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第12話 学者の溜息

 約束の18時ぴったりに矢内原は八神宗一郎宅を訪問することにしていた。

 八神宗一郎が入居する高齢者向け集合住宅は意外に質素なものだった。この手の住宅は立地や造り、医療ケア等に残酷なまでの格差がある。富裕層のそれと収入源が限られた層のそれでは雲泥の差がある。八神の経歴を考えると当然に裕福な生活を送っているはずなのだが、なぜか彼はこの県営住宅で独り暮らしをしている。

 矢内原の足元を音もなく冷気が駆け抜けていった。すっかり葉を落としてしまった植え込みは、敷地内にまんべんなく配置された明かりによって寒さに耐える姿を晒されているように見えた。流石にこの時間ともなると隣接する保育施設から子供たちの声は聞こえてこない。子供の声が痴呆の予防に効果があることが立証されて以来、このように高齢者向け住宅に育児用施設を併設する物件が増えた。しかし、無人の保育施設は冬の佇まいと相まって寂しさを際立たせる。

 約束の時間を迎えて矢内原は集合住宅の入口で深呼吸をした。核心に近付いているという予感はあった。これから対峙する八神宗一郎という人物について下調べはしている。幾つかの仮説も用意している。だが、これは取り調べではない。あくまでも話を聞くだけという建前だ。その制約の中でどこまで情報を引き出せるか? 何度経験してもそのような駆け引きの前は緊張してしまう。矢内原は試合前のアスリートのように軽く気合いをつけてから目的の部屋番号をコールした。


 八神宗一郎は四角い輪郭に彫りの深い顔立ちの男だった。体格が良い割にはその立ち振る舞いに適度な威厳があって上流階級の人間特有の落ち着きが感じられた。それに白髪のボリューム、声の張りからも七十歳を超えているようには見えなかった。

 彼は矢内原を室内に招き入れるとダイニングに案内した。

「こんな所で申し訳ない。応接室が無いものですから。やはり引退すると来客も少ないのですよ」

 そういって八神は小さなダイニングテーブルに矢内原を座らせた。

 質素な暮らしをしているのはひと目で分かる。内装や家具は標準装備かと思われるぐらいベーシックな造りだ。その一方で男性の『独り暮らし』らしさが微塵も無い。片付いているのは勿論、物が極端に少ないように思われた。木製ボードの上には写真が立て掛けられているが、それもぽつんとひとつだけだ。その隣のドリンクメーカーも安価なものに見える。

 小さなダイニングテーブルに向かい合う形で2人は対峙した。まずは挨拶を交換し、矢内原は訪問を受け入れてくれたことに感謝の意を示した。そして早速、話を切り出した。

「先生のご専門は?」

「遺伝的要因による脳機能低下のメカニズムです」

「脳機能低下……認知症、ですか?」

「そうです。脳機能ネットワークが衰えるプロセスを明らかにして先天性の認知症を予防することがテーマでした」

「つまり認知症の遺伝的原因を解明するというわけですね」

「ええ。認知症の殆どは脳血管性とアルツハイマーが原因となります。私の研究室では脳血管性なら血管が詰まって栄養を摂取できなくなった神経細胞がどのような過程で傷んでいくのかをシミュレートしていました。一方のアルツハイマーは、神経細胞の表面に蓄積するβアミロイドという異常たんぱく質が原因だということは古くから知られていますが、それがシナプスにどのような過程で影響を及ぼすのかを解析します」

 流石に大学で教鞭をとっていただけあって八神の説明は分かり易い。

「なるほど。認知症の遺伝的リスクは簡単に検査出来るそうですが?」

「可能です。検査を受けることで自分のリスクを把握することができます。脳血管性は血流エステ(血液を浄化したりナノマシーンを血管に入れて内部の詰まりを取り除いたりするエステティックサロンのメニュー)や血流改善サプリメントである程度の予防は出来ます。ですが、アルツハイマーはなかなか難しい。発症してからなら、異常たんぱく質の働きを抑制する酵素や薬が実用化されていますが、予防となると難しいのです」

