第2話 足りないパーツ
最初の事件現場となった病院の屋上は未だ立ち入り禁止となっていた。
何もなければこの屋上庭園は入院患者達の憩いの場になっていたはずだ。金網のフェンスは高く設けられているが開放的な空間になっている。プランターの緑がふんだんに設置されていて、ひんやりとした朝風が僅かに変色しかかった葉を揺らせていた。二十程のベンチがL字型に並んでいる。その中のひとつに座って矢内原は考え事をしていた。
都内で発生した四件の殺人事件は最初の事件から一か月近くが経過したが、それぞれの被害者に接点が無く、警察の捜査は行き詰っていた。そんな時には『原点に還る』というのが矢内原のポリシーだった。病院に人が集まってくるのはもう少し後なので辺りは静まり返っている。
後輩の井深玲人が矢内原の周りをチョロチョロと動き回っている。彼は、まるで犬が一息ついている飼い主の周りを行ったり来たりするように落ち着きがなく、遺体が発見された場所、すなわち矢内原の右斜め前のベンチ付近を何度も眺めては、ちょうど芸術家がモデルとなった対象物を吟味する時のような素振りをみせた。勿論、そこに遺体の痕跡はないのだが、彼はウェアラブル端末でファントム(幻影。実体のない映像)として遺体を見ているのだろう。
矢内原が呆れたような口調で尋ねる。
「よく目が疲れないな」
井深は目尻に沢山の皺を寄せてそれに答える。
「全然。平気ッスよ」
「俺は駄目だな。目に入れる奴は」
「慣れッスよ。慣れ」
井深は両目にコンタクト型の端末を入れている。耳の上に引っ掛ける形で装着するウェアラブル端末の本体はセンサー部が彼のこめかみに接触していて、そこから脳波を読み取って操作されている。いわゆる『脳波感知タイプ』だ。
矢内原は井深の視線の先を眺める。
「どういう風に見えてるんだ?」
「遺体がそこに転がってるみたいに見えるッス。EPですから」
EPとはempty・pileの略で実体の無いものを重ねるという意味から、ユーザーの視覚に他の映像を被せる技術全般を指している。この技術のもとは三十年前に開発されたプロジェクションマッピングという実体に画像を投射する仕組みだ。EPの場合は目から入ってくる実体の画像に再生画像を挿し込むことから投射する対象物は不要となり、その分、実体の無い映像であるファントムがリアルに存在しているような錯覚を使用者に与えるのだ。これが発売された当時は『仮想現実』と騒がれたものだがその後、二次元キャラクターやペットなどをパートナーにして一緒に暮らしたり、遠距離通話中の相手が目の前に居るかのように会話ができたりといったバーチャル体験が定着していった。ただ、ファントムは本人しか見えないのでトラブルも多く、矢内原のように保守的な人間には敬遠されているのも事実だ。
井深が立ち止まったまま諦めたように溜息をついた。
それを見て矢内原が冷静に問う。
「何か分かったか?」
「……いいえ。なーんにも」
そう言って井深はお手上げのポーズをとる。
「なぜ二発撃ったと思う?」
「失敗した……からですかね?」
「妥当な考えだ」
確かに被害者は二度撃たれている。遺体が発見されたのは約一か月前の九月十五日早朝。事件発生時刻は午前四時二八分と把握されている。突然の銃声に驚いて目を覚ました患者も多く、また夜勤の医師や看護師も二度の銃声を聞いている。が、どこで発砲があったのか正確な位置は分からなかったという証言で一致している。それは音響計算アプリ(発砲事件の増加に対応して警察が開発したソフト。ある位置で発生した音が三次元マップ内の別な箇所でどのように聞き取れるかを再現する。現在はコンサート会場の設営などにも応用されている)でも立証されている。その結果、現場である屋上にスタッフが駆けつけたのは五時を過ぎてしまったという。その為、目撃者は皆無といった状況だ。
矢内原は指先で自分の後頭部をノックしながら呟く。
