007 貴方の心が正しいと感じることを行いなさい。行なえば非難されるだろうが、行なわなければ、やはり非難されるのだから。 エリノア=ルーズベルト
しかし彼女の言葉の通りならば、普通の人間らしく普通に歩いて普通に門を潜って森に入ったのでは森で遊んでいるという子供が最早帰路に立っている可能性が高いのは否めないだろうことは考えるまでも無いことだった。
故にエフォーは人間の皮を被るのを止めて行動することにした。
普通に行って間に合わないのであれば最短ルートで行けば良い、エフォーはこの場から女ルーリナに教えて貰った左の森へ一直線に、つまりは街壁を超えての森へ入場する。
左の森正面の街壁までは結構距離があった、エフォーの現在位置が街の中心を線で城と繋ぐようにしてある表街道から少し外れただけの公園のベンチであったのだからそれは必然といえようが、これは歩いてそこまで辿り着くとするならば何十分掛かるか分かったものではなかった。
だからエフォーは歩くのも止めた。
町を壊さない程度の力で地を蹴って、一歩で一〇〇メートルは軽く距離を稼ぐ最早飛行に近い走法で街中を飛び回った。
途中何度か地面を歩く人達を踏みつけそうになりながらも顔を見られないよう心がけ、目立たない事は諦めながらも身バレしないことは諦めずに空をも蹴った。
後の展開によっては顔と共に晒すことになるかもしれない〈星粒子〉の使用を限りなく最小限に抑え、具体的に言えば人を踏んづけてしまいそうになった際の足場にする以外は使わないという縛りを設けても、街壁に辿り着くまでに二分と掛からなかった。
「ヘブシッ!?」
そして何故か上手く止まることが出来ずに街壁に全身を強打することによって静止したエフォーはそのまま街壁の麓までずり落ちる。
「え? え? 何で? 何故? どうして?」
機体ダメージは無い、だが精密にして正確な機械たらんとしているエフォーのメンタルには多大なダメージを与えると同時に自己の制御系に異常を来している可能性を考慮しメディカルチェックに入る。
そもそも、長距離探知機能を兼ね備えたエフォーが、着地点に人影がある場所を選択していた、なんていう有り得る筈の無い出来事が起きてしまった時点で既にエフォーのメディカルチェックは決定されていた。
完全自立型兵器たるエフォーはメディカルチェックから自己修復まで自己の機能として搭載された装置によって実行可能であり、その機能性は絶対だ、自己成長プログラムが組み込まれており、エフォー本人とは全く無関係なところでも成長を続けるAIが存在するのだ。
ちなみに、チェックする最中にも行動を停止する必要は無い。
完全にチェックが終了するまでには約一〇秒という短い時間しか掛からない為にチェックが終わってからの行動開始を推奨されてはいるものの、アルミラージとの戦闘中であればその一〇秒が命取りになるのは言わずもかなで、そんなものを守る者も少なかった。
ただ今現在はその一〇秒が命取りという訳でも無い。
エフォーは結果を待ってから再度行動に移すことにする。
『異常無し』
そしてこれがチェックの結果だった、自己修復機能も動いていない。
「……座標計算をミスっただけかな」
エフォーの座標計算とはその一個体の移動速度、着地時の位置取りまで予測し計算された着地点の割り出しであり、その正確さは限りなく一〇〇パーセントに近い。
否、今回の場合はイレギェラーもあった為、確率はもっと低い物であった。
そもそも世界が違うのだから、エフォーの常識内での計算から導き出された答えでは齟齬が出ない方がおかしい、人種も文化も言葉も文字も何一つ一致していないのに何故行動パターンは同じであると言えるのか。
正しい結論を出すには、この世界に適応したアップグレードが必要であることに気付いたエフォーは、この件が片付いたらこの世界用のプログラムを組み立てることを決める。
兎にも角にも今は異常が無い事は分かったのだから、今どうしようもないことはさて置き行動に移さなければならない。
「……よいしょ!」
エフォーは事も無げに飛び上がり街壁を軽々と飛び越えた。
街壁の上にエフォーを目撃出来る位置取りで人間が居ないことは確認済みで、全く無駄の無い動きでそのまま左の森へ一直線に降下する。
