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第1話 怪しい依頼

プロローグ


 2042年10月13日深夜、東京都N区の公園内で若い男性の遺体が発見された。

 遺体発見現場の付近一帯は未だ雨が降り止やまない。雨筋は頭上の闇からふいに現れて投光器の光に紛れ込んでいく。光が集められた箇所には雨避けのテントが張られ、現場保存の『スキャニング(指紋、血液、皮膚片などの付着物をレーザー照射で採取してデータ保存する技術。法改正により証拠として認められるようになった)』が行われている。棒状の読み取り機が地面から1メートルの高さをゆっくりスライドする様を本庁の刑事達は傘を差しながら無言で見守っている。その輪から離れてぽつんと佇んでいた警視庁特別捜査官の矢内原範彦やないはら のりひこは降り続く雨に辟易していた。そこへ3Dフォトのカメラを首からぶら下げた鑑識が近付いてくる。

「まだまだ時間がかかるぞ。広範囲に渡ってスキャンしなきゃならんからな」

 読み取り機が発する赤と青のレーザーが遺体の表面をなぞっていく。だが、うつ伏せになった遺体の頭部から扇状に広がる脳組織や血液等は広く遠くまで散っている。さらにこの雨のせいでスキャニングによるタンパク反応の採取が難航していた。

 矢内原は眼鏡の位置を直しながら鑑識に尋ねる。

「これで四人目……同じ手口か?」

「ああ。ショットガンで頭を吹っ飛ばされている。それも至近距離からだ」

 これより前に発生した事件の被害者は皆、後頭部に銃口を押し当てられて射殺されたと推定されている。

「なぜショットガンなんだろうな……」

 矢内原の呟きに鑑識が反応する。

「どういう意味だ?」

「いや。他の銃でも良いはずだ。ショットガンは持ち運びに向いているとは思えん」

「確かに。だけど車で移動すれば可能だろう」

 それを聞いて矢内原は野球場のバックネットに目を遣った。確かにその近辺には駐車場が幾つか存在する。鑑識が同じ方向を見ながらいう。

「昼間はスポーツ施設を利用する人間が多いみたいだ。車の出入りも結構ある」

「監視カメラの解析は?」

「もう手配してる。だが、入口が八か所もある。大きな公園だからな。おそらく、そっちも時間はかかる だろうよ」

 鑑識はそういって忌々しそうに靴裏を地面で擦った。秋雨に浸され続けた落ち葉は、すっかりふやけきっていて誰に踏まれても一言も発することなく身を寄せ合って地面に張り付いている。一方、現場に駆り出された刑事達もまた、ひとかたまりとなって疲れ切った表情で遺体を遠巻きにしている。無理もない。都内では僅か一ヶ月の間にこれと同様の殺人事件が三件発生しているのだ。一件目は病院の屋上、二件目はスクラップ工場、そして三件目は国営農場の野菜プラント内で。

 連日連夜の捜査に加えて深夜の召集に特別捜査官の矢内原も疲れを隠せない。

「正直、参るな……これは」

「大丈夫か? こう事件が続くと三十路の身体には堪えるだろう」

 そういって鑑識が矢内原の肩に手を乗せる。

「……それは否定せんよ」

「捜査も全然進んでいないようだな。お前がこれだけ苦戦するのも珍しい」

 それに対して矢内原は遠い目をして首を振る。

「映画みたいにいつもうまくいくとは限らんさ。そもそも今回の事件は異様すぎる。連続殺人なのかも怪 しい。繋がりがまったく見えてこないからな」

「唯一の共通項は被害者が皆ショットガンで脳みそをぶちまけられているってことだけか。多分、同一  犯、だよな?」

 鑑識の問いに矢内原は顔をしかめる。

「当たり前だ。人の頭を吹き飛ばす奴が何人も居てたまるか」

 そう言って彼は撥水性スーツの肩口を軽く払い、くるりと現場に背を向けた。少し現場周辺を歩いておこうと考えたのだ。

 ところどころにできた水たまりが街灯の明かりを反射していて地面の凸凹を露わにしている。雨水は行き場を探しながらベンチや自動販売機にまとわりついているようにみえる。葉を落としかけた木々のシルエットは長雨の冷気を貯め込みながら息をひそめているように感じられた。ふと振り返ると現場を遠巻きにする刑事達の傘が矢内原の目に入った。それらは一様に光をぬらぬらと反射していて、まるで深い谷底で発光するキノコの群れのように見えた。