「殺害するのが目的なら一発で十分なはずだ」
「ですよねぇ。至近距離からショットガンでズドンとか即死っしょ」
「それなんだ。一発目を外したのなら分かる。だが、二発とも後頭部に命中しているという検証結果が出ている」
矢内原は端末を広げて捜査ノート(捜査員が捜査情報をインプットして共有する仕組み)を見ながら首を捻った。
「止め、じゃないっすか?」と、井深が軽い調子でいう。
「……そういう見解もあるんだな」
「あるいは脳みそをもっとぶちまけたかったとか。犯人はサイコパスかもしれないッスね」
「そう結論を急ぐな。犯人の行動には必ず何か理由がある」
そこで矢内原はいったん考える仕草をする。そして別な質問を井深にぶつけた。
「なぜ後ろから撃たれたと思う?」
「え? 後ろ?」
「そうだ。被害者は銃口を後ろから突き付けられた状態で撃たれていた」
「ああ、それは……犯人が後ろに張り付いて手を挙げろ! ということじゃないッスか?」
「それにしては妙じゃないか? 被害者はベンチに座った状態で撃たれている」
矢内原の言葉に井深が混乱する。
「え? なんか変ッスかね? 被害者はベンチ、犯人はその後ろに立ってたんでは?」
「だが、銃口は後頭部の斜め下から上に向けられていたみたいだぞ。犯人は、しゃがんで撃ったのか? ベンチの裏で」
「メッチャ小さい犯人……なワケないッスね」
犯人はショットガンを持っていた。恐らく被害者は脅されてここに来たと考えられる。しかし、銃が発射された時のシチュエーションが不自然なように矢内原には思えた。
「どういうやりとりがあったんだろうな。被害者と犯人の間に」
井深は首を竦める。
「さあ? そこまでは考えてなかったッス」
矢内原が指先で眼鏡の位置を直しながらいう。
「それに関して、もうひとつ不可解な点がある」
「な、なんスか? まだ何か……」
「ここが犯行現場だったのが引っ掛かる。この事件が同一犯による連続殺人だと仮定したら、この後の三つと比べて、ここは人が多すぎる。なぜ犯人はこの場所を選んだと思う?」
「そ、それは……なんでですかね?」
何も思いつかないのか井深は質問返しするしかない。矢内原は彼に答えを求めるでもなく半ば独り言のように自らの推理を口にする。
「工場、農場、公園。どれも深夜で人目に付かない場所だ。だが、ここは違う。被害者を銃で脅して連行してくるにはリスクが大きすぎる。だとしたら、ここでなければならない理由が何かあるはずだ。それは何だと思う?」
「ちょっ! 先輩、さっきから教官みたいっすよ? 質問ばっかじゃないっすか」
井深は矢内原の質問攻めに閉口しているようだ。
「考えることに意義がある。来年も受けるんだろう? 選抜試験を」
「そ、そうですけど……」
選抜試験というのは、検挙率の低下を非難され続けてきた警視庁が十年前に導入した特別捜査官の選抜試験のことだ。試験の内容は用意された模擬事件の捜査に参加して洞察力や思考能力を試されるものとなっている。この試験に合格した者は階級に関係なく本庁が介入する難事件で単独捜査を許されるだけでなく、多額の手当がつく。その為、希望者は多いのだが合格率は5%前後の狭き門となっている。また、試験問題は日本ミステリー作家連盟が監修しているので犯人や動機を正確に答えられる者は皆無だ。
「試験対策で推理小説を読み漁るのも結構だが大事なのは日頃の訓練だぞ」
矢内原にそう諭されて井深は口を尖らせる。
「そりゃ先輩は特別ッスよ……でも俺らみたいな凡人は研究するしかないんス」
特別捜査官である矢内原は当然にこの試験にパスしている。しかも一度で合格したにも関わらず強制的に四回も受験させられている。その理由は、矢内原があり得ない数値を叩きだしてしまった為、問題を担当したミステリー作家陣がムキになってしまったからだった。矢内原は犯人とその動機は勿論の事、作家が用意した仕掛けをことごとく見破ってしまった。そのせいで何度も指名されてしまったのだ。