そして下は木と土の為そのまま着地しても何ら問題は無かったが、〈星粒子〉を振り撒き全くの無音で地面に降り立った。
「さてっと。子供~子供は何処か~悪い子は~何処か~」
エフォーは探査の範囲を広げ、周囲の完全把握を試みてそして、反応を見付ける。
人間の反応が六つ、そしてその近くに人外の反応が一つ。
余り良い予感のする構図では無かった。場所はすぐ近く、エフォーは考えるより先に足を動かしていた、そしてその時、子供に会ってどうするつもりだったのかを完全に忘れており、人間の行動として表現するのであればそれは“体が勝手に動いていた”というものだった。
エフォーは人間至上主義を否定する。
人はどんなに言葉を並べても自分が他の動物よりも優れている、上位種だと考えて疑わない。
ユダヤ・キリスト教の創造観(人間中心主義)に置いても「人間は自然を支配することを神から許されている」等と言う世迷言が信じられ、支持されていたが、コレは所詮宗教が人間の都合によって生み出された依存の対象でしかないと、考えることを放棄し、悪行であっても許されるのだと盲信させる為の方便を作り出すシステムに過ぎないのだと、そういうことの表れだった。
エフォーにとって、人が動物に食われるのはただの動物界の掟たる弱肉強食である。
人は動物を食うのに、動物が人を食ってはいけない道理がどこにあるというのか。
その為エフォーは、『モンスターに食われそうになったところを助けて貰った』というものを善であるように描写する文献への共感が出来なかった。
食うか食われるかの関係に、善悪などあるものか。
「……だ、だれ、か……!」
「たす……たす……け」
けれども、勝手に体が動いて辿り着いたそこで恐怖の余り体が竦んで動けなくなった子供達を、全長五メートルはあろう刺々しく黒々した堅い皮膚に覆われた巨大な狼が喰いつかんとしている光景を前にして子供達を助けないという選択肢は、エフォーの中に生まれ出でなかった。
思考の矛盾、機械でありながら矛盾を放置している自覚はエフォーにもあった。
でも目の前で、涙も出ない程の恐怖に苛まれた子供達を見て動かないことはエフォーには出来なかった。
“貴方の心が正しいと感じることを行いなさい。行なえば非難されるだろうが、行なわなければ、やはり非難されるのだから。”とエリノア=ルーズベルトは言った。
正しいとは、感じられない。しかし行動して非難されるだけで子供達を救うことに大義名分を持てるのならば、とエフォーは思う、非難されるという結果が同じなら自分の思うとおりにしろという言葉にはエフォーの行動に結びつかせる力があった。
◆◆◆
子供達と、狼の間に『ソレ』は立った。
子供達に背を向けて、狼に目を向ける。
そんな唐突過ぎる『ソレ』の登場に驚いたのは子供達では無く、狼のほうだった、目の前にいるこの自分の獲物と同じ形の生き物は、同じ形をしているだけの完全に別種の生き物であると目にした瞬間に分かったからだ。
全身から汗を噴き出すのもまた、狼だった。
自分より小さい恰好の獲物である筈の『ソレ』は、絶対に手を出してはならない何かだと本能が全身全霊を持って警告している。
体が動かない、逃げても無駄だと悟らされると同時に、突然重力が一〇〇倍にでもなったかのように身体は重く、先程まで飯に有り付こうとして唾液を垂らしていた口の中は砂漠を歩いている時のようにカラカラに乾いている。
「失せろ」
そんな『ソレ』の鳴き声に狼は自分が威嚇されているのだと知る。
威嚇なんかされるまでも無く全身は竦み上がっているというのに、この生き物は緊張で肉を固くしてから喰らう趣味でもあるというのか、それとも肉の固さなんてまるで気にする必要のない顎の力を持ち合わせているのか。
「行け」
そう鳴いた『ソレ』の威圧が、一瞬揺らいだ。
格上の相手であってもその気が逸れた一瞬は攻撃のチャンスであることは言うまでもないことだが、狼の中に喉仏へ喰らいつくという選択肢は微塵も無かった。
駆けた。
一心不乱に、その場から離れる為だけに自慢の脚を動かして森からも逃げ出す勢いで走り出した。
『ソレ』にだけは手を出してはならない。
『ソレ』を前にした狼だけじゃない、周辺に居た『ソレ』と同じ形の生物以外は出来る限り『ソレ』との距離を置いた。
うーん……微妙……。
時間があれば改変したいところです。