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第13話 不死身の闘士

 池袋の地下闘技場は今夜も盛況だった。場内はアルコール臭と客の熱気で空気が淀んでいる。闇に溶け込みそうな淡いブルーライトは時の流れを戸惑わせ、その下で蠢く客達は海の底で身を寄せ合う深海魚のように見えた。彼等は試合が行われている間は中央リングに群がり、試合が終わるとまた思い思いの場所で所在なく漂い始める。その様子は永遠に終わることのない竜宮城の夜を連想させた。

 今枝はリングを見下ろす2階のVIP席で八神青年と合流していた。

「きっと裏がある。何か起こるぞ」と、今枝が隣席の青年に耳打ちする。

 青年はリングを眺めながら無表情に答える。

「そうですね。彼が無事でいられるはずがありませんから」

 青年がいう『彼』とはダイナマイト・アツシのことだ。今枝の目前でイタチ男に拉致された彼はスティモシーバーを欲する勢力に引き渡された。青年によるとアツシには装置を引き剥がされるか実験台にされるかという悲惨な運命しか無いという。今枝自身もまた、アツシは既に殺されているのではないかと危惧していた。

 今枝はバーボンを片手に正面を見据えながら尋ねる。

「控室には行ったのか?」

「いいえ。残念ながら立ち入り禁止でした」

「そうか。しかし、どんなツラして出てくるんだろうな」

「分かりません。試合を注意深く観察するしかありません」

 今枝は開催プログラムを弄りながら選手の情報に目を通す。

「今夜の相手はランキング4位か。こないだは7位の選手にKO負けだったんだがな。大丈夫か?」

「どうでしょう。もし頭に何かされていたとしたら試合どころでは無いはずなのですが」

 確かに青年が言うように敵の勢力がアツシのスティモシーバー狙いなら、脳を弄繰り回されるか手術で装置を抜かれているはずだ。そんな状態でまともに戦えるはずがない。

 本日4試合目に組まれているアツシの試合まで十分足らずとなった。

「おい。あれを見ろ」

 そういって今枝が吹き抜けを隔てて向かい側のVIP席を顎で示す。ここからは遠目にしか確認できないのだが、周りから浮いた客の姿があった。それは大きな帽子を被り上品なスーツを着た姿勢の良い女性だった。

 今枝は少し考えるように指先で眉間を押さえてから青年に問う。

「アンタの母さんは格闘技に興味があるのか?」

 青年が少し首を傾げて前方にその姿を探す。そして動きを止めた。

「なぜ母がここに……」

「誰かと一緒なようだぞ」

 青年の母親である八神桐子の隣には体格の良い中年男性が陣取っている。

「あれは……西園寺公春ですね」

「なに!? 西園寺だと? そういえば確かに」

 衆議院議員の西園寺といえばイタチ男のクライアント、つまりスティモシーバーを手に入れようとしている勢力と目される人物だ。イタチ男のことを調べた時に画像では見たが、ここからだと太った一般人にしか見えない。

「どういうことだ? アンタの母親は西園寺と知り合いなのか」

 傍目には西園寺が八神桐子のご機嫌取りをしているようにみえる。西園寺が話しかけても彼女はまるで相手にしていない。しかし、それにめげるでもなく西園寺は試合が待ち遠しい様子でそわそわしている。

 青年が無反応なので今枝が「おい?」と、その横顔を見る。が、彼は手にしたハンカチで鼻を覆って前方の西園寺たちを見据えていた。その目はいつになく冷たい。

 これ以上、声を掛ける雰囲気ではないので今枝はやれやれといった風に首を振った。

「まあいい。そろそろ始まるぞ」

 試合開始を知らせる音楽が流れる中、八角形のリングに続々と人が集まってくる。『選手入場です!』のアナウンスの後に選手が入場してくる。はじめにダイナマイト・アツシが左手の花道から現れた。

「出てきたか」と、今枝が身を乗り出してアツシに視線を注ぐ。

 見た目はさほど変わらない。短く刈り上げた茶髪、日焼けした身体、赤のトランクスにグローブやシューズは着けていない。そして相変わらず広い肩幅。いかにもパワーがありそうな逆三角形の背中。見た感じはとても健康そうだ。ただ、明らかに前回とは何か気配が違う。

