仮見学の一日目 【Ⅰ】
書写 犬坂 風季
「さて、まずは何処から見て行こうか?」
俺は両手に見開き全八ページの薄い紙の束、【霞原学校を知ろう!】という何とも芸の無い題名を付けられているパンフレットに目を通しながら呟いた。
このパンフレットを受け取ったのは少し前、午前十時を過ぎ、賀茂先生がその日の授業を終え、お開きにした後だった。
青葉と俺が教室に到着したのはそのお開きになるほんの少し前、席に着いてすぐにチャイムが鳴っていたので、残り五分程も無かったと思う。
「そうだな、まずは俺の妹が今何をしているのか気になってしょうがない、よし、妹を見に小学校に行くとしよう」
と、倖平が力強く俺の妹を一緒にストーかしないか? と誘ってくるが。
「まずは警察か、病院がいいだろう」
と、千東がその眼鏡の奥の瞳に哀れみの心を見せながら呟いた。
「いや、部活ね、部活、部活めぐりね」
そこで俺は、部活を激しく強調しながら、二人の前でパンフレットを、パンッ、と叩いて見せる。
このパンフレットは、授業が終わった後倖平から渡された。『私は授業が終わったら帰る。だからね、後は頼んだわ』と、賀茂先生にこれを俺に渡すように頼まれたそうだ。
「いや、冗談に決まっているだろう、お前は残念なやつだな」
千東は、高々と俺を見下ろしながら、その眼鏡の奥の瞳に、哀れみと、そして嘲笑うかのような心を垣間見せながらも呟いた。
その後に続いて倖平が言う。
「いや、俺は冗談なんか言っていないからな、まじめだぜ」
「そう、うん。……でね、まずは何処から見て回ろうか?」
色々言いたい事を心に推し留め、話を進めようと右手に掴んでいたパンフレットを開けて、四ページを開ける。四ページからは部活動とサークル活動の名前が左右に分かれてずらりと記されていた。
多すぎるな……。それにサークル活動、そんなものまでこの学校にある事を俺は知らなかった。
それに……。
「なぁ、それと、仮見学ってなんだろうな? 普通仮入部って言うんじゃないのかね」
と、発言した瞬間、背中に冷たいものが流れた。二人は意思して答えない。徐々に空気が重くなっていく。俺は耐えきれず。
「へ、へぇ! この学校にはサークル活動とかあるのだね、しかもこんなに」
「……あぁ、そうだな。俺もサークルの存在は知らなかったからな。しかも、小規模じゃない、殆ど数だけなら部活動より多いんじゃないか?」
今倖平が言った通り、このパンフレットの四ページ目から、片ページずつに活動名がずらりと載せられている。
部活動の方はある程度一つ一つにどのような部活なのか、短く記されていて、方ページに五つ載せられている。それに対してサークル活動は、サークル名と、部員からの一言枠が一つだけ、八つは載せられているだろう。
そうしてページが後に二、三ページ続いていた。
「まぁ、あれだよね、サークル活動は選択肢外で考えて、まず何処から見て行こうか うん、千東は何処か見たいと思う場所とかある?」
そう言い、パンフレットに落としていた視線を千東へと持って行く。
俺達、倖平と千東に、そして俺が今立っている場所は一年一組の前の廊下、廊下の窓側で、窓から空を眺めながら語り合っていた。
だが、今の千東は何も答えない。何も語らない。
そんな千東からは、ただ話を聞いているだけで、言葉を交わす、などという概念などかけらも感じられなかった。
それでも千東の答えを待っていると、その一瞬の空白の時間は長い沈黙へと変わっていく。
その沈黙を崩したのは倖平だった。
「……千東、囲碁部なんてどうだ? 確かここから一番近いからな」
その質問に千東は相変わらずの動かぬ表情で。
「なぜだ? 俺は囲碁よりもオセロのほうが好きだ。残念ながら、犬坂は嫌いだけどな」
「っ、ひどっ!」
それに倖平が熱く。
「俺は妹だけが大好きだ! もちろん犬坂は嫌いだ!」
「おい、ちょっとまて、文脈がおかしいんですけど!?」
俺のささやかなる反論。しかしそんな思いをも容易く砕くのがこの二人なのだから、もちろん。
「おかしいのはお前の頭だぜ! 俺の妹を見習え」
いや、倖平……意味が分からないし。
それに千東はあさっての方向を見て、呟く。
「残念なやつだよ、残念なやつだ」
「ちょ、二度も言うなよ! 二倍傷つくだろう」
……知っているだろうか? 心にだって本当に傷がつく事を、傷だから時間と共にいつかは直るけれども、その傷が出来た時は、それは、それは、痛いのだよ。
「ハッ、ハハハハ、で、でさ、でね」
そこで区切る。
だっ、だがな、俺の心をなめるなよ! 俺の心はなぁ、丈夫なのだよ! 頑丈なのだよ! 傷が沢山出来すぎてね、その深い傷が癒えていく度にさらに硬く、丈夫になっていったのだよ!
