狂気の養護教諭
木々が燃え上がり、そこに住む動物達が逃げ惑う。
そんな世界で少年はただ立っていた。
「ここは……どこ…だ?」
逃げ場など既に火の海に飲まれており、この状況を打破する物が都合よく存在するわけではない。
火は徐々に少年に近づき、少年が物言わぬ灰になるのは時間の問題だった。
「……なんで、こんなことに………」
少年の記憶は燃え盛る木々のように朽ち果て、自身が何故こんな状況になったか思い出せない。
「せめて……死ぬ前に」
火は少年の足元まで迫る。
あと数十秒で少年の体は紅蓮の炎に飲まれることだろう。
「……女の子とエロいことしたかった……!!」
欲望を口にしたことを合図にしたかのように炎が少年を包み込む。
痛みのあまり声を出そうとするも、口を開ければ炎が入り込み喉を焼き焦がす。
「…!……っ!……っ…!!」
炎に侵食された口では言葉を発することも出来ない。
少年は声にならない悲鳴を上げる。
そのまま少年の体は崩れ落ち、物言わぬ灰となった。
「ひぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
情けない悲鳴をあげて少年は目を覚ます。
少年は慌てて自分の体を見たが、その体に燃えたあとは全くなかった。
「……えっ?……あ……ん?」
「目が覚めたか、少年」
状況が飲み込めないといった様子の少年に、口元にメロンパンと思われる食べカスをつけた紅羽が話しかける。
「えーっと…………?」
「君は十時間程寝てたんだ、私の薬のおかげでな」
紅羽の言葉を聞き少年の記憶が蘇ってくる。
自分が紅羽に暴言を吐き、その仕返しに紅羽が少年に薬を注入した事実を。
「本当は三時間程眠らせて八時間程の体の痺れで苦しめてやるはずが……まったく、痺れ薬の効力が切れるまで眠るなんて計算外だぞ、少年」
紅羽の恐ろしい独り言を聞きつつ、少年は携帯を取り出した。
画面に表示される時間は既に午後8時を示しており、生徒達は全員帰宅しているはずの時間だった。
「はぁ……ってことは一日眠らされてたんすか……」
「君が私をチビと言ったからだ。次同じことを言えば瀕死まで追い込んでから死ぬまで放置するぞ」
「………………」
「そして君が死ぬまで、そして死んでから埋葬される光景を全て録画してネットに流してやる」
少年は痛感した、目の前の教師という肩書きの悪魔に二度と逆らわないと。
だからこそ次の瞬間、失礼極まりない発言と共に現れた男の正気を疑った。
「紅羽ちゃーん!今日も小さくてサディスティックで可愛いな!結婚しよう、そうしよう!」
少年は聞こえてきた発言に驚き、さらにその相手を見て驚いた。
指輪にネックレス、そして茶髪という若者に多く見られるルックスである担任の木宮景がそこに居たからだ。
「やぁ、来たのか景君」
だが紅羽は怒ることなく景に向かって歩き、彼の目の前に立つと平然と果物ナイフを取り出す。
そして当たり前のように景の太ももにそれを突き出した。
「うおっと危ない!…ダメだぜ紅羽ちゃん、女の子はナイフより花が似合うぜ?」
「あぁすまない、つい殺意が湧いて君を殺しかけたよ。この果物ナイフには強力な毒が塗ってあったというのにね、ふふふ」
和やかに会話をする景と紅羽。
景は純粋に楽しそうだったが、紅羽は怒りを多分に含んだ真っ黒な瞳で無理やり笑みを作っているようだった。
「…おっと忘れてた、お前に用があって来たんだった」
景は紅羽に背を向けて少年に近づいた。
その背後から紅羽が景に向かって果物ナイフを向けていたが、少年は見て見ぬ振りをする。
「えっとな?今日は部活を決めたんだが、お前は何部にするよ?」
「え、えーっと……」
少年は唐突な質問に悩んだ。
景の後ろから果物ナイフを持った紅羽が近づいて来ていたが必死に見て見ぬ振りをする。
「人数少ないし写真部に入ってもらいたいんだよな、俺ちゃんが顧問してる部活なんだけど」
「写真部……うーん……」
少年には入りたい部活はなかったが、それでもどの部活に入るかを悩んでいた。
そんな少年に景は意味ありげな発言をする。
「写真部になると部活動という名目で自由に写真が撮れるぞ」
その言葉を聞いた瞬間、少年はその意味を理解する。
自由に写真が撮れると言うことは写真を撮るふりをして女子生徒を撮影できる事を意味しているからだ。
「少年、写真部は……」
「決めました、写真部入ります」
少し驚いた様子の紅羽の声が聞こえたが、少年は構わず景にそう告げた。
紅羽は小さくため息をつき、景は嬉しそうにガッツポーズをした。
「よっしゃ!なら入部届けにサインしてくれ」
「はいはーい……っと」
少年は渡された入部届けに部活名と自分の名前を書いて景に手渡した。
「よっしゃ!言い忘れたけど転部は不可能だからな、卒業するまでお前は写真部だからなー?」
意味ありげな様子で景は嬉しそうに微笑みながら保健室を後にした。
「はぁ……君は実にバカだな、少年」
「え?なんでですか?」
景が立ち去った保健室に紅羽の大きなため息が響く。
その意味が分からなかった少年が質問すると、紅羽は面倒そうに答えた。
「写真部は…この前話した来栖芽茶が居る部活だぞ」
「あっ…………」
少年は息を飲む。
完全に忘れていた事実を目の当たりにし、写真部に入ると決めた数分前の自分を激しく後悔する。
「やれやれ、君の部活は地獄となったな」
「は、はは………」
紅羽の言葉に少年は言い返せず、そのまま荷造りをして帰路についた。
だが少年の足取りは非常に重い。
「やべぇ……学校一の問題児の部活なんて……女子ならいいんだけどなぁ…………ん?」
少年はブツブツと呟く。
しかしその時、少年の後ろからパトカーが近づいて来た。
少年は慌てて道路の端に避けると、パトカーが通り過ぎるのを待った。
しかしパトカーは少年の目の前で停車し、中から二人の警察官が出てくる。
「警察だ、君に聞きたいことがある」
「えっ……え?まっ…待って!待ってください!俺は犯罪してませんから!マジで!マジでマジで!」
まさか警察が話しかけてくると思っていなかった少年は慌てて弁明を始めた。
警察はそんな少年を見て少し困った様子で口を開く。
「いや、君を逮捕しに来たわけではない。……この辺りで不審な人物を見なかったか?」
「えぇ?なんだ良かった…………えっと、不審な人物なんて見てないです」
自分を逮捕しに来たわけではないと知り少年は安堵する。
少年の返答を聞いた警察は残念そうに礼を口にした。
「そうか…答えてくれてありがとう、不審な人物を見たら警察に通報してほしい」
警察はそういうと困惑した様子の少年を残しパトカーに乗り去っていった。
少年は意味が分からないといった様子で口を開く。
「不審な人物なんて居ない…よな?…待て待て、殺人鬼とかなら怖いんだけど……」
少年はそう呟きつつ家に帰った。
そのまま風呂に入り食事を取ってベッドに入る。
だが少年の頭の中には認めたくない考察が浮かんでいた。
「来栖先輩は多くの問題を起こしているらしい……もしかして、警察が探してた不審者ってこの人の事じゃ……?」
少年はそう言い、乾いた笑いで自分の考えを否定した。
「ははっ……そんなわけないか、考えすぎだな。……フラグとかじゃないよな、多分……」
そう言うと少年は目を閉じ、心に恐怖を残しながら眠りについた。