「先生は遺伝子のゲノム解析結果を踏まえたアルツハイマーの予防について幾つか論文を出されていますね」

「ええ。認知症と診断されるより前に手を打つことが重要なのです。認知症は一度発症してしまうと完全治癒は困難です。ブリッジ法(3Dプリンタで作った神経細胞を神経回路に重ね合わせて切断された箇所を繋ぐ治療法)や自己修復法(iPS細胞を神経細胞の一段階前の状態で集中投与して欠けた部分を補わせる治療法)が有名ですが、どれも高額な医療費がかかる割には効果が薄い」

「あらゆる病にいえることですよね。かかってから治すよりも、かからないようにするべし。予防こそ医学が最も力を入れるべき宿題だ、ということですか」

「その通りです。いや、刑事さん。よくお分かりですね」

「いえ。身内に医者が多いものでして。自分だけなんですよ。別な道に進んだのは」

「おお、そうでしたか。そうだとしても大したものだ。医学を良く理解なさっている」

 八神がしきりに感心するので矢内原が頭を掻く。

「父の受け売りですよ。それより先生は、なぜこの分野の研究を?」

「ああ……そうですね。きっかけは中学生の頃でしたか。母親が祖母の介護で苦労していましてね。祖母も認知症でした。その頃、医者になることを志したように記憶しています」

「立派な動機じゃありませんか。結果的にその世界でご活躍されたのですから」

「いやいや活躍なんて」

 そう謙遜してから八神は目を伏せた。何か思うことがあるらしい。

矢内原が次の言葉を促す。

「先生。どうかしましたか?」

「いえ、ちょっとね……いや、自分がこの年齢になってから色々と考えることがありましてね。何と言いますか、これまでの自分は認知症をはじめ『痴呆』というものを目の敵にしてそれを克服するための研究に没頭してきたわけですが、最近、その考えは間違っていたのではないかと……」

「なぜですか? 先生の研究で救われる人も少なくないでしょうに」

「いいえ。そうとも限りません。痴呆というものは個人差があれ誰にでも起こり得る症状ですが、もしかしたら『忘れる』ということは生への執着を無くすことによって死の恐怖から逃れようという一種の防衛本能なのかもしれません。そう考えると、老いることが悪い事であるかのような考えがそもそもの間違いなのではないかと」

「なるほど。そういう見方もありますか」

 八神は指を組み替えながら軽く頷く。

「私は長年、脳の研究を行ってきましたが、最近では脳をまるごと機械でバックアップするというプロジェクトが進んでいます。理論的にも技術的にも実用段階だといわれていますが、それで人間は死ななくなるというのです」

「聞いたことがあります。その発想自体は三十年前から存在していたのですよね」

「ええ。当時の私は馬鹿げていると思っていました。脳を見くびるなよと。脳組織を有機素材で完全コピーしたところで他の臓器のように元の身体にマッチするはずがありませんから」

 確かに八神がいうように、心臓や肝臓などの臓器は本人のiPS細胞を外部培養で素材化したものを3Dプリンタで完全コピーすることが実用化されている。だが、臓器全体を入れ替えるには未だ多くの課題がある。それは移植手術の技術的なハードルよりも適合性の問題が大きい。なぜなら、本人の細胞を使っている分、拒絶反応は少ないがそれはゼロではないからだ。そのせいで形としては収まるものの脳を含めた受け入れる側の他の臓器との連携という点でうまく調和しない場合が少なくない。それらの自己移植とドナーからの移植を比較した時、長期的には他人からの移植の方が適合性において高い数値を示したというデータもある。一部の学者はそれを『人造物の限界』として、臓器は単独で生きている訳ではなく、肉体調和の一部として自然発生したものには敵わないと主張している。その為、臓器の欠損部を補う形での自己移植はかなりの成果をあげているが、全交換となるものは未だ少数派で、医学界も慎重にならざるを得ない状況だ。

 八神は神妙な顔つきで続ける。

「有機素材の完全コピーは臨床データが足りていません。移植後10年20年の結果がこれから出てくるとまた違うのかもしれませんが、脳以外の臓器でそれですから。脳のすべてを入れ替えるというのはまだ先のことだと思います」

「技術は進歩しても人間そのものは、それに追いついていないということですね」

 そこまでで会話が中断した。ドリンクメーカーで入れたお茶を飲みながら矢内原はタイミングを見計らっていた。八神も喉を潤しながら考え事をしているようにみえた。

「さて、ここからが本題なのですが」と、矢内原は真顔でそう切り出した。そして一旦、言葉を切った。それは矢内原なりの駆け引きだった。相手に得意分野のことを気持ちよく喋らせてから情報を引き出す為の質問をぶつける。急に沈黙してしまうと、やましいことがある場合ほどそれが相手にとってプレッシャーとなる。現に八神は矢内原が刑事であることを思い出したかのように一瞬、顔を強張らせた。

