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第18話 冷たい対峙

 今枝が不敵に笑う。

「余裕だな。銃を向けられているというのに」

 矢内原は表情を変えずに答える。

「……撃たないことは分かっている」

「へえ、その根拠は?」

「メリットが無い。捜査がどこまで進展しているか分からない中では口封じの意味が無いんじゃないか?」

 それを聞いて今枝が口角を上げる。同時に矢内原の口元が緩む。

 今枝は銃を下しながら笑う。

「すまない。試させてもらった。信頼できるかどうかを」

 ハラハラしながら2人のやりとりを見守っていた八神青年が大きく息をつく。井深は放心状態で壁に背を張り付けている。

 矢内原が苦笑いを浮かべる。

「信頼か……変わったテストだな」

 今枝は至極当然のように説明する。

「銃を向けたことは謝る。ただ、このイカれた状況を脱出するのに協力し合えるかどうかが重要だった。それを見誤ったら命に係わるからな」

「なるほど。こんな状況だからね」

 そういって矢内原は首を竦めた。

 今枝は腕組みしながら平然と続ける。

「冷静さが無いとな。このぐらいでジタバタするようならお断りしてたよ。だが、アンタなら大丈夫そうだ」

 矢内原は頭を掻きながら溜息をつく。

「正直、戸惑っている。この状況は想定外だった」

「刑事さんはおっかさん、いや八神桐子を逮捕しに来たんだろう?」

「いや。逮捕にはオランダ当局の協力が必要だ。その前に彼女に接触したかった。この事件は特殊すぎるからね。かくいう君達はなぜ彼女を追ってきた?」

 矢内原の質問には青年が答える。

「妹を連れ戻す為です」

「妹? 確か、八神花梨さんだったね。彼女もここに?」

「はい。母に無理やり連れて来られています」

「そうだったのか。しかし、何のために……」

「母は、ホイヘンス博士に花梨を差し出すつもりなのでしょう。博士の目的はスティモシーバーという装置です」

「なんだって? スティモシーバーか。確か八神宗一郎氏もその名前を口にしていたな。ということは……まさか花梨さんにもそれが?」

「ええ。花梨の脳にもスティモシーバーが埋め込まれています。父の手によって」

 青年の言葉に矢内原の顔色が変わる。

「宗一郎氏の手によって!?」

「酷い話です。自分の娘にそんなものを埋め込むなんて信じられません」

「ちょっと待った」

 そういって矢内原は青年の言葉を遮った。そして少し間を空けて尋ねる。

「宗一郎氏がスティモシーバーを? それは間違いないのかい?」

「ええ。父は密かにスティモシーバーの研究を進めていたのです。ホイヘンス博士にも従事していました」

 青年の言葉に対して矢内原は首を捻る。その表情は何か引っ掛かることがあるとでも言いたそうだ。

 会話が途切れたところで今枝が切り出す。

「そういう訳で、表はあんな調子だから地下から接近しようと考えているんだ」

「はい。この工場は地下が色んな形で繋がっているのです。ですが肝心の構造がよく分からなくて」

 それを聞いて矢内原が頷いた。

「そういうことなら役に立てるかもしれない」

 そう言って矢内原は井深に向かっていう。

「井深。日本に居る小池と連絡を取ってくれ。ここの地図を入手したい」

「ええっ! マジッスか? でも、ここって多分独立システムですよ。外部に繋がる箇所を探さないと……」

 井深がいうようにこの手の工場はネットワークを外部と遮断していることが多い。それは企業秘密の漏えいを防ぐことと外部からの攻撃を受けないようにするためだ。

「危険な任務だが頼む。アクセスポイントを探って何とか連絡するんだ」

「うぃぃッス……」

 矢内原の命令に対して井深のテンションは低い。あまり乗り気ではなさそうだが、それでも井深は部屋の外に出て行った。それを見送ってから矢内原が、ぽつりと言う。

「浩介君。君は宗一郎氏のことをあまり良く思っていないみたいだね」

 青年は矢内原の顔を見て「当然でしょう」と、言い切った。

「花梨にあんなことをしたのです。許せるはずがありません」

「何のためにそんなことをしたのか直接尋ねたことは?」

「ありませんよ。もともと疎遠でしたし、自分は医者になる道を放棄した人間ですから」

 青年はそう言ってから今枝に話した時と同様に脳を剥き出しにされたラットを目の当たりにしてしまった経験について告白した。

