当日のこと 【Ⅵ】
「朝ごはん、出来ていますから、食べていってくださいね」
洗面台で、鏡を見ながら佇んでいると、小夜李さんが声をかけて来た。
小夜李さんは、ここの神社の巫女さんを一人でやっている。
その小夜李さんは、現十三の俺から見ても分かるほどとても美人だと思う。
髪は、腰の所までと長く、その黒髪を一本に束ねている。
背はとても高いほうでもなく、だけど低いほうでもない。
顔立ちもよく、体格も全体的にスラリとしていて。
性格は、おしとやかで、それ何に、物事をはきはきと言う。
だからか、見た目と性格で、近所では、洸凪の大和撫子と言われていたりもする。
そして、約三年前程から突然この家にやってきた俺に、いつでも優しくしてくれる。だからか、なんとなく、もし自分に姉がいたとしたら、こんな人がいいな。と思っていたりもしている。
「あっ、はい、食べていきます」
いくら今が急がなくてはいけない時でも、ここに住まわせてもらっている上に、せっかく作ってくれたご飯を無駄にするような無粋なやつになった覚えは無いのだ。
顔をゆすいで、タオルで水をふき取ると、早歩きで居間へと向かう。
◎ ◎ ◎
時計を凝視ながら、ご飯に鮭の焼き魚をのせて味噌汁を上にかける。そして口に鮭味噌汁ご飯を流し込んでいると、後ろに気配が!
「朝から小夜李さんが手間を掛けて作ったご飯をそのように粗末して食べるではないわ!」
そんな罵声を浴びせながら、思いっきりスリッパで人の後頭部を殴ってくるこの人は斎蔵さんである。
斎蔵さんは、ここの神社の神主で、いつも熱心にその事を自慢げに話すような人だ。
「グォ、ガッハッ、ゲホッ、ゲホッ」
危うく、小夜李さんの目の前で、鼻から、何かが出て来そうになったじゃないか!
「ふんっ、そのまま吹き出しておったら、次はこのわしの長年に鍛え上げられたこの腕が鳴ることになるからのぉ~」
なぜ最後の語尾を伸ばしたのかよく分からないが、自慢の、細い腕を掲げているこのお爺さんは、少し小柄で、俺よりも小さいくらい。
肌は、全体的に焦げ茶色と、真夏のビーチのど真ん中に立っているおじさんのように焦げていて、その肌の至る所に、皺が見られる。
年もすでに、五十は過ぎているだろうに、なぜこんなに元気なのかと、若い俺からの、ささやかな憧れだったりする。
「いや、斎蔵さんがいきなりに後頭部を殴るからでしょ! 絶対に斎蔵おじいさんが悪いと思うよ!」
俺も、相手が年配者という事をあまり考慮しないで、声のボリュームをいつもより大きくして必死に言い返す。
斎蔵さんは、たまに自身の愛用のスリッパでゴキブリを殺す。そして、その愛用スリッパで俺も……。そう考えると、流石に、ムッとくる。
そして、斎蔵さんは自分の事をおじさん扱いすると、決まってこう答える。
「わしはどう見たって、凛々しく、ハンサムな、お兄さんじゃろぉう! 多恵子も死ぬ間際まで言って折ったぞ、『あなたはいつまでたっても凛々しくて、ハンサムな、お人ね~』とな。」
先ほどまで、少々頭に血管を浮かべていたにもかかわらず、今の言葉には、怒りではなく笑顔、まるで物思いにふけっているような顔をして、すらっと語った。
この人は、いつまでも夢を追いかけるおじいさんなのである。
斎蔵さんが言っている、多恵子さんとは、どうやら斎蔵さんの奥さんらしい。俺がこっちに来る前に他界してしまったとか何とかで会ったことは一度も無い。写真では見たことがあるが、これがあまりにも小夜李さんそっくりで、始めその二枚の写真を見比べた時は一瞬小夜子さんをモノクロとカラーの両方でわざわざ撮って来たのかと思うほどだった……。
「そうですね……」
と、適当に対応しておく。
「あら、風季君? 時間は大丈夫なのかしら?」
ふと、小夜李さんに言われて、壁にかけてある、丸時計を見てみると、大体午前八時十分をさしている。
「ぶっ! ゲホッ、ゲッホッ」
つい噴出してしま……。
「覚悟!」
という罵声と共に、後頭部を思いっきりその手で平手打ちされた。
そのまま、危うく食器の上に顔から突っ込むところをぎりぎりこらえて、ふと、我に返ったようにのこって入る麦茶を飲み干すと、『ご馳走さまでした』といい、立ち上がって食器を洗面台へと持っていってから、リュックをしょって、居間を後にする。
―登場人物―
犬坂 風季 (いぬさか ふき)
蘆屋 斎蔵 (あしや さいぞう)
蘆屋 小夜李 (あしや こより)
―以上―