 入場曲が変わり続いて右手の花道から対戦選手の『デヴィットボウイ・ゴン』が入場してきた。プロフィールには身長172cmとなっているが、どう見てもアツシより頭ひとつぶん背が低い。多分、見栄を張っているのだろう。ゴンは金地に赤のフェニックスが描かれたトランクス、ヒラヒラする飾りが付いた銀色のシューズという派手な格好だ。どちらかというと色白で筋肉量は少なく、ドレッドヘアがあまり似合っていない。ただ、人気はあるようで観客からの声援が多い。

 リングの上では試合開始3分前となってゴンが柔軟体操をはじめた。それに対してアツシはウォーミングアップもせずにぼんやりと突っ立っている。

 今枝たちの前に座っていた中年男性が呆れる。

「なんだ、アイツ? やる気あんのか?」

 試合前だというのにアツシには、まるで覇気が感じられない。やたらと冷静なようにみえる。先ほどの違和感はこれだった。前回観戦した際には試合前から気合いが全面に出ていたように思える。それが一転して今日のアツシはやる気が無いようにしか見えない。

「まるで人が変わったようだな」と、今枝は顔を顰める。

 リング上部のパネルがカウントを表示する。浮き上がった数字が60から減っていく。デヴィットボウイ・ゴンは右腕を挙げて観客にアピールしている。サービス精神が旺盛というより単に目立ちたがりなのだろう。

 今枝はもう一度、プログラムでゴンの選手情報を見る。

「得意技は『ハンサム・フラッシュ・ヘッドバット』だと。言うほど男前か?」

「いいえ。ちっとも。カッパみたいな顔です」

 青年は無表情にキツイことを言う。確かにゴンの鼻の下から伸びる『ほうれい線』は年齢の割に濃いのだが流石にカッパは気の毒だ。

 音楽が止んでカウントダウンのデジタル音が響く。3、2、1と表示が進んでゴングが鳴らされる。そして試合開始。

 まずは両者がリング中央で向かい合い、間合いを取る。というよりアツシは両腕を下ろしたままで構えすら取らない。一方のゴンは柔道選手がよくやるように両手を広げて『さあ来い』といった風に戦闘態勢を整える。そして、おもむろに『ハンサーム……フラーシュ……』という掛け声をかけてダッシュし、頭からアツシに突っ込んだ。その攻撃にわっと歓声があがる。棒立ちのアツシの額にゴンの頭が『ゴッ!』と、命中する。

 今枝が拍子抜けしたようにいう。

「なんだ、あれは? ただの頭突きじゃねえか」

「でも超人的な石頭と書いてありますよ」と、青年がプログラムを見ながら答える。

「その割には全然効いていないようだが?」

 頭突きを食らったアツシは一歩も下がらない。当たった瞬間こそ上体をわずかに反らしたがダメージを受けているようには見えない。

 頭突きを見舞ったゴンは数歩下がって『どうだ!』といった風に得意げな顔をする。しかし歓声は一瞬で沈黙に変わった。

「だから効いてねえし」と、今枝は苦笑いを浮かべる。が、場内の異様な雰囲気に気付く。もしかしたらゴンの頭突きには定評があるのかもしれない。それなのにノーダメージなので客がざわついているのだ。

 青年が観客の反応とリング上を見比べながら呟く。

「デヴィットボウイ・ゴン選手も驚いています」

 しかしそこは上位ランカーの余裕なのか、ゴンは外国人のようなジェスチャーで首を竦めると『そんなバナナ!』と大声を出した。くだらないダジャレに間違いなく場内はシラけた。だが、予定調和的に笑う者も少しは存在した。

「おいおい。どうなっているんだ」と、今枝も首を捻る。

 攻撃を受けたアツシの額が赤い。流血しているのかもしれない。だが、彼は涼しい顔をしている。というよりも相変わらずの無気力な表情だ。両手はだらんと下がり、まるで身体検査を受ける為に順番待ちをしているみたいに無防備だ。

 ゴンは距離を取って呆れたようにアツシを観察していたが、右腕をブンブン振り回して『行っくぞぉー!』と、観客にアピールした。そして一気に間合いを詰めると左右のパンチをアツシの顔面にクリーンヒットさせる。続けてローキック、左フック、右のボディブローと立て続けに攻撃を繰り出す。そのどれもがアツシの身体に命中する。ゴンは攻撃の手を緩めない。何発もパンチを打ち込みキックを連打した。もはや完全なサンドバック状態だ……だが、どんなに攻撃を食らってもアツシはぴくりとも動かない。流石に異変を感じたのかゴンの表情が変わる。ゴンはむきになってパンチとキックを浴びせ、時折、得意の頭突きをお見舞いした。一方的な展開に悲鳴をあげる観客さえ居た。