 それを聞いて矢内原が質問する。

「なるほど。それは何歳ぐらいの時か覚えているかい?」

「いいえ。記憶がまるで無いのです。研究室で撮った写真はあるのですが」

「写真があるのか。拝見させてもらっていいかい?」

 矢内原にいわれて青年は自分の端末で画像を表示して見せた。それは今枝にも見せたことがある宗一郎の研究室で撮影したものだった。八神宗一郎を含む面々、空気清浄器、観葉植物、ペットボトル、赤い目の白ネズミがそこには写っている。矢内原はしばらくそれを眺めて青年に尋ねる。

「宗一郎氏の専門は?」

「グリア細胞です。グリア細胞の集団行動と電気信号の関連性を研究していました」

 青年の回答に対して矢内原は複雑な顔をした。何か言いたそうでもあるが、それを思い留まったように話題を変える。

「ありがとう。では、君のお母さん。八神桐子氏と最後に会ったのはいつ?」

「一週間ぐらい前に昼食をともにしました」

 そういって青年は今枝の方を見た。

「ああ。俺も付き合わされた。辛気臭い食事会だったが」

 そういって今枝は壁にもたれかかった。

「その時に変わったことはなかった? それ以前でもいい。何か気が付いたことはあるかい?」

「いいえ。いつも通りでしたね。母は興味の無いものに対してはとことん無関心なのです。自分なんかに心の内を見せることなんて有りませんよ」

「そんなことはないだろう。君は5歳の時に彼女とオランダで暮らしていたそうだね」

「え? そうなんですか……」

「ひょっとして、それも覚えていないのかい?」

「すみません。やはりその頃の記憶が曖昧で……思い出せません」

 そこでまた矢内原が考え込んでしまった。そして唐突に口を開いた。

「ところで大変、聞きにくい事なんだが、その、古傷はあるかい?」

「え? どうしてですか?」

「いや。少し確認しておきたいことがあって……」

 そこで今枝が口を挟む。

「虐待を疑っているんだよ。刑事さんは」

 今枝の言葉に青年と矢内原がぎょっとする。

「そうなんだろ? 刑事さん。あの冷たいおっかさんのことだから子供を虐待してたんじゃないかって。まあ、確かに自分も変な親子関係だなとは思っていた」

 今枝の指摘に青年が唇を噛んだ。そして「はい」と、力なく頷いた。

「お2人の考える通りです。子供の頃に傷つけられたものが何ヶ所かあります。ただ、どういう状況で誰につけられたものかは本当に覚えていないのです」

 青年の告白に何とも言えない嫌な空気になってしまった。するとその沈黙を破るように井深がバタバタと駆け込んできた。

「ばっちりッス! 詳細な地図をゲットしたッス」

 矢内原が半ば呆れ顔でいう。

「随分と早いな。あいつ、どんな手を使ったんだ?」

「あ、なんでも警備会社のデータをハッキングしたとか言ってたッス」

「警備会社? ここのセキリュティを請け負っている会社のか?」

「違うッス。ここの警備は入札だったそうで、入札に落ちた会社のデータを拾ったみたいッスよ。小池さんがいうにはその方がデータ管理が甘いって」

「なるほど。それも一理あるな。それにしても助かった」

「小池さん。マジ切れしてたッスよ。寝入りばなを叩き起こされて」

「ああ、今が16時前だから日本では朝8時か。ちょうどアイツが寝る頃だな」

 矢内原と井深のやりとりを聞きながら青年がゆっくりと立ち上がる。

「良かったです。では早速、本部に向かいましょう」

「足は大丈夫なのか?」と、今枝が心配そうにいう。

「ええ。これぐらいの痛みなら我慢できます」

 青年の決意を秘めたような顔を見て矢内原が頷く。

「分かった。地図データを共有しよう」

 隠れ家のような休憩室を出て一行はさらに奥を目指した。

 井深が小池から受け取った地図はセキュリティ会社向けに作られたものだったので極めて精度が高い。そのおかげで隠し通路のようなものまで克明に表示されている。それに従い、地下空間の突き当りにあった電圧調整室を抜け、配線とパイプを通す地下通路を伝い、隣の建物に移動した。配線と装置の狭苦しい隙間を縫って進んでいると何度も行き止まりになりそうで心配になる。そうやってようやく抜けた場所は航空機の組み立て工場のような広大なスペースだった。そこにはクレーンで吊るされた有人ロボットがずらりと並んでいる。それはどれも組み立て中のように見えた。