「お聞きしたかったのは脳のことです。先生、脳に直接、端末を埋め込むということは、どれぐらい効果があるのでしょうか?」

「端末……脳に端末を? それは明らかに違法でしょう」

「ですが、それを行っている人間が存在するのは事実です。そのような人間が後を絶たないということは何らかの効果があるのではないでしょうか。ただ、違法である以上、公には検証されていません。ですから学者としての先生の意見をお伺いしたいのです」

「効果ですか……どういう効果を期待しているかにもよるでしょう。ちょっと漠然としすぎていて何とお答えして良いやら……」

 八神はそう言って少し困ったような顔をみせた。だが、その様子はこの話題を避けているように矢内原には見えた。

「では、質問を変えましょう。端末を脳に直結させることは本当に可能なのでしょうか?」

 その質問に八神は微かにこれまでとは異なる反応を示した。矢内原は彼の眼球が速く動いたのを見逃さなかった。じっと次の言葉を待つことでプレッシャーが八神に圧し掛かる。彼は矢内原の視線を避けるように目を閉じ、軽く息を吸ってから口を開いた。

「ハードルは高いでしょうが、可能性はあると考えます」

「なるほど。可能なんですね……ですが脳に埋め込まれた端末内の情報が自由に共有できるとなると、それこそ世の中が引っくり返りますね」

「しかし今のところ機械上の情報を脳に直接インプットすることは困難といえるでしょう。脳は生き物ですからね。水を飲みたくない馬を川に連れて行っても無駄だという諺があります。情報を送り込もうとしても脳はそれを拒絶するでしょう。どんなに有用な情報も、脳にとってはただの電気刺激に過ぎません」

「専門家である先生の口からそう聞かされると簡単ではないことが良く分かります。そうですか。やはりそのような装置はフィクションの世界なのですね」

「いえ。そうとも言い切れません。刑事さんは30年ほど前に騒がれたシンギュラリティ(技術的特異点)のことはご存じか?」

「聞いたことはありますが……正確に理解しているとは言い難いですね」

「あの頃は、近い将来に人間の能力を超えた人工知能が作られて、それがより高度な人工知能を作り出す。その繰り返しで技術革新が指数的に加速する、つまり人間の頭では実現不可能と考えられることが人工知能によって短期間で次々と出来るようになると。その結果、人間の想像を遥かに超越した世界が出現するというのが、シンギュラリティの概論です。確かに量子コンピューターが実用化したようにハード面での進化は目覚ましいものです。おかげで私の研究も大いに捗りましたし、脳組織の働きは完全に解明されました。ですが多くの学者が予見したようなシンギュラリティの世界はまだ実現していません。一番の原因は、人間の拒絶反応があったからです。技術革新が加速すればするほどそれは強くなる。ある技術が本当に実現するには、それを受け入れる側の同意、それを『大衆合意』と呼びますが、それが必須となります。特にそれが人間の存在価値や機械に対する優位性を揺るがす恐れがあるものに関してはその拒絶反応がきわめて強い。例えば、シンギュラリティを主張する学者は、あらゆる現象を100%予測する仕組みができると断言していました。ですが、未だに完璧なシミュレーションなどは存在しない。もしそんなものがあったとしたら、とっくに賭け事は成立しなくなっているはずです」

「分かります。あったら自分が欲しいぐらいです。ですが競馬が成立しなくなるのも困りますね」

「そもそも偶然を完全に排除することを人類は望んでいません」

「偶然ですか。いわゆる『神のさじ加減』ですね」

「そうです。私は無神論者ですが、自然界にはどうしても侵せない領域があるということを肝に銘じておくべきと考えています」

 シンギュラリティについては『万能派』と『懐疑派』が未だに論争を繰り広げている。先ほどの熱弁をふるう八神を見る限り、彼はどちらかといえば後者に近いように感じられた。