 異様な試合展開に今枝は困惑しながら正面のVIP席の監視も怠らなかった。気になるのは西園寺の動きだ。彼はリングをチラチラ見ながらしきりに八神桐子に話しかけている。得意げな西園寺に対して彼女は相変わらずの無反応だが……。

「これは酷い」と、隣で青年が顔色一つ変えずに呟く。

 反対側のVIP席では西園寺が横にいる白髪の男に声を掛けていた。すると男は端末を取り出して何やら操作を行い、それをリングに向かってかざした。

 次の瞬間、リング上のアツシの表情が変わった……ように見えた。

 デヴィットボウイ・ゴンの猛攻は続いている。が、ふっとアツシの身体が沈んだ。と同時にゴンが吹っ飛ばされた。何が起こったのか分からない。だが、アツシの左足がゴンの立っていた場所に突き出されているところを見ると、蹴りを見舞ったのではないかと思われた。しかし、その動きが速すぎて肉眼ではその動きが捉えられなかったのだ。

 歓声が驚愕の色に染まる。ゴンは腹部を押さえながらヨロヨロと立ち上がる。が、膝がガクガク震え、苦痛に顔が歪んでいる。必死で踏ん張ろうとするが真っ直ぐに立てない。アツシはそんな対戦相手には興味が無いような様子で静止している。追撃する気も無いようだ。ゴンの様子にリングドクターがストップをかける。『駄目だ! 折れてる!』と、ドクターが叫ぶ。そのままゴングが連打され、アツシのKO勝ちで試合は終了してしまった。

「え? もう終わり?」「一撃かよ」「強ええ」という声があちらこちらで上がった。ざわめきが歓声に変わることはついになかった。鮮やかな逆転勝ちというよりも異様な試合展開に唖然としてしまったという雰囲気だ。

 西園寺側の一連の動きを見ていた今枝が唸る。

「あいつ……何をしたんだ?」

 西園寺の指示で端末を操作していた男は端末をポケットにしまった。西園寺は椅子にふんぞり返って上機嫌だ。だが、その隣には10分前と同じ姿勢、同じ顔つきの桐子の姿があった。興奮気味に拍手を送る西園寺とは対照的に彼女は目の前の出来事にはまるで興味が無いようにみえた。

 リング上ではアツシが引き上げるところだった。彼は何らアピールするでもなくアクションを起こすでもなく、何事も無かったかのように花道をとぼとぼ歩く。来た時と同じように……。

「どうなってるんだ? まるでダメージを受けていないぞ」と、今枝が呆れる。

「スティモシーバーの影響ですね」と、青年が断言する。

「どういうことだ?」

「痛みの信号をシャットアウトしているのでしょう」

「そんなことができるのか……」

「知覚神経が発する電気信号よりも強い刺激を脳の特定部位に与えることによって痛覚を麻痺させるのです」

「それじゃ、まるでゾンビじゃないか」

「はい。俗にいうゾンビ症候群ですね。あれはウイルスや合成麻薬が信号を受ける部位を壊死させることで痛みを感じさせない構造ですが」

「最近もそういう事件があったな。フロリダで銃弾を十数発撃ちこまれても即死せずに警官を襲おうとした奴がいたとか」

「この機能はスティモシーバーの第二世代から搭載されています」

「西園寺の野郎はそれを使って実験したってことだな」

「恐らくは。ただ、痛みは感じなくても身体へのダメージは残ります。酷い話ですね。まさに人体実験です」

 しかし今枝が着目したのは一撃でゴンをノックアウトしたアツシの攻撃力だ。

「あの動きも常人離れしていたぞ。たった一発の蹴りだったが……」

 リングサイドでは担架に乗せられたゴンが応急措置を受けている。ドクターの慌てぶりから、かなりの重傷であることは素人目にも理解できた。

 青年が淡々と説明する。

「運動神経系の発信機能を大幅に高めているのでしょう。もしくは反射(知覚してから運動するまでの信号伝達を短縮化した無自覚な処理)以外の回路を制限することで速度を上げているかだと思われます」

「つまり交通量を規制して緊急車両を通すようなものか?」

「その理解で問題ありません。付け加えると、その車両は違法改造でエンジンも強化されているようなものです」

「何かよく分からないが、それもアレの機能か」

「新機能です。第四世代に標準装備されています」

「……嫌な標準装備だな」

 そういって今枝は顔を顰めた。そして花梨に襲われた時のことを思い出した。

 