 矢内原がずっと先の方まで続くロボットの群れを眺めながらいう。

「オーダーメイドなのかな」

 矢内原が指摘するように製造過程にあるロボットは細部に微妙なバラつきがあった。それぞれのロボットは2メートル間隔で並べられており、その間にパーツを搭載した台やマニピュレーターが配置されている。マニピュレーターは可動式で、10本以上のアームがついていることから組み立て作業向けと思われる。

 その光景に圧倒された今枝が溜息をつく。

「凄いな。これだけで一国が制圧できるぜ」

 それを聞いて矢内原が首を振る。

「無理だろうな。有人だろうと無人だろうと所詮は道具に過ぎない」

「銃には詳しいつもりだが、それが良く分からない。有人と無人とどう違うんだ」

 そこで矢内原が簡単に説明をする。

「有人ロボットは人間が乗ることを前提として作られたもので主流は二足歩行タイプの外骨格式パワードスーツだ。それに対して無人ロボットは遠隔操作型と自立系AI型に大別される。家庭用のロボットは自立系AIだよ」

 その説明に今枝が頷く。

「それは分る。だが、時々、対決をやっているじゃないか。有人ロボ対無人ロボって。大抵、有人ロボットが勝つんだけどな」

 今枝がいうように動画配信では数多くの『対決もの』がアップされているが無人ロボットは分が悪い。

 そこで青年が尋ねる。

「しかし、アメリカは無人ロボットが主流ですよね? 軍や警察の正式採用はどの州も無人ロボットなのはなぜなのでしょう」

「それは……」と、矢内原が解説する。

 21世紀初頭からアメリカは無人航空機のプレデターを皮切りにMQシリーズを実戦に投入してきた。これらの無人航空機は衛星経由による遠隔操作でアメリカ本土に居ながら地球上のどこでも爆撃できることから軍やCIAの後押しを背景にステルス化は勿論、武装の小型化、エンジンの改良等、絶えず進化し続けてきた。その流れを受けてアメリカの無人ロボットは開発が進められてきた。しかし、実際は操作性と安定性を重視したことからその形状は多足型にならざるを得ず、実戦向きではなかった。加えて、無人戦闘ヘリコプターの方がコストが低いこと、さらには日本製の外骨格式拡張パワードスーツが世界的に受け入れられたことから、アメリカのロボット兵士開発は完全に後手を踏んでしまった。しかもアメリカ政府は有人ロボットに対して必要以上の様々な法規制を課してきた為に市場が成熟しなかったのだ。

 矢内原はいう。

「アメリカの過剰な規制は止むを得ない面もある。テロや銃乱射事件に有人ロボットが使用されてしまう可能性があるからね」

 そのような背景もあり、アメリカは凶悪犯罪の制圧や紛争における地上戦に有人ロボットを投入することを避けてきた。反対にフランスは人命尊重の観点から兵士のパワードスーツ装備を支持した。最もフランスのいう人命尊重は専ら自国の人間に限定されたものであったが。

