第12話 死神と呼ばれた傭兵
その男の名は、マフレズといった。
近隣諸国にその名を轟かせた傭兵団、『飢竜の咢団』の隊長だった男だ。
王都のスラムで生まれ育ったマフレズは、5歳で盗みを覚え、7歳で殺しを覚え、10歳になる頃には賞金首となっていた。
弱者を嬲り殺すのが好きだった。
強者をそのプライドごと叩き潰すのはもっと好きだった。
そんなマフレズが、人を――強者を殺してカネを貰える傭兵になったのは必然といえよう。
戦争を理由に、敵国の村をいくつも焼いた。
当然略奪だってしたし、殺しもした。
気に食わないという理由だけで、依頼主の貴族をも殺したことがあった。
内なる獣を解放し、暴虐の限りを尽くす。
彼は己の欲望に従い、欲望が命じるままに生きてきたのだ。
戦場での二つ名は『飢竜』。
満たされることを知らない飢えた竜は、己に相対する全てを殺してきた。
殺して、殺して、殺して、殺しつくして、
犯して、犯して、犯して、犯しつくして、
奪って、奪って、奪って、奪っいつくして、
気に食わない存在を全て蹂躙して今日まで生きてきたのだ。
だからだろう。
戦争が終わり欲望を解放できる戦場がなくなれば、今度は野盗となって奪い殺し続けた。
配下の者はみな傭兵のころから従ってきた者たちばかり。
数多の戦場で恐れられてきた『飢竜の咢団』が野盗になったのだ。
はじめから、そんじょそこらの騎士団如きが敵う相手ではなかったのだ。
いまマフレズの目の前に這いつくばっているのは、この国で最も名の知れた騎士、剣姫。
剣姫は血を流している足を手で押さえながら、悔しそうにマフレズを睨みつけている。
気丈なことだ。
「あーあ、つまらねぇな。高名な剣姫さまっつったってよぉ、戦場を――『本当の殺し合い』を知らなきゃこの程度かよぉ」
王国五剣の一人にも数えられる剣姫を、マフレズは実力の半分も出さずに打ち負かしてみせた。
当然だ、とマフレズは考える。
――俺が戦場で何度命のやり取りをしたと思っている。騎士如きが俺に敵うものかよ。
「くそ……つまらねぇつまらねぇ。ほんっとつまらねぇ! こんなのが王国五剣の一人だぁ? この程度なら残りの四人もぶっ殺してやろうかねぇ」
マフレズは剣の腹で肩をトントンと叩いた。
そんなマフレズに、小男が近づいていく。
「へっへっへ……剣姫なんて呼ばれてても、頭にとっちゃ準備運動にもなりやせんでしたね?」
手下の小男が揉み手をしながら言ってくる。
こいつは弱っちい――まあ、俺と比べりゃ全員弱っちいが、頭はそれなりに切れる奴だ。
特に捕虜を拷問させれば、よくそんな拷問の仕方を思いつくなと舌を巻くほどだ。
「頭、この剣姫はここらの領主の娘だそうです。奴隷商に売っちまうより、身代金をがっぽり頂いちまった方がカネになるんじゃないですかね?」
「ふむ。お前が言うならそっちがいいんだろうな」
「へい! あっしみたいな男の言葉を聞き入れてくれるなんて……さすがあっしらの頭でさぁ!」
「なーに、お前を信用しているだけだよ。じゃあ身代金を貰うとするか。剣姫さまもお家に帰れそうでよかったなぁ」
マフレズが剣姫に視線を送る。
剣姫は悔しそうに眼を伏せた。
「頭! その時はぜひあっしに領主と交渉させてくだせぇ。ため込んでるカネを全部吐き出させてみせますぜ」
「領主のカネを全部だぁ? ……いったいどうやるつもりだ?」
「剣姫の体の部位にそれぞれ身代金をつけてやるんですよ。右腕なら金貨1000枚。右足なら2000枚って」
「……ぷっ……ぷふふ……がはははははっ! そりゃいいな。五体満足で返して欲しかったらアリ金全部よこせってわけか?」
「この剣姫って女は民からも慕われてるそうですから、領内の住民全員からカネを巻き上げてやりやしょうよ!」
「よくもそんなヒデェことが思いつくもんだ。よし! 交渉はお前に任せるぜ」
「ありがとうございます! それで……その……」
「ぁん? ああ、その女が欲しいのか」
「へい! 足の傷口が開かないようにしますから……いいっすかねぇ?」
「そうだな……」
マフレズは考える。
このずるがしこい小男なら、他の連中と違って犯すことに夢中で剣姫を殺してしまうことはないだろう。
なら、くれてやってもいいか。
「わかった。いいだろう」
「本当で――」
「ただし! ……ただし、俺が愉しんでからだ。いいな?」
