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逆歩行

作者: 夜葉憂人


 時折、風景が流れてくる。前から後ろへ、ゆっくりと。

 それらは、いつかどこかで見たような、懐かしいものばかり。

 私は君と、道なき道を歩いていた。

  



ここは寂しい。ただ単に人がいないからなのか、それとも、空が灰色だからそう感じただけなのか、わからない。くすみ、ぼろぼろになった駅の改札口、倒壊し、瓦礫となったビルを横目に見ながら、私は裂けたアスファルトの上を歩いていた。

正面の視界は白く靄がかかり、遠くまで見通すことができない。霧、だろうか。その中から、景色が幾重に現れ、ゆっくりと流れていく。

「時間が止まっているみたい」

私のつぶやきが空の街に染み入る。隣に寄り添う君はなにも答えない。つないだ手を、私はそっと離した。

この世界には誰もいないのかな。まるで夢を見ているみたいに、ふわふわと現実味がなくて、あやふやな世界だった。

「ねぇ。どうして私をこんなところに連れてきたの?」

君は、眠ってしまったかのように、私からの問いに答えなかった。まぁいいわ、じぶんで探しますから。そう独り語ちて、私は前を向いた。君の手を取り、目の前に転がる信号機を踏み越え、まっすぐ大通りを進んでいく。

そこで私は、何か聴こえてくる事に気付いた。

女性のすすり泣くような声。しばらくして、道の右端、白い靄の中から人影が二つ流れ出てきた。四十代くらいの男性と女性だった。二人とも喪服を身に纏い、男性は悔しそうな哀しそうな表情を浮かべ、女性の肩に手を置いている。女性は両腕で人形を抱きながら、嗚咽混じりに、声を押し殺して泣いていた。

その姿を眺めていた私は、ぼんやりと、人間らしいなぁと思った。心の隅ですこしの安堵があった。私は歩みを止めず、去ろうとする。しかし、男性に声を掛けられてしまった。

きみは……。

その声はしわがれていたけれど、低く、よく通る声だった。焦点の定まらない瞳をこちらに向けて、彼は言った。

どこへ……行くんだい。

変なことを言う人だ。この道を真っ直ぐ進むほか、無いじゃない。私がそう言うと、彼はそれきり話しかけてこなくなった。俯いて、女性の震える肩を抱いた。二人が風景に重なり、徐々に溶けていく。

「行こう」

私は君にしか聞こえないような声で、言った。なぜだか、胸のあたりがチクチクと疼いていた。自然に、進む足が早くなってしまう。私は携帯電話を取り出すと、それを地面に放り捨て、蹴とばした。カランカランと、無機質な音が響く。

君は、黙って私の後をついてくる。

私はその姿を見て、繋いだ左手の力を緩め、ため息を吐いた。

 

空では星が瞬いていた。知らない間に夜になっていたらしい。ここに来たときは太陽こそ出ていなかったけれど、暖かかったから、昼と夜は存在するみたいだ。時間の流れがある。

先ほどまで連なっていた高層ビルや電波塔の影は、もうこの辺りになく、左右の道沿いには、所狭しと住宅が並んでいた。どの家からも灯りが窺える。その一つ一つの場所には、人がいる。誰かの、魂が存在する。光が優しく見えるのは、そのせいだと私は思った。

あの時の風景が浮かんでくる。深い霧の中に、少女が一人、佇んでいるのが見えた。

昔、暗がりの中を一人で歩くのが怖くて、私はいつも君と一緒だった。私の家は、みんなのいる公園から遠くて、森の中にあるから、遊び終わるとみんなは一緒に帰って、方向の違う私だけが一人残っていた。そして大抵の日は帰り道の途中で暗くなり、電灯もない木々の枝垂れに囲まれた坂道を、ぽつりぽつり歩いていく。私は大丈夫。辛くない。いつものことよ。私はひとり言い聞かせた。