 今枝はざっとロボットを眺めながら歩く。

「なるほど。一応、ここのは条約を守って武装化はしていないようだ。さっきの連中を除いてな」

「さっきの連中?」と、矢内原が怪訝な顔をする。

「刑事さん達は見なかったかい? ここの警備ロボットは機銃をアームに装備していやがったぜ」

「ひょっとして、それにあの車はやられたのか?」

「ああ。危うく車ごと蜂の巣にされるところだった」

 今枝は軽い調子でそういうが矢内原は少し背筋が寒くなった。

 今枝と矢内原の会話をよそに井深は製造中のロボットに興味津々だ。

「おおー! このタイプはひょっとして脳波感知ッスかね?」

 井深はコックピットに顔を突っ込んで中の機類を触りだした。

「やめとけ」と、矢内原が注意するのも聞かずに彼はコックピット部分に座って興奮している。

「先輩! これ、凄ぇッスよ! やっぱ脳波感知でも操作できるっぽいッス」

 井深は操作用ヘルメットを被ってはしゃいでいる。そのうちロボットの右アームが上がって指が動いた。

「おい井深! 勝手に動かすんじゃない。さっさと行くぞ」

「……ういぃッス」

 井深が有人ロボットを降りるのを今枝と青年も呆れ顔で見守る。矢内原はやれやれといった風に頭を掻くしかなかった。

 端末を見ながら青年がある方向を指差す。

「あっちですね。あそこの調整室に次に繋がっているようです」

 一向がその方向に向かおうとすると正面のシャッターが急に動き出した。おそらく地上に繋がる大型車両を通す為の坂道なのだろう。

 薄暗い工場内に外の光がシャッターを潜って入り込んでくる。矢内原達は二手に別れて素早く物陰に隠れた。当然に敵が侵入してくるものと考えられる。

 今枝は銃を抜いてそれに備える。いつの間にか青年も銃を手にしている。しかし、もしも改造版ロボットがまた出てきた場合は銃では対抗できないだろう。

 息を潜めて敵の出方を待つ。が、逆光の中で今枝達が目にしたのは普通の人間のシルエット、それも一人分だけだった。さらに意外だったのが何者かが入ってきたと同時にシャッターが閉まり始めたことだ。まるで闘牛場に牛を投入するみたいに敵はこういう形で刺客を送り込んできたようだ。

 現れた刺客までの距離は10メートルも無い。ただ、その姿を見て「おいおい」と、今枝が苦笑する。

「こんなところでまた会うとはな……」

 今枝の言葉に青年も同調する。

「驚きました。これは予想外ですね」

「西園寺公春が連れてきたのかな」

「おそらくは」

 今枝と青年が呆れるのも無理はない。遥かオランダまで来てダイナマイト・アツシに遭遇するとは考えてもいなかったのだ。

 一方、反対側に隠れていた矢内原がアツシの姿を観察する。白のトレーニングウェアの上下にフードを被ったアツシは鋭い目つきで工場内を見下ろしている。しかし、その立ち姿はゆらゆらと揺れているようで不安定に見えた。

 矢内原が目を凝らしながら呟く。

「日本人? 誰だ?」

 今枝達の様子を見ながら井深が答える。

「さあ? あいつ等は知ってる風ッスね」

 その今枝達がアツシの様子を見ながら顔を引きつらせる。

「ヤバイな。前回の時と同じだ」

「ええ。そのようです」

 ダイナマイト・アツシは前回池袋で見た時のようにスティモシーバーの効果で痛みを感じない戦闘モードに入っていると思われた。アツシは今枝達の存在に気付いている。それを受けて今枝と青年も物陰から出てアツシの前に姿を晒して対峙する。

 今枝が銃を抜いてアツシを狙う。が、狙いを定めるよりも速くアツシはダッシュでジグザグに距離を詰めてくる。

「くっ!」

 一発も撃てないまま今枝はアツシの接近を許してしまった。そのスピードは野生の小動物を連想させる。そして今枝がアツシの来る方向に腕を向けようとしたところにアツシのハイキックが襲ってきた。

「なに!?」と、今枝が手を引っ込めようとしたが間に合わない。蹴りに弾かれて銃が左手から離れてしまう。

「今枝さん!」と、青年が叫ぶ。

 今枝は左手の焼けるような痛みを堪えながら右手で銃を拾い上げようとする。が、アツシの左ボディーブローを脇腹に食らってしまった。続いてアツシは今枝の背中に張り付いてスリーパーホールドの要領で首を絞めにかかる。今枝が踵でアツシの膝下を蹴り、同時に重心を落として投げを打とうとするがビクともしない。

「う、息が……」と、もがく今枝。意識が遠のく。と、その力が急に弱まった。アツシは今枝を絞めていた手を放してゆっくりと振り返る。そこにはパイプを持った矢内原の姿があった。

「効いてないだと?」と、矢内原が驚愕する。

 アツシはパイプで殴られた箇所など気にも留めず、矢内原の方に一歩ずつ歩いていく。そして猛烈な勢いで回転して回し蹴りを放った。その蹴りは確実に矢内原の顔面を捉える。が、手にしていたパイプで直撃は避けられた。それでも蹴りの威力は凄まじく矢内原は尻もちをついてしまう。