   *   *   *


 以前、ダイナマイト・アツシを待ち伏せした場所で今枝と青年は車で待機していた。

「屋根があるっていうのは良いな。後ろからブン殴られる心配が無い」

 そういって今枝が後頭部を撫でる。結局、あの時に今枝を気絶させた人間が誰かは分かっていない。

「それで組織からの指示はあったのか?」

「いいえ。まだです。先ほど報告はしたのですが……」

「接触するのか? 嫌な予感しかしないんだが?」

「拘束するのは困難かもしれませんね。一応、眠らせる準備はしてきたのですが」

 八神青年はそういってスプレー缶を懐から取り出した。

 今枝は助手席を倒しながら欠伸をする。

「西園寺の方も何とかしないと。いずれ『おもちゃ』は取り上げないとな」

「おもちゃ、ですか?」

「あの端末だよ。どういう仕組みか知らんがスティモシーバーを外部操作できるのはマズイんじゃないのか? 妹を守るには障害になりかねん」

 青年は『妹』という単語を耳にして少し動揺したようだ。

「それは確かに……困りますね」

 彼は落ち着こうとするかのようにハンカチを取り出すと鼻に押し当てた。

 それを見て今枝が渋い顔をする。

「さっきから気になっているんだが」

「なんでしょうか」

「そのハンカチ。いい加減、買い換えたらどうだ?」

「えっ?」

「しかも女物だろ。それは」

「はい……」

 青年が手にしているのはヨレヨレのハンカチ、それも怪我人のガーゼのように汚れたものだ。

「何なんだそれは?」

「……母の物です」

「なに!?」と、思わず上体がずり落ちそうになって今枝が青年の横顔をまじまじと見る。

「マザーコンプレックスと思われるかもしれませんが、これが一番落ち着くのです」

「意外だな。もっとクールな人間だと思っていたが……」

「お恥ずかしい限りです。しかし、母が恋しいというわけではありません。自分はこんな人間ですから。感情というものが皆無なのです」

「アンタらの関係は良く分からないが、似たもの同士だということは知っている」

「元々、母に似て感情が希薄なのでしょう。心が無い、と言われたことも一度や二度ではありません。友達も居ませんし、だからといって寂しいとか辛いといったこともありません。ですが、自分がこんな風になってしまった原因に心当たりはあります」

 青年はそう言って目を伏せた。彼は吐息を漏らし、話を続ける。

「小学校にあがったぐらいの頃、丸三年間、母と離れて暮らしていました。行かないでと泣いてお願いしたのですが『仕事だから』の一言で母は行ってしまいました。泣いたということはその頃はまだ感情が残っていたのでしょう。ですから、あの後からです。心が壊れていったのは。感情がどんどん希薄になっていくのを自覚していました。父は不憫がって休みの日はずっと一緒にいてくれたようですが、その時の記憶はあまり残っていません。何をしても楽しくない。何があっても心を動かされない。そんな子供でした」

 八神桐子という女性は今枝から見ても冷たい人間のように思われた。前に昼食で同席した時の印象が蘇る。彼女はあらゆるものに対して興味が無いのだとあの時に感じたのだが、それはあながち間違いではなかったようだ。

 明かりを消した車内には街灯の光が差し込んでくる。その明かりは弱々しく冬の夜に辟易しているように感じられた。

 やがて選手出入口から続々と選手が出てきた。出待ちのファンの嬌声でそれに気付く。

「お、そろそろだな」と、今枝がシートの位置を戻す。見るといつぞやの光景が繰り返されていた。明暗というほどではないが勝者と敗者は比較的はっきりしている。試合に出ていない選手も混じっている。十分余りの間に人だかりは幾つかに別れて四方に散って行った。人気のある選手が動けばファンもそれに続いていく。そして出入口が閑散としたところで、ようやくアツシが1人で出てきた。彼はスポーツバッグを片手に夢遊病のような足取りで今枝達の車に向かってくる。迎えの車は無いようだ。

