恩を返す人に、さらにまた恩を作る人 【Ⅳ】
「あっ、あぁ、うん。それとさ、その……」
言いにくい、すごく言いにくい、そもそも何て言ってあげたらいいのか俺には分からない。
「その?」
「……あ、あぁ、ええとね……」
「ん? はっきりしないと、また」
そう言ってから、その右手を上げ、力拳を作る。
俺はその仕草の最中も少ない知識を頭に巡らせて、言葉を捜す
「いや、そのさ、服、さ、寒くないの?」
「え? あぁ……寒い。うん、なら風季君、後で職員室に行こう、一緒に来てくれるでしょ?」
「あぁ、まぁそのくらいならいくらで付き合うけど」
「うん、なら、ならチョコ食べちゃおうよ」
「…………やっぱり、食べるの?」
「うん、お腹すいちゃった」
「そう……」
ぎこちなく返事を返すと、右ポケットからたばチョコの箱を出す。
俺がそのたばチョコの蓋をもう一度開け、渡そうと視線を上げると。
「ほら、こっちで食べよ、暖かいしね」
青葉は保険室の窓側の白いベッド、その白いベッドのカーテンを一箇所にまとめ直していた。
カーテンが壁の端にまとめられると、そのベッドに腰を下ろし、自分の横を、ポン、と叩く。
「こっち、こないの?」
「あっ、あぁ、今行く」
そのベッドの横まで来ると、座る前に右手からたばチョコを一本取り出して、青葉に渡しておく事にする。というより、明らかにそう眼がこちらに、遣せ、と訴えてきていた。
そんなに、欲しいのかね。
青葉はその一本を受け取ると、「うん、ありがとう」と言って、たばチョコの周りに巻かれている紙を早速剥がし始めた。
俺も、その横に腰を下ろすと、たばチョコの箱に指の先を入れる。
「うぅん、これ、まずいね」
青葉のその感想に俺も静かに頷く。
そう、このたばチョコ、まずい、おいしくない。ただ、そういう時は皆こう言うものだと思う。
「まぁ、あくまでたばチョコだからさ、きっと本物の煙草の味もこんな感じだと思う」
「それは、そうかぁ、なら私は本物の煙草も好きにはなれないだろうね」
「それは、それでいいのかも、煙草なんて吸わない方がいいものだからさ」
その返答に、ククッ、と青葉は笑って、言った。
「うん、煙草なんて嫌いな方が、人生得をするよね」
青葉はそう言ってからも、こちらにまた手を伸ばしてくる。もう一本と、催促しているのか。
俺はまだ紙を剥がしていないまま手に持っていたやつを渡して、またもう一本引き抜くことにする。
俺がその包む紙を剥がすのに手間取っていると、すでに食べ終えていた青葉が話しかけてくる。
「あぁ、私も悪くなっちゃったなぁ」
俺は黙って聞くことにする。
「私はね、いつも、何処でも、どんな場所でも、優等生の仮面を大事に持っているあの私が、今こうしている事が信じられない。はぁ、何で私授業サボってチョコなんて食べているのだろう?」
…………、っておい。
「ん、ん……まぁ、その何だろう、俺もさ、共犯者だからもう」
「……あはは、ごめんね……。でも、なんか犬坂君を見ていると、もう目標とか、勉強とか、努力とか、思考とか。なんかもうどうでもいいかなってね」
「あぁ、その言葉は結構傷つくなぁ……俺ってそんな感じに見えるの、いや、見えているの?」
「うぅん、まぁ、勉強熱心でも、運動熱心でもない、なんか中途半端な人なんだろうなぁ、それが第一感想。今はね、……ごめんあんま変わらないな~。でも、思ったよりもいい人で良かったよ」
……いい人かぁ、う、うれしい。
「ははは、そ、そう。うん、ありがとう」
「そうだなぁ、うん、犬坂君はいい人だからさ、この事は秘密にしてくれる?」
横に座っていた青葉はいつ取ったのか、俺の腰の横に置いてあった、たばチョコの箱からまた一本取り出し、口に銜えていた。
「ん? あぁうん」
青葉は、そのチョコをすべて食べ終えると、いきなりその顔を俺の顔に近づけてきた。その間わずか数十センチ。
「あっ」
「――二人だけの、秘密ね」
静かに、小さくそう呟く。
「へっ」
何とも情けない声だ……そう思うのだが、それ以外に言葉が出てこない。きっと顔も赤くなっているのだろう。
「プッ、フフ、アハハッ、うん、そこまで反応しなくても、うん、でも誰にも言っちゃ駄目だからね」
「…………」
俺はただ、ただ無言で、やっと剥がす事のできたたばチョコを口元に運んで、カリッ、と口で半分に折る。
「あっ、また鼻血」
「……えっ」
今度は左から鼻血が出てきた。
―登場人物―
犬坂 風季 (いぬさか ふき)
青葉 五月 (あおば さつき)
―以上―