落ち込む井深を見て矢内原が立ち上がる。
「そう凹むな。こういうのは人から教わるものじゃない」
長身の矢内原が立ち上がると背の高くない井深は少年のように見えてしまう。まるでプロのバスケットボール選手と部活に明け暮れる色黒の中学生みたいだ。
矢内原は井深に捜査ファイルを見るように促す。
「被害者のプロフィールを見てみろ。何か気が付かないか?」
言われるままに井深が左手を伸ばして何もない空間で指を躍らせる。彼の目には捜査ファイルの画面が映っているのだ。
「特に何も変わったことは……無いッスね」
目に入れるタイプの端末はファントムと同じ原理で使用者の目の前三十センチほどの位置に平面画像を表示する。それをなぞる感覚で指を動かせば普通の端末画面と同じように操作することができる。
指を動かしていた井深が「あ!」と、声をあげる。
「通院歴があるッス! 医者にかかった年齢はバラバラだけど……みんな脳神経科?」
「そうだ。だが、被害者はここの患者ではなかった。通院していたのも十歳の頃だ」
被害者の須田啓介は十五年前、彼が小学生の頃に名古屋の病院で脳神経科の治療を受けていた。他の被害者も同様に治療を受けた時期も出身地も異なるが、脳に関する何らかの医療措置を受けている。
「偶然ッスかね?」
「いいや。何かある」
「超大発見じゃないッスか! 早速、捜査ファイルに登録しましょうよ」
「待て。焦るな」
「え? でも……」
「まだこれが事件と関係しているかどうかは分からん。もう少し調べてからだな……」
「あれ? 何か科捜研の小池さんが新しい情報をアップしましたよ」
「なに? あいつ、また徹夜してたのか」
科捜研の小池靖は矢内原の同期で有能だが変わり者として有名だった。本職はサルベージ(ネットワーク上の古い情報から目的のものを探し当てる作業)だが、デジタル情報の加工も彼の得意分野のひとつだ。
「これって先輩のリクエストですよね? なに頼んでるんスか」
そういって井深はゲンナリした顔を見せる。
「そうだ。やっと出来たみたいだな。どれ」
矢内原は手元端末を一瞥して「これは……」と、顔を曇らせた。
「グロすぎッス……正直、引きますよ」
死体画像をファントムで見ている井深にそう言われる筋合いは無いが、確かに矢内原のリクエストはちょっと変わっていた。彼は、遺体のバラバラになった頭蓋骨の復元を小池に依頼していたのだ。遺体が発見されたベンチの周辺はスキャンによって血痕や脳組織、骨片等のすべてがデジタル情報化されている。小池はそれを使って復元した頭蓋骨の3Dデータを捜査ファイルにアップしたのだ。
「これが事実だとすると……」と、矢内原が考え込む。
「ねえ先輩? これってどういう意味なんスか?」
井深がもどかしそうに矢内原の顔を覗き込む。
「……骨が足りない」
「え? な、何言ってんスか!」
矢内原が注目したのは左側頭部の黒く表示されている箇所だった。それは良く見ると綺麗な円形をしている。直径は約二センチ。穴、という見方もできる。
矢内原は問題の箇所を拡大して息を飲んだ。
「もしかしたら……井深! すぐに小池を呼んでくれ!」
「え? ここにですか? 今から?」
小池が夜行性だということは井深も知っている。そして根っからの出不精で、研究室に引き篭もっていることも。
「急げ! 俺は先に医務局に行く」
「ちょ、でも来てくれないんじゃ……」
「いいから首に縄をつけてでも引っ張ってこい!」
そう言い残して大股で階段に向かう矢内原の背中を見送りながら井深はため息をついた。
「何が何だか……」
井深には頭蓋骨の情報がこの事件と何の関係があるのか、そして矢内原が何に気付いてそんなに興奮しているのか、さっぱり見当がつかない。彼は肌寒い屋上で途方に暮れるしかなかった。