 

   *   *   *


 私立探偵の今枝恭士郎いまえだ きょうしろうは、お門違いの依頼に少し苛立っていた。彼は唸り声とも溜息ともとれる吐息を漏らして依頼人に向き直った。

「……つまり、その可哀想な女の子を警護しろと?」

 今枝の問いに依頼人の青年が大きく頷く。

「はい。その通りです」

 依頼人は百貨店のスーツ売り場から出張してきたみたいに隙のない身なりをしていた。常に背筋を伸ばした姿勢を保ちマネキン人形のように無表情な青年は、こんなアンティーク家具に埋もれたような探偵事務所にはおよそ似つかわしくない。

 今枝は勘弁してくれといった風に首を振る。

「冗談じゃない。うちは警備会社じゃないぜ」

 しかし、依頼人の青年はしつこく食い下がる。

「お願いです。何とか受けて頂けませんでしょうか。頭の中に『とんでもないもの』が居ついているので す。可哀想だと思いませんか?」

 彼はそう言って自分のこめかみを指差した。

「それが分からない。何が入っているっていうんだ?」

 青年はじっと今枝の目を見る。そして相変わらずの無表情で口を開いた。

「スティモシーバーはご存知ですか?」

「え? なんだって?」

 今枝は自分の端末を引き寄せて今の会話からその言葉を検索した。今枝の『ナビ(使用者に代わってネット上の情報を集めて自動編集するアプリ。分身とも代行者とも呼ばれている)』は彼の性格を反映してウェブ上で集めてきた情報を要約する際に、ややこしい説明は省略し、皮肉めいた表現を重宝する傾向にあった。それによるとスティモシーバーとは、今から80年前の1963年にエール大学の教授ホセ・デルガードが開発した脳に埋め込むチップのことだった。デルガードは外部から信号を送り込むことで被験者の脳に微弱電流を流し、感情や肉体を操作する実験を何度も成功させている。だが、時代を先取りし過ぎたせいか彼の試みは学会に認められず彼の研究は闇に葬られてしまったという。

「なるほど。これは知らなかったな。だが、そのスティモ何とかは未完成となっているぞ?」

「表向きはそうなっています。当時、世間の拒絶反応は相当なものでしたから」

「この発明者の教授はアメリカから外国に逃れたみたいだが?」

「はい。ホセ・デルガード教授はスペインで密かに研究を続けてスティモシーバーを完成させたのです」

 それを聞いて今枝は首を振った。

「しかし、そんな何十年も前の機械だか装置だかが使い物になるのか?」

「勿論、技術は進歩していますから改良はされています。小型化は勿論、部品の有機化も。電源の確保や 非接触型受信の技術も採用されています。ですが、根幹となる構造は教授の造った原型のままです。そ れは誰にも作れない特殊な仕組みなのです」

「ロストテクノロジーということか? 信じられん」

「天才時計技師のルイ・ブレゲの例があるように教授は特別な存在だったのです。それと、教授の弟子達 が数多く行った臨床実験の賜物でもあります」

「弟子が居たのか! けど、臨床実験ってまさか……」

「ええ。一回の人体実験は何百回分の実験に匹敵することがあります。特にこの分野では」

 今枝は人体実験の様子を想像して少し身震いした。

「……それで、そのスティモ何とかが出回ると、どんな不都合があるんだ?」

 青年は軽く頷いてその質問に答える。

「これを悪用しようとする者が居ます。目的は分かりませんがテロや犯罪に使われる可能性が高いと我々 は考えています」

「我々……ね」

 今枝はじっと青年の目を見た。そして高額な報酬の出所は他にあるということを理解した。おそらく青年はスポンサーの代理でここに来たのだろう。

 沈黙を埋めるように振り子時計の音が時を刻む。雑然とした事務所内に何とも言えない空気が流れた。今枝がゆっくり足を組み替えるとソファの脚が大げさに軋んだ。青年が無言で今枝のソファと自らが座るソファを見比べる。不揃いなアンティーク家具は今枝がシャーロック・ホームズを意識して何年もかけて買い足してきたものだ。