「なんであんなに元気が無いんだ?」と、今枝は首を捻る。

「ダメージがあるんじゃないでしょうか」

「かもな」

 ここから見るアツシは散歩する年寄りのようで、玉手箱を空けてしまった浦島太郎を連想させた。

「もう少しです。今枝さん。準備は良いですか?」

 そういって青年はスプレー缶を握りしめ、運転席のドアに手をかける。

 アツシの足取りは重い。今枝と青年は息を潜めて彼の接近を待つ。

 あと数メートルというところで車の後方から歩いてきた誰かがアツシとすれ違った。そしてクルリと振り返り、突然コートの前をはだける。

「あ!」と、青年が息を飲む。今枝も緊張する。なぜなら、コートの男が隠し持っていた銃を構えたからだ。

 次の瞬間、アツシは俊敏な動きで身体を反転させ、左に飛び退く。それと同時に男の銃が発射された。車内に居てもその銃声は今枝達の耳をつんざいた。

「ショットガンか!?」と、今枝がアツシの無事を確認する。見ると、ちょうどアツシが右の拳をコートの男にぶつけようとしているところだった。男は銃身でそれを受ける。アツシの左膝が男を狙う。が、敵もさるもので、それをバックステップで交わす。この接近戦では発砲はできないと思われた。

「今枝さん! 誰か来ます!」

 アツシと男が揉みあう場所に向かって走っていく人間の姿が認められた。それも2人、3人と異なる方向からだ。

「罠だ! 奴等、アツシを囮にしてショットガン野郎をはめやがったな」

 イタチ男の姿は無い。だが、ここから見えるだけで5人。それぞれが銃のような物を持っている。

「あいつら、また繁華街でドンパチする気か?」

 ショットガンの男がアツシの攻撃をいなしながら周囲に目を向ける。そして囲まれたことに気付いたようだ。彼は迷わず右手の路地に向かう。そして路地から飛び出してきた追っ手を出会いがしらに銃身で殴りつけた。不意打ち気味に殴られた男が一瞬で倒れる。それを乗り越えて逃げるショットガンの男。それを追う者たち。

「一本隣の道です!」

 ショットガン男が逃げた路地は車が通れない。少し先の道を右に曲がるしかない。青年は慌てて車を発進させる。

 荒っぽく角を曲がり、遠心力をねじ伏せるように加速する。さらに右に急ハンドルを切り、車体を狭い道にねじ込むように突っ込んでいく。縁石に車体を跳ね上げられ、勢い余ってゴミ箱を跳ね飛ばす。路駐の車に接触する度に全身を揺さぶられる。

 ハンドルにしがみつきながら青年が叫ぶ。

「あれです!」

 数十メートル前に走る男の後姿があった。

 今枝は左半身をドアに押し付けられながら怒鳴る。

「逃がすな!」

 コートを目印に追跡する。走る男の横に到達したところで青年が急ブレーキをかける。その反動で今枝が前方に投げ出されそうになる。

 青年は後部座席を開け、窓の外に向かって大声を出す。

「早く乗って!」

「お、お前!?」と、今枝が仰天する。

 が、青年はショットガンの男を急かす。

「叔父さん! 早く!」

 男は一瞬、迷う素振りを見せるが素早く車内に潜り込んできた。

「閉めて! 出します!」

 青年は再びアクセルを強く踏み込む。すると進行方向に大柄な男が立ち塞がった。恐らく追っ手が先回りしていたのだろう。だが、青年は速度を緩めることなく車を突っ込ませた。『バンッ!』という音が鳴る一瞬の間に、男は景気よくボンネットに飛び乗り、回転しながらフロントガラスに尻もちで一撃を加え、車の屋根を超え、後方へ消え去った。

 後方を振り返りながら今枝が呟く。

「風と共に去りぬ」

 そんなセリフで平静を装ったものの、今度は後方からの銃撃に首を竦める。後部ガラスに幾つか穴が開いてしまう。

 今枝が怒りの表情で青年にいう。

「止めろ。少し黙らせる」

 青年がまた車を急停止する。今枝はドアを開けて身を乗り出すと懐から銃を取り出し、後方に向けて立て続けに3発、銃弾を発射した。街灯が少なく、明かりが不足している通りの向こう側で火花が3回散った。今枝の射撃は追っ手の銃を的確に捉えたようだ。

