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第6話 野菜プラント内の異物

 矢内原が目的の野菜プラントに到着したのは午後9時すぎだった。通報者の業務が終了する時刻に合わせて訪問したのでこんな時間になってしまったのだ。

 日本アグリの第5野菜プラントは都内K区の巨大団地の跡地に建設された8階建てビル12棟で構成されていた。それぞれの建物は太陽光を取り入れる為の可変式ミラー窓が外壁にびっしり並んでいるのが特徴的だ。このようなビルの内部で野菜が大量生産されているとはとても思えない。しかし、実際は最新技術を惜しげもなく投入して国産の野菜を安定供給している。例えば、太陽の動きに合わせて動くミラー窓、赤色LEDで作物の成長を促し青色LEDで形や大きさをコントロールする照明、栄養素を含んだ水の供給体制、自動収穫システム、二酸化炭素や窒素の空気コントロール等、これらをすべて機械で管理することで世界一効率的な野菜の生産を実現しているのだ。また、『シルバー』と呼ばれる時間給の高齢者を採用することで人的コストを抑えることにも成功している。

 矢内原と井深は第三の事件が発生した第7ビルの正面で車を降りて出入口に向かう。まだ9時過ぎだというのに人の姿は皆無だった。

 井深が暗闇にそびえる黒いビルを見上げながら首を傾げる。

「にしても何で犯人はこんな場所を選んだんスかね?」

 小さな青いライトが建物の輪郭をなぞっているがミラー窓が敷き詰められた外壁は夜の景色を淡々と映すだけで、まるで闇の領域を広げようとしているみたいに見える。

 矢内原がぐるりと周囲を見回していう。

「夜間は無人になるからだろう。それに防犯カメラも意外に少ない」

「確かに、これだけの敷地にビルと芝生しか無いですもんねぇ」

 井深が言う通り、だだっ広い敷地内に立ち並ぶビルは一定の間隔を保っていて隣のビルまでは少し離れている。しかも地面の上には何の構造物も無いので、ひとつひとつのビルは孤立しているようにみえる。そのせいで目の前にぽつんと立つ黒いビルはパーティで仲間外れにされたタキシードの男を連想させた。

 井深が独り言のようにいう。

「でも、犯人は何でわざわざビルの中に入ったんスかね? これだけ人が居なけりゃ、その辺で撃っても良かったのに」

 それは当初から指摘されていた疑問だった。一件目の病院屋上と二件目のスクラップ工場は比較的誰でも入れる場所であったのに対して、野菜プラント内はそう簡単には侵入できない。作っている物が野菜なので通常の工場等に比べると管理レベルは低いものの、夜間は当然に施錠されている。しかしながら、この電子錠がこじ開けられた形跡がないことから関係者数名が容疑者として挙げられてしまった。それら容疑者は結果として疑いは晴れたものの、なぜ犯人がこのビルに侵入したかは不明なままだ。一方で監視カメラの画像は回収できていない。ここの監視カメラは珍しく記録媒体を使う旧式のもので、犯人にそれを持ち去られてしまったからだ。


 二人を出入口で迎えてくれたのはこのビルの工場長だった。彼は矢内原の顔をみるなり帽子を取って頭を下げた。

「こんな時間に申し訳ありません」

「いえ。こちらこそお疲れのところを申し訳ありません」と、矢内原も頭を下げる。

「ご足労頂いて恐縮です。映像だけでもと思ったのですが、矢内原さんには実際に来て頂いた方が良いと思いまして」

 そういって工場長は硬い表情を見せる。それを見て矢内原が頷く。

「恐れ入ります。勿論、そのつもりで来ました」

 矢内原がこの現場に入るのは三度目だった。前の現場検証でも工場長が案内役を務めてくれたのだが、彼は矢内原のことを覚えていてくれたようだ。

「さっそくですが参りましょう」

 工場長に促されて早速、現場に向かうことにする。


 入口を入ってすぐ正面の壁にちょうど人一人が通れるぐらいの穴が空いている。台形型にくり抜かれた穴はゲートになっていて、空港で搭乗手続きをとる時のようにここを通過しないと奥には進めないようになっていた。

「少々お待ちください」と、工場長がゲート横のパネルに触れる。すると、ゲートの上部に緑のランプが点灯した。

「では参りましょうか」

 そう言って先に工場長が中に入った。矢内原と井深が続いてゲートをくぐる。内部はトンネルのようになっていて、その中を一列でゆっくり歩いていく。はじめに細かいエアが周囲から吹き出し、同時に青白い光が四方八方から照射される。続いてミストが全身を覆い、赤外線がそれを乾かす。そのままトンネルを抜けるとコーティングが完了する。このミストは雑菌を閉じ込める効果があるので防護服のような重装備をする必要は無いのだ。