「うぉらっ!」と、今枝がアツシに体当たりを敢行する。一瞬、アツシがバランスを崩すが、たった1回のステップで簡単に体勢を整えて左の膝蹴りを繰り出す。今枝は後ろに飛び退いて直撃を免れる。

 両手で銃を構えた青年が「あああっ!」と、吠える。そして立て続けに発砲するがどれも当たらない。その出鱈目な発砲は、かえって矢内原と今枝の動きを制限してしまった。

「撃つな! 素人はすっこんでろ!」と、今枝が怒鳴る。

 矢内原がアツシの後ろから肩口に向かってパイプを振り下ろす。手応えはあった。だが、ダメージはまるで通っていない。

「刑事さん! 頭を狙って!」と、青年が叫ぶ。

「いや……流石にそれは」と、矢内原が戸惑う。

「そいつはロボットです! 痛みを全く感じないんです」

「え? ロボット? どういう意味だ?」

 青年の言葉が理解できずに矢内原は困ってしまう。このような場面でも致命傷になるような攻撃をするのは警察の人間として抵抗があるのだ。

 アツシの視線が矢内原に向けられているのを見て今枝が動く。手のひらを見せながら青年にアイコンタクトを送ってダッシュする。その意図に気付いた青年が手にしていた銃を片手に持ち替え、今枝が向かう方向に合わせてパスを出すように銃を放った。

 青年が下手投げで放った銃が回転しながら放物線を描く。

 その行方に合わせて今枝が移動する。

 回転しながら宙を舞う銃。手を伸ばす今枝。

 まるでスローモーションのように青年の投げた銃が今枝に向かってバトンタッチされようとしていた。しかし、その希望は一瞬で砕かれた。まるで今枝と青年の間に割り入るような形でアツシがカットインして片手でその銃を掴んだのだ。隙を突いたつもりのパスがカットされて今枝と青年が驚愕する。アツシはキャッチした銃を遠くに放り投げた。そして今度は一歩、二歩と今枝に近付き、突然、後方宙返りを繰り出した。

「な!?」と、驚くと同時に今枝の脇の下から肩にかけて激しい痛みが突き上げる。一瞬、何が起こったのか分からない。それがサマーソルトキックで、アツシのつま先が今枝の左脇を下から掬い上げたものと分かるのに時間を要した。猛烈な痛みに今枝が呻く。そこに追い討ちのようにアツシの蹴りが飛んでくる。その蹴りは今枝の右腕に鞭のようにめり込んだ。打たれた瞬間からワンテンポ遅れて激痛に見舞われる。

「ぐあっ!」

 立っていられない程の痛みに今枝は両膝をついてしまった。

 アツシは表情を変えることなく次の標的を矢内原に定める。彼はまるで死神が殺し方のメニューを思案するみたいにゆっくりと矢内原に近付いた。成す術もなく矢内原はパイプを持って立ち尽くす。うずくまる今枝。呆然と見守るしかない青年。アツシは矢内原との距離をゆっくり詰めると、その無慈悲な歩みを止めて空手のような構えを取った。今更ながら冷え切った空気が各々の身を締め付ける。

 絶望的な沈黙。凍てついた対峙。そこへ異様な音が乱入してきた。地鳴りのような床を打つ重低音が近づいてくる。何の音か分からずに皆が音の発生源に気を取られる。

「なんだ!?」と、矢内原が上ずった声をあげる。

 ドスンドスンと4人の対峙する場に押し入ってきたのは有人ロボットだった。

「うわわわ、ヤベーッス! ヤベェッス!」

 見るとロボットの操縦席で井深が慌てふためいている。

「井深!?」

 制御不能になった有人ロボットは駄々っ子のように両腕を振り回しながら突っ込んできた。3メートル近い人型ロボットが狂った盆踊りのように突進してきたのだ。それを間近にして矢内原は絶句した。さすがのアツシも暴れるロボットを前にして棒立ちになった。井深の乗る有人ロボットはアツシを攻撃するわけではない。ロデオマシーンのような動きで周りに脅威を振りまいているだけだ。