 その様子をバックミラーで確認していた青年が息を飲む。

 追っ手からの銃撃が止んだことを確認して今枝が銃を仕舞う。そして不敵な笑みを浮かべながら助手席に戻る。

「片付いた。出してくれ」

 今枝がそう言い終るや否や青年がアクセルを踏み込む。が、ドアを閉めるより先に車が急発進してしまったので今枝が車外に放り出されそうになる。

「ちょ、早いって!」と、今枝が文句を言う。

 すると青年は涼しい顔で答える。

「シートベルトをしめないからです。交通ルールは守らないといけません」

 お前が言うなよ、という返しをする気も無くなって今枝は首を竦めた。そしてバックミラーで後部座席の様子を探る。

 コートの男、もといショットガンの男は八神青年の叔父だった。そういえばホテルで八神桐子に付き添っていた時に見た。

 青年は運転しながら後部座席の叔父に問う。

「貴方の仕業だったんですね?」

 しかしショットガンの男はバックミラー経由で睨み返してくるだけだ。

 構わず青年が続ける。

「ブレイン・ブレイカー……連続殺人犯が叔父さんだったとは。ある程度、予想はしていましたが」

 それを聞いて今枝が驚く。

「なんだと? 知っていたのか!」

「確証はありませんでした。ですがスティモシーバーの存在を知っている人間は限られています」

 今枝は混乱した。そもそも青年の依頼は、スティモシーバーの拡散を防ぐために花梨を連続殺人犯や謎の勢力から守るという内容だったはずだ。そのうち謎の勢力は代議士の西園寺公春だと判明した。西園寺はイタチ男を使ってアツシを拉致し、その威力を試そうとしている。その目的は定かではないがロクな使い方を望んでいるとは思えない。一方、西園寺の勢力とは別物と思われた連続殺人犯『ブレイン・ブレイカー』の正体が八神桐子の弟だったとなると、両者の関係が理解できない。仮に、八神桐子を通して両者が繋がっていたとなると、なぜバラバラにスティモシーバーを入手しようとしているのか? それに手口があまりに違い過ぎる。第一、先ほど西園寺は囮を使ってこの男をあぶり出そうとしたではないか。それは仲間割れを意味するのだろうか? 

 今枝が考え事をしている間にも青年は男に話しかける。

「さっきの件……ダイナマイト・アツシをどうするつもりだったんですか? 闘技場に母の姿しかなかったので変だとは思いましたが……」

 そこで初めて男が口を開いた。

「いつも一緒にいる訳じゃない。それは姉さんが嫌う。分かるだろ?」

「ええ。ですが、叔父さんはダイナマイト・アツシを他の被害者のように殺害するつもりだったんでしょう。それは母の指示なのですか?」

「そうだな。お前に隠しても仕方が無いか」

 そういって男は姿勢を崩して足を組んだ。そして一言。

「用済みなんだそうだ」

「用済みですって? どういう意味なんでしょう」

「俺にも分からん。他の連中はわざわざ摘出手術で装置を回収したんだが、今回の標的は頭を吹き飛ばすだけで良いだとさ」

「……やはり母の指示でしたか」 

 そういって青年は僅かに俯いた。ハンドルを持つ手が脱力したようにも見える。自ら無感情と評する冷静な青年でも、やはり母親が連続殺人犯の黒幕だと知ってショックを受けているのかもしれない。

「とりあえず我々は花梨のところに戻ります。途中で車を乗り換えますから叔父さんはそこで降りてください」

「おう。悪いな」

「叔父さん。母は花梨をどうしようとしているのですか? 花梨の脳からもスティモシーバーを取り出すつもりなのですか?」

「さあな。姉さんの考えていることは分からん」

 青年はバックミラーで男の反応を観察していた。そして怒りに満ちた目で問い詰める。

「それは嘘でしょう? もし花梨に手を出すとなったら叔父さんといえども許しませんよ」

「ほお。姉さんに逆らうとでも?」

「はい」

 青年は静かにそういって車を停めた。そして振り返って宣言する。

「絶対に阻止します。母を殺害してでも」

 青年の迫力に男が舌打ちする。そして弱ったなといった風に首を振る。

「あの子を殺せとは命令されていない。だが手遅れかもしれんぞ」

「どういうことですか?」

「姉さんはあの足で真っ直ぐにホテルに向かった。あの子を連れ出しに行ったんだ」

「なんですって!」

「どういうつもりかは分からん。もしかしたら前の奴らと同様に別荘で処置するつもりなのかもしれん」

「処置……母が手術を? いつのまにそんな技術を?」

「マニピュレーターさ。伊豆の別荘に設備がある」

 それを聞いて青年の顔が強張った。

「それはマズイです! 今枝さん、今すぐ伊豆に向かいましょう!」

 男がそれを聞いて嫌そうな顔を見せる。

「おいおい。俺もかよ?」

「勿論です! 案内してもらいますよ」

「チッ。後で姉さんに何て言われるか……」

 その言葉が終わるより先に車はタイヤを軋ませて強引なUターンの体勢に入った。


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