 青年が背筋を伸ばして沈黙を破る。

「スティモシーバーが悪意ある人間の手に渡ることは絶対に阻止しなければなりません」

 今枝はやれやれといった風に首を振る。

「依頼内容を要約すると、女の子の脳に埋め込まれたスティモ何とかが悪の手に渡らないように見張って くれということか。泣けてくるぐらいリアリティのある話だな。どちらにしても頼む相手を間違えてい る。余所を当たってくれ」

 今枝の言葉に青年は表情を曇らせた。無表情な彼がはじめて見せた反応だ。

「このままだと、あの子は確実に頭を吹き飛ばされてしまいます」

「おいおい、物騒だな」

「お願いします。あの子をブレイン・ブレイカーから守ってください」

 そういって青年は胸ポケットから四つ折りのタブレット端末を取り出してローテーブルの上に広げた。その画面には四つのウインドゥが表示されていて、それぞれ別な動画を再生している。それはどれも世間を騒がせている連続殺人事件を報道する動画だった。

「これは……」

 戸惑う今枝に対して青年はそれらの動画について説明する。

「この一か月間に都内で発生した四つの連続殺人事件です。犯人は捕まっていません」

 青年は今枝の反応を確かめながら続ける。

「犯人は何れも至近距離からショットガンで被害者の頭を吹き飛ばしています。ヘッド・シューター、ブ レイン・クラッシャー、色んな言われ方をしているようですが、正確にはブレイン・ブレイカーと呼ば れています」

 そこで画面を眺めていた今枝の右眉が微かに反応した。

「まるで犯人を知っているかのような口ぶりだな」

「いいえ。そういう訳ではありませんが……」

 そういって青年は視線を落とした。何かを知っている。だが口にすることは出来ない、といった表情だ。

 今枝はタブレットに指先を乗せて映像をストップさせた。

「この映像。どこで手に入れた?」

 そこには被害者の遺体が映っている。青年は顔をあげて今枝の目を覗き込んだ。

「気付きましたか。映ったのはその一瞬だけだったんですけどね」

「これは捜査資料だろう。そっち方面の人間なのか?」

「いいえ。警察とは無関係です。もしそうなら護衛を私立探偵に頼んだりはしません」

 金に縁が無い今枝でも依頼人のスーツがかなりの高級品であることは分かる。他にも喋り方、身のこなし、どれをとっても料金が安いだけが取り柄の探偵事務所に縁がある人種でないことは明らかだ。

「なぜ俺を選んだ?」

 今枝の質問に青年は姿勢を正しながら答える。

「理由は三つあります。銃は扱えますね?」

 今枝が驚いて青年の顔を見る。どうやら彼は今枝の事を念入りに調べてあるらしい。となると、ある程度は警戒しなくてはならない。

 今枝は言葉を選びながら答える。

「否定はしない。が、肯定もしない」

 そんな半端な答えでも満足したのか青年は小さく頷く。そして二本の指を立てた。

「二つ目。頭が切れること」

「よしてくれ。買いかぶりすぎだよ。賢い奴はこんな商売なんて選ばないさ」

「いいえ、むしろ逆です。今の時代、素行調査抜きで探偵業として生計を立てられるなんて相当のことで すよ」

「嫌いなんだよ。誰が誰とくっつこうが離れようが知ったことじゃない。他人の色恋沙汰には興味が無い んだ。で、三つ目の理由は?」

「天涯孤独の身であること……です」

「なるほど。どうりで報酬が破格なわけだ」

 最初に青年が報酬を提示した時、桁を三つ間違えているのではないかと疑ったぐらいだ。今枝としては怖気付いたわけではないが首を突っ込むには相当なリスクがあるように思えた。『怪しい依頼』はハードボイルドの潤滑油だが、現実世界では死亡フラグでもある。