でも君が、私が出掛けた日には必ず、同じ場所で待っていてくれた。あたりまえのように手を挙げて、君は私の名前を呼ぶ。

「×××××」


 あの頃の私は、君といるのがとても楽しかった。

 十年の月日が流れ、今でも勿論楽しいけれど、昔のように、はしゃぐことは少なくなった。

 あの時代に戻りたい。

 何も考えず生きていたあの頃に。



私と君が出会ったのは、とある人形屋だった。田舎の町中、商店街で見つけたその古びた人形屋には、和・洋、揃った人形たちが、ずらりと並んでいた。ケースにも入れられず、人形たちは埃を被っている。私は母親と二人きりだった。そのとき、君はまだいなかった。

記憶の中の景色が、今の風景に変わっていく。そこに映る少女ははしゃいで、店内を物色していた。

「この人形かわいい!」

傍にいた女性が、おろおろとした様子でなだめている。

少女は、本当に楽しそうに笑っていた。色んな人形を手に取り、パタパタと歩きまわる。

 どうしてだろう? なんであんなに輝いて見えるんだろう?

 あれは、いつかの私なのに。

いい加減にしなさいよ。だって、みんなかわいいよ! わかるけど、ちょっと静かにして。恥ずかしいじゃない。えー、だれもいないよー? ほら、あそこの入り口に……あれ?

女性は首を傾げた。一瞬、私と目が合ったような気がしたけれど、すぐに逸れてしまった。見えないんだ。私のことが。

「この服もきれいね!」

店頭に並ぶ、ひときわ大きな人形をしげしげと眺めて、少女は言う。

「わたし、いつか……こんな服を作れるようになりたい」

そういえば、そんな事も考えていたっけ。

「それが、わたしの夢なの」

私は、忘れてしまっていた。

ふと、隣で空気が揺れる。君はひたすら、彼女を見つめていた。その目は昔と変わらず、透明で綺麗な瞳だった。君は、変わらないね。あの日、君と出会った日から、もう随分と経った。私はその時間の中で、他人の大きな流れに飲まれて、自分を見失っていたんだ。私は変わってしまった。無理に他人に合わせたり、人の会話を必要以上に気にしたり。つまらない人間になってしまった。なんだか、君がうらやましい。強い君のことが、うらやましい。

この世界に逃げてきた私とは大違い。こんな私の姿は、君にも、あの少女にも、知られたくなかった。もっと強く生きていればよかった。今更後悔する。いままでの時間、私の人生は、全部無駄だったんじゃない? やり直しはできない。何もかも遅すぎるんじゃないの? そんな思いで、胸が締めつけられるようだった。

君が笑う。

それは、まだ大丈夫、と言ってくれているみたいだった。

そろそろ帰るわよ。彼女の母親が言った。

「もうちょっと見たーい」

早くしないとバスが来るわ。

「……欲しい」

……お気に入りが見つかったの? 

「まだ……」

……そう。決まったら言って。なるべく早くしてね。

私はあまりモノを欲しがることはしなかったから、珍しかったのだろうと思う。母親は、私が選ぶのを待っていてくれた。

この後、確か私は、一つの人形を決めて、買ってもらうんだ。

そしてこれからは多分、私の想像通りだ。確信する。人形をあげるのは、私自身だということ。なぜなら、私がここで見つけた人形は――。

私は迷った。もしここで何もしなかったら、少女はどうなるんだろう。

私はどうなるんだろう。

「……どれにしようかな」

とぼとぼと、少女が私に近づいてくる。

この人形をあげなければ、この少女の運命も、変わるはず。そうすればきっと――。

「……違う」

違う。違うんだ。もしもの私なんていない。それは、すべてを台無しにするのと一緒だ。彼女がいたから、私がいるというのに。

経験したすべての出来事、思い出を無くすことなんて、私にはできない。したくない。だから――。

「バイバイ。また、よろしくね」

私はさよならを告げて、君を、空いている棚の上に載せた。しばらくして、棚を眺めていた少女は、ハッと目を輝かせた。

「あれがいい!」

そして、ひとつの人形を指差した。




 時折、風景が流れてくる。前から後ろへ、ゆっくりと。

 それらは、見たこともないような、新しいものばかり。

 私はひとり、前を向いて歩いていた。




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