 ゲートを抜け、エレベーターで二階に上がった。

 二階の廊下は真っ直ぐに遠くまで伸びている。廊下の右手が南の方向になっていて、野菜の栽培部屋が一列に並ぶ構造になっている。トンネルのような廊下が延々と続く様は殺風景というより無機質な印象を受ける。

 工場長は無言で一番手前の部屋に二人を案内する。工場長が明かりを点けると室内に畑が現れた。

 井深が感嘆の声をあげる。

「うぇ! シュールっスね!」

 確かに真っ白で無機質な部屋の真ん中に、こげ茶色の畑が床の大部分を占めるのは異様な光景だ。畑の大きさは縦20メートル、横10メートルといったところだ。ちょうど小ぶりなプールを埋め立てたみたいに床から低くなっている部分に土が敷き詰められ、成形された土手がまるで板チョコレートのように綺麗に並んでいる。

 畑を見下ろしながら床の部分を時計回りに進む。

 井深が例によってウェアラブル端末のファントムを見ながら興奮する。

「うおっ! ここですね! ああ、こりゃ酷いや」

 彼は三番目の被害者である吹石豪首領ふきいし ごーどんの遺体があった場所でキョロキョロしながら「凄え!」を連発する。それを見て工場長が不思議そうな顔で矢内原の顔を見た。

 矢内原が申し訳なさそうに説明する。

「遺体発見当時の画像をファントムで見ているんですよ」

 それを聞いて工場長が「ああ……」と納得する。

 井深は床のヘリに立ってみたりショットガンを撃つ真似をしてみたり独り芝居に余念がない。それを放置して矢内原が本題を切り出す。

「見て欲しいものがあるとのことでしたが?」

「ええ。実際に見て頂いた方がよろしいかと考えまして」

 工場長はそう言って最も床に近い土手のある部分を示した。事件後に栽培中の大根はいったん廃棄してしまったので土手の部分には何も栽培されていない。こげ茶色の土が盛り上がっているだけのようにしか見えない。工場長は床の端っこで屈み込み、ある箇所を指差した。

「芽が出ているのが判りますか?」

 矢内原は工場長の隣でしゃがんでみる。そして彼の示した箇所を注視した。

「判ります。芽、ですか?」

 矢内原が首を伸ばして発芽を観察する。

 黄緑色の茎のようなものが二股に分岐しながら地中から小さな芽を出している。それは小さいながら、まるで確率の勉強で習った樹形図のような形状をしていた。

 工場長がゆっくり立ち上がりながら言う。

「検索してみましたところシダ科の『マツバラン』ではないかと」

「シダ科……」 

 矢内原は端末を取り出して問題の芽を撮影する。画像検索をかけると確かに『マツバラン』と一致する。だが、その解説文を読んで疑問をもった。

「結構、繁殖力はあるみたいですが、暖かい地方に生息するもののようですね。この辺では珍しいのでは?」

 矢内原の問いに工場長が真剣な顔で頷く。

「おっしゃる通りです。ただ、問題はこの場所にそんなものが紛れ込んでいるということなんです。先程ここに入る際に洗浄をお願いしましたよね? あれは雑菌だけでなく種子や胞子の類も入り込まないようにする為なんです。それなのに、こんな異物が紛れ込んでいたということは……」

 工場長の言わんとするところは理解できた。

「被害者もしくは犯人が持ち込んだ。つまり、そういうことですね?」

 矢内原の言葉に工場長が神妙にうなずく。

「はい。恐らくその可能性が高いのではないかと」

「ありがとうございます。これは重要な手掛かりになると思われます」

 確かに厳密な管理を行っている密閉された野菜プラント内に異物が混じることは考えにくい。となるとゲートで洗浄とコーティングを行わなかった人間、つまり被害者と犯人が異物を持ち込んだということは容易に推定される。

「へえ、面白いスねぇ」と、井深が急に後ろで声を出したので二人が驚いて振り返る。いつの間にか井深が寄ってきていたのだ。

「マツバランって根も葉も無い茎だけの植物なんスね。根も葉も無いとか笑える~」

 どうやら井深も検索をしたらしい。最も事の重大性を理解しているかは怪しいものだ。

 矢内原が立ち上がって井深に指示する。

「井深。被害者の衣類、特にズボンの付着物を再鑑定するよう要請してくれ。大至急だ」

「りょ、了解ッス!」

 