「へい! そいつはもちろん!」
「よし。なら誰か回復薬を持ってきてこの女に飲ませろ。傷口の血が止まったらまず俺が味見してやる。初物の味をなぁ」
そこかしこから下卑た笑い声があがった。
すぐに男の一人が液体の入った小瓶を持ってくる。
役に立てば自分もご相伴にあずかれるとでも思ったのだろう。
男は剣姫の口を開かせ、無理やり飲ませようと試みる。
しかし激しく抵抗され、逆に指を噛み千切られていた。
指をおさえ転がりまわる男を見て、また笑い声が起きる。
飢竜の咢団にとって、傭兵時代からの変わらぬ風景だった。
「きゃっへへへっ!」
小男が嗤う。
「がっはっはっはっは!」
マフレズも嗤う。
そんな時だった。
「……ん?」
テーブルに置かれた酒瓶を取ろうとしたマフレズの手が止まる。
「……うちにあんな奴いたか?」
マフレズの視界に、見知らぬ男が立っていた。
飢竜の咢団は約300人。それだけいれば憶えのない顔もちらほらといる。
マフレズは最初、その男もそんな連中の一人なのだろうと思った。
だが違った。
なぜなら奇妙な男だったからだ。
まず酒を飲んだ様子がないし、なにより小奇麗な格好をしていた。
傭兵時代から野盗となった今になっても、団に身だしなみを気にするようなやつはひとりもいない。
誰も顔や体を洗わないから常に悪臭を発し、洗濯もしないからいつだって服は泥や返り血で汚れている。
なのにその男は汚れていなかった。
まるで街中からやってきたかのようだった。
汚い奴しかいない飢竜の咢団の中にいれば、当然目に付く。
腰に二本の剣を差した男は、先ほどマフレズが投げ捨てたガラクタを拾う。
「…………な」
男が何事か呟いた。
「ぁん?」
「……と言ったな」
「はぁぁぁ? なんだテメェ。何言ってるか聞こえねぇよ!」
周囲にいた男たちは、頭目であるマフレズが怒声を上げたことによってその男の存在に気づいた。
「誰だアイツ?」「どこの班のヤツだ? ボスを怒らせんなよなぁ」「あんなヤツいたか?」「酔っぱらってんじゃねぇか」「あーあー、頭を怒らせちまった。死んだわアイツ」
あちこちで声があがり、視線が男に集まっていく。
マフレズは酒瓶を掴み、男に向かって投げつける。
それなりの速さだったが、男は軽く避けてみせた。
「チッ……なに避けてんだテメェ。誰が避けていいっつったよ」
マフレズは椅子を蹴倒して立ち上がり、男を睨みつけた。
殺気を隠そうともしない。
戦場で数多の戦士を震え上がらせた殺気だ。
しかし男は平然と立っているではないか。
「…………お前、この首飾りを『ガラクタ』と言ったな」
今度はハッキリと聞こえた。
男が手に持つのは、マフレズが乗合馬車を襲い、幼い娘から奪ったものだ。
「……ククク、ああ言ったぜ。そいつはクソガキから奪ったガラクタ――ゴミクズだよぉ」
傭兵のころから付き従う手下共は気づいた。
――マフレズの嗤い方が変わった。あの嗤い方は相手を嬲り殺すときのものだ。
「そんなゴミが欲しいのかぁ? いいぜ。くれてやるよ。ゴミみたいなお前にはピッタリなガラクタだぜぇ」
「…………」
「チッ、なんか喋れってんだ。この根暗野郎が」
マフレズが腰から下げた剣に手をかける。
そんな時だ。
「頭、ソイツはおれに殺らせてくれよ」
ひとりの男が進み出てきた。
片手斧を持つ男が、根暗野郎の成敗に名乗りをあげたのだ。
「エリクか……ふん。いいだろう、その根暗野郎をぶっ殺してやんな」
「任せてくれ!」
エリクと呼ばれた男が根暗野郎の前に立つ。
周囲の男たちから再び歓声が上がった。
エリクは巨漢の戦士だ。
事実、根暗野郎より頭二つ分は大きい。
戦闘において体の大きさの差とは、すなわち戦闘能力の差でもある。
基本的には大きい方が強いのだ。
エリクが本気を出せば、根暗野郎なんて数秒で殺されるだろう。
そんなことは誰もがわかっている。
だからこそ飢竜の咢団の男たちは、エリクがどうやって根暗野郎を殺すのかが楽しみだった。
きっとマフレズ好みの殺し方をするに違いない。
酒だ。酒を持ってこい。
赤い血が噴きあがるのを見ながら、血のように赤いワインを飲むのだ。
飢竜の咢団にとってエリクと根暗野郎との果たし合いなんか、ただの余興でしかないかった。
仲間からのはやし立てるような声援を受け、エリクは腕をまくる。
