003 あまり人を理解できるとは思わない。わかるのは、好きか嫌いかだけだ。 E=M=フォースター
エフォーは横フックのようにして殴られ横にずれた顔の向きを元に戻しながら手を出してきた鎧の男を身長で負けている故に上目使いになりながらも初冬のように冷え切った無表情の中に理不尽を許さないという鋭い眼で突き刺した。
「おい! 返事が聞こえないぞ!」
(いや、何で『何だその返事は(失笑)』から『返事が聞こえないぞ(冷笑)』に繋がるんだ)
鎧の男はエフォーから向けられた抉り取るような鋭い視線に気付かない。
いや、上司たるローブの男達が居なくなった瞬間に偉ぶる下らない優越感に浸りたいだけの天狗には気付けないのだ。
再度、顔を殴られる。さっきは右だったが今度は左だ。
右の頬を打たれたら左の頬を差し出せというが、どちらにしてもダメージは無いのだから余り変わらないのではないか? 等とエフォーは考えていた。
正直言って、ダメージは皆無といって良い。
むしろエフォーがワザと顔を横に逸らすことで殴られた衝撃を殺さなかった場合にダメージを受けていたのはむしろ鎧の男の拳だ、力加減にもよるだろうが容赦のない拳であった為にまず間違いなく拳が砕けていただろう。
殴られて、声の一つもでないのはダメージがゼロなことと、状況が読み込めないことが要因している。
本来であればそんなことをせず因果往訪という言葉の元、鎧の男には砕けて頂いたのだろうが、エフォーは嫌いな我慢を無駄に出来る性格では無く、一度我慢するなら我慢に我慢を重ねて最後まで我慢を貫いて結果を得ようとするタイプ。
状況が読めずとも、どんなシチュエーションであれこの男が怪我をすればこの人間達が理不尽な怒りを此方に向けてくることは容易に想像出来たし、“あまり人を理解できるとは思わない。わかるのは、好きか嫌いかだけだ。”とエドワード=モーガン=フォースターは言った。
同じ人間ですら理解する事を諦めなければいけないというのに、兵器に何が分かるというのだろう。
「お前は目上を敬う事も出来ないのか? クズが」
だから目の前にいるこの鎧の男が如何に傲慢な態度を取ってもやり返さず受け流した訳なのだが、コイツの言う目上の人間とは誰の事だろうとエフォーは思う。
元々エフォーの立場上、敬意を持って接することを義務付けられた相手は存在せず相手を敬おうという意思を持って初めてそれを態度にして表すのが普通で、この目の前に居る兵士を名乗っている癖に脆弱、高い地位を持たぬ癖に傲慢な鎧の男に対し敬意が生まれることなど有り得る筈も無かった。
まあしかし、文脈からこの男が『俺を敬え』と言っているのは分かったのだ、こんな奴に自分の頑張りを無駄にされるのも面白くない訳で、エフォーは特に感慨も無く、上面だけの感情も何も無い敬意を鎧の男に示して見せる。
「はい」
「『すみませんでした』が、抜けてんだよ!」
しかしそういった態度を見せてみれば相手は増長し、敬意を持った態度を白々しくもして見せたエフォーに対し暴言と腹部に蹴りを入れる。
エフォーは大袈裟に倒れると相手に演技とは全く思わせないような自然さで咳き込んで見せた。
「すみませんでした」
「ケッ、何時まで座ってんだ鈍間」
鎧の男はそれ以上何も言わずに歩きだし、エフォーは立ち上がるとそれに続く。
周囲の、鎧の男と同じ格好をした者達はまるでこの光景が何時ものことだと言わんばかりの静観で、ローブの男達が部屋を出て行った時点で解散を始めている。
何故そんな緊張感の無い行動が出来るのだろう、目の前にいる男が鎧の男の行動に激怒し牙を向かないと言い切れる根拠は何処にもないというのに何故、何もしないという選択肢を鰓ことが出来るのか。
鎧の男も鎧の男で、エフォーは最後の謝罪に実験の意味合いを持たせていたのだが、呆れる結果に終わっているのだ
(最後の謝罪は、見る人が見れば明らかに意思が籠ってなかったっていうのに、それにも気づいて無い。支配欲を満たしたいだけの雑魚か)