   *  *   *


 結局、野菜プラントを出たのは日付が変わりかけた時間になってしまった。

 被害者達が侵入したと思われる経路を何度も往復したり、前回前々回の捜査資料を検証しながら現場付近を歩き回ったり、納得するまで現場に居残るのは矢内原の悪い癖だった。

 自動運転の車で警視庁に帰るまでの間、矢内原は今夜得た情報の捜査ファイルへの登録と他の捜査員達の進捗状況チェックに余念が無かった。

 その中に気になる情報がアップされていることに気付いた矢内原が声を出す。

「お? 身元が判明したようだな」

 隣でウトウトしていた井深がビクンとして目を開ける。

「え? な、なんスか?」

「四人目の被害者の身元が割れたそうだ……なるほど。そういうことか」

 井深は右手で目をこすりながら左手の指を宙で盛んに動かす。

「ホントだ。この前、公園で見つかった四件目ッスね」

「さっきの話。なぜ犯人はあの野菜プラントを現場に選んだか。その答えが出たな」

 矢内原に言われて井深が妙な顔をする。そしてしばらく目をギョロギョロさせて思わず声を上げた。

「ああっ! 被害者の名前は高岡光たかおか らいと21歳。勤務先は……おお! 日本アグリ本社総務部!」

 井深が驚いて矢内原の顔を見る。

「そういうことだ」と、矢内原が頷く。

「なるほどッス! 本社の人間でしかも総務部ならあのビルに入れるかもしれないッスね!」

「ああ。マスターキイのような物を使えば可能だろう。だがそうなると問題があるな……」

 そういって矢内原が顎に手をやって黙り込んでしまった。

 井深がそわそわする。

「なんスか? 良かったんじゃないスか? これで二つの事件が繋がったんスから」

「そういうわけにはいかない。もし犯人が四番目の犠牲者である高岡のマスターキイを使っていたとすると、三番目の事件があった時には既に拘束されていたことになる」

「あ! そういえばそうッスね!」

「公園で発見された高岡の所持品の中にマスターキイらしきものは無かった。明日、日本アグリの総務に問い合わせてみる必要があるな」

 3つの事件の共通項は被害者が死体となって発見される前の一週間の行方が不明であることだ。唯一、最初の被害者である須田啓介だけは失踪した当日に殺されている。そうなると野菜プラントの殺人事件発生の時点で高岡光は行方不明になっていた可能性がある。

「高岡光の足取りを調査するのは明日以降か……」

 矢内原はそれぞれの事件の繋がりについて思いを馳せた。

 最初の事件。大手商社の新入社員である須田啓介の遺体が病院の屋上で発見される。二番目の事件。出版社に勤める茗荷谷佳代みょうがだに かよの遺体が電化製品のスクラップ工場で発見される。三番目の事件。フリーターの吹石豪首領の遺体が先程の野菜プラント内で発見。そして、四件目が日本アグリに勤める高岡光の遺体が公園内で発見された。事件発生の間隔は一定ではない。それぞれ9月16日、9月25日、10月7日、10月13日が発生日となっていた。いずれの事件も被害者は至近距離で頭をショットガンで撃ち抜かれている。そして被害者に共通して言えることは皆、若いということだ。

 矢内原が考え事をしていると井深が興奮したように「せ、せ、先輩!」と、矢内原の袖を引っ張った。

「何だ? まだ元気があるじゃないか。眠ってても良かったのに」

「大変ッス! いやマジで! こりゃホントかいな」

「どうした?」

 矢内原が怪訝そうに井深の顔を見る。すると彼は鼻を膨らませながら答えた。

「池袋で銃撃戦ですって! 発生は23時26分!」

「なんだ。また発砲事件か。別に珍しくもないだろう」

「そ、それが……片方の撃った弾を検出中らしいんスけど。例のショットガンのもので間違いないってことらしいッスよ!」

「なんだと?」

 矢内原が慌てて捜査ファイルの画面を閉じて、別なページを手繰る。そしてエリアを池袋に指定して新着情報に目を走らせる。

「これか!」

 捜査ファイルでは池袋の現場検証の状況がライブで見ることができる。今のところ上がってきている情報は少ないが、確かに銃の弾痕が今回の連続殺人事件で使用されたショットガンと同一であると指摘されている。

 井深が興奮気味に尋ねる。

「これってヘッド・シューターが池袋に現れたってことッスよね?」

「ヘッド・シューター?」

「巷ではそう呼ばれてるッス。今回の事件の犯人のことッスよ」

「何だそれは。まあ、なんと呼ぼうが勝手だが……」

 もし、池袋の発砲事件におけるショットガンが連続殺人犯のものと一致するなら、犯人は池袋で次の被害者を狙ったと考えられる。

 矢内原は歯軋りした。今回は犠牲者が出ていないものの、事件はまだ続いていることを改めて思い知らされたからだ。


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