だから、だから続けて言う。
「なら、俺は将棋部を立候補に入れたいのだけど? ――やっぱりだめ、ですね。はい、分かりました」
が、その発言を終える前に二人に鋭く睨まれ、いとも簡単に俺の心は食い千切られてしまった。
お前は意見するな。その瞳には、そんな理不尽な意思が激しく強調されていた気がしたのは気のせいではないだろう。
そうして、これは三度目の沈黙だろうか? 俺はそのパンフレットに載せられている部活動名を呆然と見つめていた。そこから目線を、チラッ、と上げて二人を見たが、どうやら二人とも喋る気は無さそうだ。
時間、そんなに沢山在る訳でもないのになぁ。
仮見学日の決まりでは授業終了から五時まで学校に滞在していいと書いてはいるけど、実際この時間帯から始まる部活なんて午後二、三時ぐらいで終わってしまうだろう。後は吹奏楽部とか、そういう室内で活動出来る、それなりに規模の大きい部活しか残らない。
と、その様な事がこのパンフレットの七ページ目にご丁寧に書いてあった。
仮見学日、それは何をどう工夫して造られた言葉なのか、想像は出来るけどはっきりとはわからない。
その仮見学日とは、この霞原学校で入学式が行われるたびに、様は毎年行われている、《さぁ、貴方も部活に入ろう!》そんな企画だ。少し足して言えば、それでも入れないような極度の人見知り、千東見たいな奴でも入部しやすいように三日間、色々な部活を見続けて、少しでも在るのかも知れない――別に入部するのが嫌な訳でもない、そんな気持ちを強引に引き出そうとするイベントだ。
…………、うん、とにかく今はここから離れて、俺達も部活めぐりを始めない事にはどうにもならない。
「倖平? さっき囲碁部の部室がある場所を知っている、って言っていたけど、どこら辺?」
俺のその質問に倖平はあしらう様に答えた。
「いや、そのぐらい自分で調べろよ、それに載っているだろ?」
「――いや、載っていないけど」
「……はっ?」
「ほら」
そう言って、両手に持っていたパンフレットを倖平に渡した。俺からパンフレットを受け取った倖平は、その少ないページを次々とめくり始め。
「……ない? あら、俺のには大きく校内地図と共に各部室の場所が詳しく載せられていたはずだけどなぁ」
パンフレットをこちらに返してから、倖平は自身の灰色の手提げ鞄をあさり始めた。そして数分。
「あっ、どこかで落としたかな? いやそんな訳も無いしなぁ、ちょっと教室見てくるわ」
そう言い放ってから、倖平はこの場から立ち去って行った。
倖平が今日室に戻る後姿を見送ってから、千東を、チラッ、と。
「――残念だが俺も持っていないぞ」
…………だそうだ。
「……うん」
「犬坂、それ、俺にも見せてはくれないか?」
「あっ、うん、別にいいけど、破かないでね――あっ」
こちらから渡す前に、その長い手を使って無理やりに奪い取られてしまった。
…………。
それからは千東もパンフレットを見つめたまま黙り込んでしまい、とても暇だ。
「…………いい、天気だよね」
開いた窓に両腕をクロスして置き、それを支えに透き通った春の青空を見上げ、ゆったりとそう呟いた。
―登場人物―
犬坂 風季 (いぬさか ふき)
千東 登 (せんとう のぼる)
也宮 倖平 (なりみや こうへい)
それと、
青葉 五月 (あおば さつき)
賀茂 吉野 (かも よしの)
―以上―