鎧の男の態度を見た時点で意味が無いとは思いつつ、ついつい鎧の男の分析をしていたエフォーだが、何度思考しても今後コイツが有用性を見せる可能性はゼロだろうという結論に落ち着く。
だが何故こいつ等は他人よりも上だと認識できるのだろう、エフォーはその点が疑問に思えて仕方が無かったが、結論は出なかった。
廊下に出て、横に広く赤い絨毯と金で装飾された白い壁の長い道を見たエフォーは、現在地が恐らく王政であろうこの国のトップが君臨する王城の何処かであろうと予想を立てた。
このような無駄に金の掛けられた廊下をただの研究施設に設ける必要は無く、ローブの男達のような人種が統治する国に一個人がここまで財産を持てる環境があるとは思えなかった、そうなると消去法で見栄を張る為にトップが立派に造るとすれば城位だろうということだ。
移動中、エフォーと鎧の男の間に会話は無い。
エフォーから喋り出すことは当たり前の様になく、鎧の男が沈黙したままの為にそんな状況が作り出され、そんな中で案内されたのは、無駄に豪華な城の内装に見合わない質素な個室だった。
牢の可能性も考慮に入れていたエフォーからしてみれば何の問題も無い部屋だったが、鎧の男は何を思ったか「お前にはここで十分だ」と言い、少し考えてコイツは命令と違う場所に自分を案内したのだと気付く。
感情で命令を無視する意味がまるで理解出来ないエフォーは鎧の男が無能なのだと考えるまでも無く早々に納得してすぐにオサラバするだろうと予想される部屋の中に足を踏み入れる。
「部屋から出るなよ!」
「分かりました」
(まあ出るけどね)
エフォーの予定の中に部屋の中で待ち惚ける時間なんて一秒たりとも無かった。人間の一般的生活リズムから予測される行動を計算し行動可能な時間を叩き出す。
今回の場合、エフォーの居場所を知っているのがあの鎧の男だけという利点もあり、鉄と鉄のぶつかり合う分かりやすすぎる足音が聞こえなくなった時点で『国王』というカテゴリに属す人間が他者と謁見するのに使用する時間を予測演算すれば良い訳だ。
言葉は七〇〇〇言語の内の一つに当てはまった様でやり取り可能だったようだが、文字はどうか。
そう考えると城内で書物庫等、何かの情報端末が存在する場所を探すのがセオリーだろうか。
しかし、エフォーはそんな考えを投げ捨てて、窓を音も無く開くと次の瞬間には窓枠を蹴った。
何が悲しくてこんな差別と偏見に満ち溢れた場所でコソコソ隠れながら情報収集しなければならないというのか、エフォーには理解出来なかった。
“あまり多くを求めないことだ。とくに他人に対しては。”とはレオ=C=ローステンの言葉であり、エフォーは城に居る人間からはここ以外でも得られるだろう何かを得ようと思う気持ち自体を諦めた。
我慢したことによって得られるものは無いに等しいだろうと思うと苛立ちめいた感情が頭を廻るが、此方の事情を考えず自分の意見の身を押し付けてくる人間が此方に情報を与えてくれるというおめでたい考えを持ったのが愚かだったのだ。
ここのことを聞くのなら、ここの人間に聞くのが一番良いに決まっている。
しかし、城内の人間に話の分かる奴が居るとはエフォーには思えなかった。
だから城の外へ出なければならない。
窓の外は太陽に照らされてまだ明るい。
太陽、星の位置と気温的から樺見るに季節は秋、時刻的には午後四時位といったところだろう、そして周囲に生体反応が無い事は部屋に入った時点で確認済み、現在地が三階であるということも。
案内された部屋の窓からは草花で飾り付けされた裏庭があり、その奥には三階であるここよりも少し高い城壁があった。
エフォーは裏庭に下りる為下へ飛んだのではなく、城壁を超える為に上へ飛んだ。
その距離は少なく見積もって一〇〇メートル存在し、着地点は今いる場所よりも高い。
だから普通なら一度の跳躍で城壁を乗り越えようなどとはせず、なんとか下に降りて城の外へ出る方法を模索するものなのだ。
そもそもの問題として人間の跳躍で乗り越えられる城壁など、有る必要性自体が無くなってしまうのだから。
しかしエフォーは飛んだ。助走せず、音を殺して飛んだのだ。
光る粒子を放ちながら。