 青年は今枝が逡巡する様を眺めながらぽつりと口を開いた。

「申し訳ありませんが、もう選択の余地は無いようです」

「なに? どういうことだ?」

 きょとんとする今枝。それとは対照的に青年は無表情に振り返って窓の方向をチラリと見る。事務所内にひとつしかない窓は青年が座るソファの斜め後ろに位置する。彼は胸ポケットから小さな端末を取り出して何やら操作を行う。

「ああ、取り急ぎ修理代を払っておかないとなりませんね」

「修理代? 何の?」

「決まってるじゃないですか。この部屋の、ですよ」

 そこで今枝の端末のアラームが鳴った。入金を知らせる緑のランプに今枝が困惑する。

「意味がわから……」と、いいかけた次の瞬間、爆音が今枝の耳に覆い被さった。

 限度を超えた轟音は身体の自由を奪い去る。まるで金縛りにあったみたいに身体は硬直し、時間に置き去りにされてしまう。そして目の前の現実が視覚として無理やり頭にねじ込まれる。今枝の目に飛び込んできたのは、青年の背後が薙ぎ払われる様子だった。まるで彼のすぐ後ろを特急電車が通り過ぎるように自慢の調度品が背景ごと右手に押し流される。それと同時に猛烈に湧き出した煙にすべてが覆い隠されてしまう。

 飛んで来た破片におでこを打たれて「うっ!」と、今枝は正気を取り戻した。

 取りあえず音の暴威からは解放された。埃にむせながら辛うじて青年の姿を確認した。が、驚いたことに彼は数分前と同じ姿勢でソファに座って涼しい顔をしている。振り返ることもなく相変わらずの無表情で。それと比べて今枝は少なからず動揺していた。目を凝らして青年の背後に突如現れた物体を認識しようと試みる。それでも幾らかの時間を要した。そして物体の正体を知って驚愕した。

「トラックだと……ここは三階だぞ?」

 思い当たる節があるとしたら細い路地を隔てて建つ古い商業施設だ。確か立体駐車場が隣接していたようにも記憶している。となると、そこから飛び出してきた可能性が高い。現に窓が存在していた箇所は壁ごと吹き飛ばされて外が丸見えの状態になっている。

 今枝が埃を乱暴に払いながら渋い顔をする。

「宅配便にしては荒っぽい。まさか狙い撃ちじゃないだろうな」

 その口調には青年に対する皮肉が含まれていた。こうなることを知っていたのではないかという疑いの目で今枝は青年を睨んだ。が、青年は顔色一つ変えずにいう。

「どうします? 警察の到着を待ちますか?」

 まるで想定内といった風に冷静な口調だ。今枝にはそれが気に食わない。何だか自分だけが狼狽えているようでプライドを傷つけられた。

「フン。それも面倒だな。どうせ警察が出す結論は決まってる。『事故』さ。奴らは自分たちの都合で事 件性の有り無しを決めやがるからな。ワンパターンなんだ」

 ちょっとした対抗心で今枝はそう毒づいてみせた。

 すると青年は表情を変えずに小さく頷く。

「同感です。何時間、事情徴収されたとしても結論は変わらないでしょうね」

「ああ。奴らの暇つぶしに付き合う義理は無い」

「それでは場所を変えましょう」

「わかった。それで、この後どうする」

「早速、保護対象者に会っていただきます」

 そういって青年はすっと垂直に立ち上がった。その様子は操り人形が吊り上げられるような違和感を今枝に持たせた。つくづく妙な男だと思いながら今枝が渋々了承する。

「保護対象者か……頭の中に妙な装置を埋め込まれた少女、だな?」

「はい。スティモシーバーを埋め込まれた可愛そうな女の子です」

 今枝がやれやれといった風に首を振る。

「チッ、うまく嵌められたな」

 そういって首を竦める今枝を見て青年が少し首を傾げた。

「嵌められた? それはどういう意味ですか? 決してそのような意図は……」

「いいんだ。気にするな」

 そういって今枝はクローゼットのあった場所をチラリと見た。そして勝負服であるツィードのジャケットを諦めた。何事も形から入る今枝にとってテンションを上げるのに必要なアイテムが欠けてしまうことは痛手だ。しかし、確実に迫ってくる警察車両のサイレン音は、大事件の終わりではなく、途轍もなくハードな何かのはじまりを示唆しているように感じられた。


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