 話が逸れてしまったので矢内原が話題を変える。

「ところで、電気信号に対する脳の反応について先生は論文を発表されていますね。共著という形ですが」

「ああ……確かに。まあ、あの時は技術監修といいますか脳外科として参画していたに過ぎませんが」

「脳外科の世界で先生の技術は高く評価されていますね。どこで学ばれたのですか? オランダに留学されていたようですが」

 矢内原の質問に八神は驚いたような反応をみせた。が、直ぐに自分の境遇を理解したらしく、諦めたように力なく笑った。

「そこまでお調べになっていましたか。ええ。その通りです」

「最後に手術をしたのはいつですか?」

 矢内原の問いに対して八神は眉間に皺を寄せた。そして苦し紛れに「ちょっと……覚えていませんね」と、答えた。

 矢内原はさらに追及する。

「引退後、全く手術をされていない訳ではありませんね。時々、依頼を受けてサポートする機会がありますよね」

「……ご指摘の通りです。ですが主治医では無いので自ら術式を施すことは殆どしていません」

「そうですか。できればスケジュール管理のようなものでご確認頂きたいのですが」

「それは……引退後はあまり……管理するほどの予定などありませんで。見ての通りの隠居生活ですから」

 そういって八神は自虐的な笑みを見せようとしたが、その表情は硬い。

「ところで先生は衆議院議員の西園寺公春氏と面識はありますか?」

 相手が守りに入った時に言い訳を考える隙を与えずに次の質問をぶつける。これも矢内原の常套手段だった。

 八神は動揺を抑えながら答える。

「あります……彼が家内の研究室に在籍していた頃に何度か」

「確かに西園寺氏は学生時代に八神桐子さんのゼミに在籍していたようですね」

「10数年前になりますかね。その後は会っていません」

「なるほど。先生は、お会いしていないと」

「と、申しますと?」

「いえ。奥様、八神桐子さんは現在も西園寺氏と親交があるようですから」

 議員会館で会ったことは伏せて矢内原はそう断言した。

「ああ……そうですか。家内は現役の研究者ですから色々、交流もあるのでしょう。彼は家内の教え子ですし」

「立ち入ったことをお聞きして恐縮なのですが、先生はなぜ、お独りでここに?」

「特に理由はありません。子供たちは独立しておりますし、家内は現役ですから生活リズムが合いませんので」

 八神の長女である八神多香子は結婚して現在はアメリカに住んでいる。年齢は32歳で後妻の桐子との間にできた長男の浩介とは7歳離れている。次女の花梨はさらに年が離れていてまだ独立するほどではない。それを知ったうえで矢内原が首を捻る。

「お子さんは独立ですか。高校生の娘さんがいらっしゃるのでは?」

「……おります。ですが、七十過ぎのおじいちゃんと高校生の女の子で生活するのは流石に無理がありませんかね」

 八神の言葉には明らかに力が無くなっている。最初に会った時のバイタリティは失われ、一気に老け込んだような雰囲気さえ感じられた。家族の事は既に調査済みなので矢内原はまた別な質問をする。

「松山の西園寺記念病院に勤務されていた時のことをお聞きします」

「それもまた古い話ですね。松山……ですか」

「17年ほど前の話です。どういう経緯で松山に行かれたのですか? わざわざ東京を離れてまで」

「当時は……ちょうど大学を止めた直後で研究もひと段落したところだったのです。その時に西園寺君の父上に頼まれて一年間だけという条件で勤務させてもらいました」

「西園寺氏の父上ですか。12年前に亡くなった西園寺克春さいおんじ かつはる氏ですね。先生と同級生の」

「そうです。友人の頼みということもあって断りきれませんで」

「しかし妙ですね。西園寺記念病院は精神疾患が専門です。しかも小児用の。脳外科の専門家である先生がお勤めになるのは違和感があります」

 矢内原の言葉に八神が一瞬、身を固くする。そして首を振った。

「ご指摘の通りです。ですから自分でも余り役に立てなかったと思っています」

「なぜこんなことを聞くかというと、先生がご担当されていた患者、当時は小学生でしたが、その方が殺人事件の犠牲になってしまったからなんです」

 話の流れからこの展開を予想していたのか八神は目を閉じて唇を噛んだ。

「そうですか……それはお気の毒に」

「先生、思い当たる節はありませんか?」

「無い……と思います」

「そうですか。実は今日、マージ中川氏の遺体が発見されました」

 矢内原が急に話題を変えたことに八神が戸惑う。

「え? 遺体? それは……どなたですか?」

「名前に聞き覚えはありませんか。ですが先生は会っているはずなんです」

「いえ、本当に誰の事だか……」

「メディカル・マニピュレーターの技師です」

 そこで八神がはっとして顔を上げた。

「あの病院の?」

「はい。最初の事件があった病院です。ということは先生。あの病院で彼に会ったことは認めるのですね?」

「う……それは……」

「それと先生。私が調べているのは都内で発生したショットガンによる連続殺人事件です。先ほど先生の患者さんが犠牲になったとは言いましたが、どんな事件かは申し上げておりません。もうお分かりですよね。なぜ私がここに来たのか。その理由を」