右手に持った片手斧を、ぶおんぶおんと勢いよく振り回しながら根暗野郎に近づいていき――
「そうらぁ! まずは腕を叩き落」
その首が刎ね飛んだ。
エリクは――エリクだったモノは、首からワインのように赤い血を噴き出しながらどうと倒れた。
沈黙が場を支配する。
しーんと静まり返るなか、最初に声をあげたのは誰だったか。
「よくもダチのエリクを!! 次はオラが相手だ! ぶっこ――」
根暗野郎に掴みかかろうとした男の首が刎ね飛んだ。
「テメェ何を――」
剣を抜こうとした男の首が刎ね飛んだ。
三人の首が宙に舞い、飢竜の咢団はやっと目の前の男が脅威だと理解した。
なぜなら抜剣も納剣も見えない速度で行われたからだ。
達人、手下共の頭にその言葉が思い浮かぶ。
「…………」
根暗野郎が背中に差していた二つの剣をゆっくりと抜いた。
右手に紅い剣。
左手に黒い剣。
どちらも見たことがない金属でできた剣だ。
「囲んで殺せ!」
マフレズが叫ぶ。
数多の戦場で戦果をあげた飢竜の咢団だ。
手下共の反応は早かった。
酒を投げ捨て、代わりに武器を拾う。
根暗野郎を囲み、男たちが得物を突き立てようとして――
その首が刎ね飛んだ。
「油断するな! そいつできるぞ!!」
マフレズが叫び、
「「「応っ!!」」」
飢竜の咢団が応える。
――十の首が刎ね飛んだ。
「槍だ! 槍で突け!!」
マフレズが叫ぶ。
――十の首が刎ね飛んだ。
「弓を使え! 狙いなんざどこでもいい! 当たれば動きが鈍る!!」
マフレズが叫ぶ。
――十の首が刎ね飛んだ。
男たちが根暗野郎に向かってがむしゃらに突撃していく。
――そして十の首が刎ね飛んだ。
根暗野郎は刃圏の内にある首の尽く刎ね飛ばし、また、その刃圏は途方もなく広かった。
「テメェは……まさか……」
マフレズの背中を冷たい汗が伝う。
紅と黒、二振りの剣を使う剣士。
マフレズはその剣士をやっと思いだした。
「そんな……まさか……お、『お前』……は……」
戦場で最も恐れられた傭兵がいた。
終の双剣。
千人斬り。
城喰い。
皆殺しの魔法使い。
戦神。
黄泉堕とし。
その傭兵の二つ名は数多くある。
だが、最も多く呼ばれたのは――
「死神……か?」
マフレズの呟きに、ぴくりと死神が反応する。
ほんの僅か。瞬きにも満たない刹那の反応だった。
しかし、それをマフレズは見逃さなかった。
「本物の……死神……」
冗談じゃない。冗談じゃないとマフレズは思った。
マフレズは戦いが好きだ。
弱者を嬲るのが好きだ。
強者を真正面から打ち破るのはもっと好きだ。
でもそれは、相手が人間だった場合の話だ。
死神は違う。
あんなものは違う。
アレが人間であってはいけないのだ。
マフレズはかつて、戦場で一度だけ死神を見たことがあった。
言葉に出来ないほどの強さだった。
アレが味方であったことを人生最大の幸運だと確信した。
死神が戦場を進むだけで、近くにある命が無造作に刈り取られていった。
二十倍の戦力差なんて、死神の前ではあってないようなものだ。
勝利したのに味方の誰一人として勝鬨をあげなかった。
それは凍りつくような冷たい勝利だったからだ。
味方の誰もが、ただただ死神が味方だったことに安堵し、その剣の先に己がいないことを神々に感謝した。
それが――
それなのに――
「は……はは……。ははは………」
いまその双剣は、自分に向けられているではないか。
こんなの、笑うしかないではないか。
マフレズの頭の中に戦うなんて選択肢はなかった。
手下共もほとんどが死に、残りもどこかへと逃げて行ってしまった。
「な、なぁ『死神』。少し俺の話を聞い――」
「……銅貨二枚だったらしい」
「くれ……あ? 銅貨? か、カネか? カネが欲しいのか? カネならいくらでも――」
「……この首飾りは、銅貨二枚だったらしい」
「首飾り? なにを言って……」
「冥府の番人にこう言うといい。『俺たちの命は銅貨二枚にも及ばなかった』とな」
「待ってくれ! カネならあるんだ! 欲しいならいく」
――そして、最後の首が刎ね飛んだ。
首が地面に落ちる。
ぽんぽんと地面を弾み、少しだけ転がって止まる。
虫の音が聴こえた。
静寂の中、虫の音が奏で続けられる。
そんなにも静かな夜に、死神はポツリと。
「……………………また、やっちまった」