…………」
「さあ、いきましょう。新しい家族が待っているわ」
「あ……」
シスターが、アーシュの手を引いて歩きはじめた。
アーシュは振り返り、俺を見つめる。
シスターに手を引かれているのに一度も前を向くことなく、アーシュはただ俺だけを見続けていた。
「…………」
アーシュはなにも言わない。
ただ俺を見つめている。
きっと、教会の扉が閉まるその瞬間まで、俺を見つめていることだろう。
「……アーシュ、お前……」
俺は理解してしまった。
コミュ障ゆえに、理解してしまったのだ。
何か言おうとしては躊躇って、伝えたいことがあるのに飲み込んで、そのくせ自分をわかってもらいたくて。
「お前は……」
うまく話せないし、何を話していいかもわからない。
だから見続けるんだ。
気づいてもらいたいから、理解してもらいたいから、心の渇望を知ってもらいたいから、目で訴えかけるしかなかったんだ。
手を引かれるアーシュは――――他ならぬ俺自身じゃないか。
「あ……アーシュッ!!」
気づけば俺は声を張り上げていた。
「……?」
「アーシュッ! おれ、俺と――」
力の限り叫ぶ。
「俺とっ、一緒にくるかっ?」
「――っ!?」
アーシュの目が大きく開かれる。
「うまくしゃべれないし、察しも悪いし、誤解もされやすいし、いろいろ苦労かけて大変な思いをさせると思うけど……それっ、それでも――」
見つめてくるアーシュを真っすぐに見返す。
「それでもっ、俺と一緒にくるかっ?」
「おじちゃん……」
アーシュがおばちゃんの手を振り解く。
「おじちゃんっ!!」
アーシュが駆け出し、俺の胸に飛び込んできた。
俺の首にまかれる細い腕は、本日一番の締め付けを見せている。
コミュ障で、話下手で、ひとと目を合わすこともできなくて、相手の気持ちがわからない俺だけど、この時だけは、
「アーシュ……」
「おじちゃん……」
一緒にくるか?
問いの答えは、聞かなくてもわかった。