 有人ロボットの接近を避けながら矢内原が怒鳴る。

「止めろ! 何やってるんだ!」

「むむ無理ッス! わわわ……」

 井深の有人ロボットはそのまま工場の奥の方に向かって走り出した。

 その時、アツシに異変が起こった。

「あーっ!」と、絶叫したアツシが頭を抱えて苦しがる。

 その姿を見て矢内原も異変を察知した。

「なんだ? 急に」

 アツシは絶叫しながら床を転がる。あれほど痛みに鈍感だったアツシが痛みに悶え苦しんでいるように見える。

「け、刑事さん! 早くそいつを拘束してください!」

 青年に言われて矢内原が我に返る。そして近くにあったケーブルを巻いたロールを見つけた。

「分かった!」

 矢内原は急いでケーブルを手に取り、アツシに近付くと暴れるアツシの下半身にしがみつき、それを足に巻き付けた。途中から今枝が合流して2人でアツシを押さえつけながらグルグル巻きにした。長いケーブルを全部巻き切ってしまうまでに相当の苦労を要した。アツシを簀巻きにするまでにどれぐらい格闘しただろうか。

 すっかり息が上がってしまった矢内原が青年に声を掛ける。

「終わったぞ。何とかこれで……どうした!」

 見ると青年が倒れている。その手には端末が握られている。青年は矢内原の声に反応してうつ伏せの状態から顔を少し床から浮かせた。

 今枝が青年の元に駆け寄り介抱する。

「おい! 大丈夫か?」

「あ……はい。大丈夫です」

「それは……ひょっとして、あの野郎に信号を送ったのか?」

 今枝はそういって青年の端末に目を向ける。

「ええ……彼を止めるにはこれしか……」

 青年は自らの端末を操作して信号の発信を止めた。それで楽になったのか、ほっとしたような顔を見せる。

 今枝はやれやれといった風に首を振る。

「スティモシーバーか。それで自分もダメージを受けてるんじゃ世話ないぜ」

 今枝の台詞に青年が一瞬、驚いた顔を見せた。

「今枝さん……知っていたんですか?」

「当たり前だろう。それぐらい気付くさ。アンタの頭にも同じ物が入ってるんだろ?」

「どうして……」

「残存する物は3台だと言ったよな? そう答えた時のアンタの表情に違和感を持っていた。1台は妹さん。もう1台はこいつ。だが、一向に残り1つの話が出てこない。それでピンときた」

 今枝の言葉に矢内原が興味を示す。

「八神君もスティモシーバーの持ち主だったのか……」

 今枝が青年の腕を引っ張りあげながら頷く。

「ああ。それに空港で見たんだ。こっそりと届け出をだしていただろう。危険物持込みのチェックを受ける時に」

「……参りましたね。やはり今枝さんにはお見通しでしたか」

「だいたいそっくりじゃないか。妹にしてもアンタのおっかさんにしても。ひょっとしたらおっかさんも持ち主なんじゃないか?」

「いいえ。それは流石に無いと思います」

 そういって青年は苦笑いを浮かべる。

「そうか。しかし、変わったな」と、今枝も笑みを浮かべる。

「え? 何がですか?」

「最初の頃に比べて表情が豊かになった」

 確かに日本を出るあたりから青年は少しずつ感情を顔に出すようになったように思える。

 3人が互いの顔を見合わせて先を進もうとした時だった。

『待ちたまえ』と、エコーのかかった声が聞こえた。

 3人が声のした方向に目を向ける。

『命令違反だぞ。コースケ』

 それは翻訳機の自動音声であったが、ねっとりとした悪意を孕んでいるように聞こえた。その声は今枝達が次に向かおうとした通路の方向から聞こえてきた。そしてその方向から声の主がゆっくりと近づいてくる。それは太った老人であることが分かる。続いて他の人間が老人に続いてくる。

「ホイヘンス博士……」と、青年がその名を口にした。

 老人は立ち止まるとにんまりと笑う。

『世話が焼ける子だな。君のお母さんも呆れているぞ』

 そういう博士の隣には八神桐子の姿があった。それを見て矢内原が絶句する。今枝と青年も少なからず衝撃を受けているようだ。

 八神桐子は相変わらずの無表情で博士の横に立っている。そして、その横にはもう一つ、見知った顔があった。

 今枝が呻く。

「やっぱりお前か。西園寺公春」

 今枝の言葉に相手が反応する。

「誰かね? 君は? 浩介君の連れか?」

 そういって西園寺は胸を張って自らの頬を撫でた。

 今枝が首をパキパキと鳴らしていう。

「まさかそっちから出向いてくるとはな。面白い。これで役者が揃ったか」


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