縁側ライフです。
僕の家の南端にある廊下、そこで足の爪を切っている。
ウチの家族はその場所を「縁側」と呼ぶ。日差しがよく入るので、晴れの日は冬でも暖かい場所だ。
ガラス戸の向こう側には、苔の生えた小さな石庭。その石たちに守られるように、一本の梅の木が佇んでいる。
十七年間その景色を見てきたけど、未だに飽きが来ない。まさに絶景だ。
季節はようやく春の空気を町に送り込んできた。今日は土曜日。相変わらず心地よい日差しが降り注いでいる。
僕は大きく伸びをしてみた。思わず後ろに仰け反ってしまい、柱に後頭部、ちょうどつむじの辺りをぶつける。
「い、痛たた……」
だけど、今日はそんな痛みも心地よい。
今週は何かと忙しかった。何が忙しかったかなんて思い出せない程、忙しかった。ただ、今日と明日は学校もお休み。のんびりと爪切りができる。
今はそれで十分だ。
少し癖になり、何度か柱に頭をコツコツさせた。その後、下に敷いた新聞紙の上に右足を置く。そして親指に爪切りの刃を添えた。親指の、一見強く見えるその爪も、爪切りによって無残に身体から切り離される。
「ありがとうな……」
こんな言葉が出たのは、単に今日機嫌が良いからだけではない。役目を終えた爪に対して、感謝の気持ちがあったから。
「よく逃げ出す人の足は、深爪にするの。足の爪がないと、立つ時に力が入らないからね」
以前、老人介護施設で働く姉がそう言っていた。
そう。この爪は僕が立つ事、歩いたり走ったりする事を影から支えてくれていたのだ。
左足を見る。
僕と共に生きている爪、つい先程死んでしまった爪を見比べ、「生」と「死」はこんなに近くにあるんだと実感させられる。
ふと、「メメント モリ」という言葉を思い出した。
ラテン語で「自分がいつか死ぬ事を忘れるな」という警句だ。古代のローマ人たちは「陽気になろう。我々は明日死ぬのだから」と言って士気を高めていたとかいないとか。
「まーた、こんなとこにいるよ~。呑気に爪切りなんかしちゃってさ」
姉だ。住居用ワイパーを片手に持ち、僕を見下げていた。ほんと、見た目は小柄で僕より下にさえ見えるのに、口を開けばやはり口うるさい姉なんだと実感する。
「色々考えながら切ってたんだよ」
「へぇ~。何考えてたの?」
「……特には」
「やっぱ考えてないんじゃん。あんまりボーっとしてると指切っちゃうよ?」
「わーってるよ」
何考えてるかなんて……こっ恥ずかしくて言えやしない。
ガラス戸の外、梅の木が白い花で着飾っている。そこから、数枚の花弁が儚く落ちていく。
枝に一羽の小鳥がとまる。あれはメジロだろうか。緑色の頭を動かし、一生懸命花の蜜を吸っている。
僕たちは皆いつかは死ぬ。だからこそ「今」を楽しく生きていきたい。
「終わったら早くよけてっ。そこも掃除するから」
「へいへい」
姉に追い払われる形で、急いで新聞紙を丸めて立ち上がる。
「いっ、痛っ!」
足の裏に小さな痛みが走る。見てみると、さっき切った爪の一つだった。
役目を終えたはずの爪も、今を生きようとしているのかもしれない。
そんな事を思わせる、春の日の縁側だった。
掌編、短編含め、私の四作目です。
『縁側で生と死について考える』というのがタイトルの由来です(汗)