 もはや言い逃れは出来ないと悟ったのか八神は頭を垂れた。

「明日、警視庁に出頭願えますか。迎えを寄越しますので。勿論、現段階では任意です。ですが事件のあった病院で先生がなぜ手術を行ったのかをお聞きすることになります」

 八神は大きくため息をついて顔を上げる。

「刑事さん。先ほど技師の遺体が、とおっしゃっていましたが、その方はどうして亡くなったのでしょうか?」

「自宅で殺害されていました。本日、逮捕請求が通ったので彼の自宅に向かったのですが、手遅れでした。痛恨の極みです」

「殺害……それはどんな?」

「気になりますか? ……絞殺です」

 殺害方法を聞いた八神は複雑な表情を見せた。それは驚きと困惑、そして脱力したような不思議な表情だ。

「そうですか……」

「死後一週間が経過していました。恐らく、先生もアリバイを調べられるでしょう」

 八神は天を仰ぐと苦しげに息を吐いた。そして矢内原に語りかける。

「刑事さんのお考えになっている通りです。私は連続殺人事件の最初の被害者、須田啓介君の手術をあの病院で行いました」

「ある装置を脳から摘出する為の手術ですね」

「はい。ですが彼を殺害した人物とは無関係なのです。それだけは信じて頂きたい」

「その人物を知っているのですね?」

「いいえ、これ以上は……」

「そうですか。残念です。そういうことでしたら今から一緒に来て頂かなければなりません。犯人隠匿に関わることですので通信も控えて頂きます」

 予定では明日の午前中に逮捕を申請することになっていたが、八神が須田啓介を手術したことを告白した時点で自首は成立した。また本人も抵抗する気が無いようなので、このまま警視庁に連れて行くことになる。

 矢内原は端末を取り出して近くに待機させている警官に応援を要請した。その間、八神は椅子に座ったまま、じっと自らの手を見つめていた。そして「あの時に勇気があれば……」と、呟いた。

「え? それはどういうことですか?」と、矢内原がその意味を問う。

「……もっと早く『あれ』を取り出してあげれば良かった」

「それは摘出した装置のことですね。いったい、その装置は何なのですか? 脳にどんな影響があるのですか?」

「刑事さん。スティモシーバーという言葉をご存じですか?」

「ステモ……シーバー? いいえ」

「そうですか。それでしたら後で調べて貰えば結構です」

「分かりました。それは明日、詳しく教えて頂きます」

 その後、5分も経たないうちに2人の警官が到着した。そしてこのまま拘留となることから警官立会いのもとで着替えだけを用意させることにした。

 八神が着替えを取りにリビング隣の和室に向かう際に、矢内原の目がある一点に釘付けになった。

「マツバラン……」

 和室の窓際に鉢植えがあり、そこには野菜プラントを訪問した後で散々画像を見てきた問題の植物がゆったりと葉を広げていた。

「それは……マツバランですね」

 それを注視する矢内原の反応を見た八神が意外そうな顔でいう。

「おや。よくご存知ですね」

「先生! これをどこで?」

「南伊豆の別荘です。庭にあったものを家内が懐かしがって持ってきたのです」

「別荘ですって!?」

「ええ。私自身はここ数年、行ってないのですが」

 その瞬間、矢内原が何かを思いつく。そしてその顔つきがみるみる険しくなる。

「先生。別荘の詳しい場所を教えて頂けますか?」

「お教えするのは構いませんが……」

「お願いします。それと鍵をお預かりして良いですか? 今から向かいますので」

「え? 今から……ですか。」

「確かめたいことがあるのです」

 そういって矢内原は警官達に八神のことを託し、慌ただしく八神宗一郎宅をあとにした。


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